第九話 謝罪
『ファミルンランドの招待券があるんだけど、良かったら一緒に行かない?』
そ、送信してしまった……。
もう後戻りは出来ない。いや、既読着く前なら取り消せる。でもここは思い切ってこのまま返事を待とう。
若林くんと中庭で別れたあと、友人と合流した際の出来事。
彼女の第一声は、『さっきの人ってもしかして彼氏?』だった。
前のめり気味で迫られたので、慌てて両手を横に振り否定する。
関係性を話してすぐに誤解は解いたけど、彼女はそれじゃつまらないと言って、何故か不服そうに口を尖らせた。
すかさず、好きな人はいると伝えると、瞬く間に瞳をキラキラと輝かせ詳細を聞きたがった。
流石にリハビリの件は話せなかったけど、友人が言うには、私からどんどんアプローチするべし! とのことで。
若林くんからもらった遊園地のご招待券――彼氏と行ってきたら? と友人に見せたら、それを今使わずにどこで使うんだと軽くお叱りを受けてしまって。
というわけで、こうして玉砕覚悟でお誘いのメッセージを送ったに至るのだ。
ソワソワと返事を待つが、スマホはうんともすんともしない。
平日の夕方だから、もしかしたらバイトなのかも?
鳴らないスマホをいつまでも眺めていても仕方ないと、キッチンへ行き、冷蔵庫の中を一瞥した。
冷凍した作り置きおかずを温めて食べようかと考えていると、メッセージを受信した音が鳴る。
狭いワンルームをダッシュする勢いでスマホを置いたテーブルに向かうが、手に取ったスマホに表示されたのは、残念ながら期待していた人からのメッセージではなかった。
「ちょっと気晴らしにコンビニでも行こう」
独りごちて、スマホ片手に近所のコンビニへと向かった。
夕方という時間帯も相まって、店内は学生や仕事帰りと見られる服装の客で賑わっている。
何を買おうか物色していると、背後からポンと肩を叩かれた。
「最近よく会うなぁ」
見上げれば、そこにはリラックスした表情の若林くん。
大学構内で会うのとは少し違う雰囲気を感じて、昼間とは別の緊張がせり上がってくる。
「す、すごい偶然だね」
「だな! この時間にいるってことはもしかして、グッチも一人暮らし?」
「う、うん、通うのはちょっと遠いから……」
「だよなぁ。俺も!」
会話が途切れる。何か気の利く会話をと思っても、共通の話題が思い浮かばない。
こんな面白味のかけらもない人間に、どうして彼は何度も声をかけてくれるのだろうか。
ここは、ご招待券のお礼をもう一度伝えて逃げよう。
「あの、昼間はありがとう。じゃ、私行くね」
手を振りその場から離れようとしたら、「グッチ!」と呼び止められた。
図らずとも肩がビクッと跳ねる。
「な、なに?」
「良かったら、一緒に夕飯どう?」
あまりにも気安い声かけにたじろぐ。
「で、でも……」
「時間あるなら付き合ってよ。たまには誰かと食いてーじゃん?」
***
結局、またもや言われるがままついてきてしまった。
先日篠原くんと初めてお茶したファミレスに。
別に若林くんは、強制するわけでも威圧的なわけでもないのに、妙な圧と言うか、断れないような雰囲気をこれでもかと醸し出してくるのだ。
席に案内され、満面の笑みで若林くんからメニューを差し出される。
そこで、はたと気がついた。
私、スマホしか持ってきてない!
残高いくらあったかな。
こそこそとテーブルの陰でアプリを開き残高を確認していると、訝し気な声がかかる。
「もしかして嫌だった?」
「ふぇ!?」
若林くんのキリッとした意志の強そうな眉尻が下がり、瞳は不安そうに揺らいで見える。
違うと否定する前に、彼はぽつりと呟いた。
「ごめん、俺強引だったよな」
広く逞しい肩を悲し気にすぼめる姿は、大型犬が主人に叱られてしょんぼりしているところを彷彿とさせる。
中学時代から、彼の周りには常に誰かがいた。
友達に囲まれて楽しそうに笑い声を上げ、悩みなんて一つもなさそうな顔で自信たっぷりに振舞っていた彼の珍しい姿に、急に親しみを感じて気が楽になった。
「違うの、嫌なんじゃなくて、電子マネーの残高確認してたの」
「そーなん? でも心配しなくていいよ、俺食事券持ってるから」
「それって……」
「そ、株主優待券」
しょんぼりから見事復活した若林くんは、こともなげに言い切る。心なしか得意そうな顔にも見えるけど。
「だからさ、付き合ってもらったお礼に何でも好きなもん頼んで!」
「でも、昼間も遊園地の券もらったのに、その上ここでもごちそうになるのは流石に悪いよ」
「じゃあ、今度学食でなんか奢ってよ!」
「でも……」
いつまでも納得しない私に痺れを切らしたのか、とりあえず頼もうよと言われ、無難にハンバーグのセットとドリンクバーを注文した。
残高はなんとか大丈夫そう。嫌でも気にしてしまうスマホはマナーモードにして、上着のポケットにしまっておく。
頼んだものを待つ間、順番にドリンクを取りに行き、席に戻ってきた若林くんが、ストローをコップにさしながら言う。
「そう言えば、グッチ誰か誘ったん?」
「なにが?」
「ファミルンランド」
「あ……誘ったけど、返事はまだなの」
「へぇ。それって彼氏?」
「ちっ違うよ!」
「慌てるところが怪しい。でもそれって、彼氏じゃなくても男だろ?」
「ち、違うよ……」
別に嘘なんてつく必要ないのに。冴えない私が一丁前に男の子を遊びに誘うなんて、思われたくなかったのかもしれない。招待券をくれた相手だから特に。
「あー残念! 俺がグッチと行きたかったのになぁ!」と言いながら、若林くんは小さく背伸びをした。
どこかわざとらしい動作、本気とは思えない軽い口調に、これは冗談で言ってるんだと悟る。
同じノリで返すスキルは持ち合わせてないけど、ここは深く考えずに返せばいいんだよね。
「若林くんは私なんか誘わなくても、他にたくさん友達いるでしょ?」
ふふっと笑うと、返って来たのは意外なほど真剣みを帯びた声色だった。
「友達誘いたかったら、グッチにわざわざチケット渡さない」
「またまた、そんな……」
「嘘じゃない」
まただ。またあの熱い視線。
勘違いの可能性も大いにあるけど、そうやって視線を向けられると、どうにも居心地が悪くなってしまう。
せっかくちょっと慣れてきたと思ったのに、これでは若林くんが何を考えているのか、何をしたいのか全く見当がつかなくて困るよ。
「そんな困った顔するなよ。あ、ちょうど良いところで来たじゃん!」
彼の言う通り、良いタイミングで料理が運ばれてきたから助かった。
ホッと胸を撫で下ろし、カトラリーに手を伸ばす……前に、カトラリーの入ったケースを若林くんが取りやすいようにこちらに向けている。
明るくノリがいいだけでなく気遣いもばっちり。
彼がたくさんの友達に囲まれているのも分かる気がする。
「ありがとう」
お礼を言ってからナイフとフォークを取り、じゅうじゅうと香ばしい香りを放つハンバーグに切れ目を入れた。
男の子の前で大口を開けるのは少し恥ずかしいので、食べやすい大きさに切ってから口に運ぶ。
うんうん、この味だよねと、舌鼓を打つ。
「グッチは美味そうに食うなぁ」
「え? だって美味しいもの」
「ん~なんて言うか、ファミレス嫌がる子もいるじゃん?」
「そうなの? 私はどこでも美味しくいただくけど……」
「うん、グッチならそう言うと思った」
何に納得したのだろう、若林くんはうんうんと頷いている。
お互いにそれ以上は何も言わず、切り分けたお肉を口に含んではひたすら咀嚼するのを繰り返す。
「グッチ、デザートは?」
あんなに食べたのにまだ食べ足りないのか、若林くんにメニュー表のデザートのページを向けられて唖然としてしまう。
「えぇ!? もうお腹いっぱいだから大丈夫」
「グッチって、そんな小食だった?」
「普通に一人前食べたからお腹いっぱいだよ」
「そうかぁ? 甘いものは別腹ってよく言うじゃん」
「でも、今はお腹いっぱい」
これは別に女子っぽく小食アピールをしているわけではなくて、ハンバーグの油で本当にお腹いっぱい。
多分だけど、ダイエットしたから胃が小さくなったのかも。
「んじゃ、一緒にパフェ食お! パフェ!」
一緒にって、二人で一つのパフェをつつくの?
まさかね、付き合ってるわけじゃあるまいし。
これも冗談って思って流したのに、若林くんは違った。
彼は本気だったのだ。
いつの間にか店員さんに頼んでいたらしく、デザートスプーンを二つ用意してもらっていた。
はい、と笑顔でスプーンを手渡されて戸惑う。
「グッチ先食べていいよ、残り俺食うから」
「えっでも」
「いいから。それとも、あーんってして欲しい?」
そんなことされたらたまったもんじゃないと、ようやくある種覚悟のようなものを決めた私は、チョコソースでお化粧された生クリームをひと匙ほどすくって口に放り込んだ。
舌の上でとろける、洋菓子店の濃厚なものとは異なるファミレスっぽい風味。
「うまい?」と聞かれたので「うまい」と返したら、若林くんは満足そうに微笑んだ。
三つあるブラウニーの一つをもらい、あとは食べてと言って、パフェグラスを差し出した。
「もういいの?」
「本当にお腹いっぱいなの。でもありがとう」
「どういたしまして」
あっという間に空になったグラスに、若林くんは甘党なんだな、なんてことを呑気に思う。
デザートも食べたし、そろそろお会計かな、その前にトイレ行っておこうかな。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
お手洗いに立ち、席に戻ると、すっかり陽の落ちた暗い窓の外を、若林くんがぼんやりと眺めていた。
窓ガラス越しに私の姿を確認したらしく、着席の前に彼はこちらに向き直る。
「そろそろ帰る?」
私が尋ねると、「そうだな」と彼は抑揚のない声で同意した。
けどすぐに、「その前にちょっといい?」と神妙な面持ちで言われたので、掴んだ上着を椅子にゆっくりと手放した。
いつもと違う雰囲気に、これはただ事ではないと身構えてしまう。
「グッチ、あのさ……」
「どうしたの?」
「あのさ」
「うん」
眉間に深い縦皺を作り、何度も言い淀む姿に流石の私も察した。
あれだけドヤ顔で言っていた優待券を、きっと忘れてしまったのだろうと。
優待券で食事する気満々だっただろうから、現金は持ち合わせていないのかもしれない。
でも大丈夫、電子マネーの残高見たら意外とあったから。
「これくらいなら払えるから大丈夫だよ! だから出よう?」
得意顔で伝票を手にした私を見て、若林くんは呆気にとられた様子で口を開けた。
「どうしたの?」
「いや、そうじゃなくて……」
「なにが?」
「グッチ、俺さ……。実はグッチに、ずっと謝りたいことがあって……」
再会して間もない私たち。その上、中学時代にほとんど接点のなかった私たち。
そんな間柄の私に謝りたいことって、一つしか思い浮かばないよ……。
「それって……もしかして、賭けのこと……?」
真顔で頷いた若林くんは、唇を強く噛み締めている。
ぎゅっと固く握りしめた大きな手が、深い後悔を滲ませているようにも思えた。
「そのことを、今までずっと気にしていたの?」
「中学の時は、なんて言うか、完全に謝るタイミングを逃したまま卒業しちゃった感じで……。でも、それからも心のどっかでは、ずっと引っかかったままでさ……謝ろうにも地元で全然顔合わせないし」
「そうなんだ……」
「あんなこと、ふざけてやるべきじゃなかった。あの頃俺ら、自分たちが楽しいのが一番で人の気持ちとか、全然考えてなくて……。本当にごめん」
あの時、廊下を楽し気に駆けて行った少年の一人が、テーブルに頭をめり込ませる勢いで謝罪している。
心なしか少し声を震わせて。
賑やかなファミレスだから、聞き違いかもしれないけど。
年月が経ったせいか、それとも篠原くんの謝罪を先に受けていたからなのか、思ったより何の感情も湧かなかった。
すっきりするわけでも、嬉しいわけでもなく、もちろん今頃になって怒りが沸々と湧いてくるわけでもない。
他の当事者を暴きたい気持ちも起こらなかった。
今更、あの辛く悲しい想いを取り消せるわけでもなければ、それこそ過去に戻ってやり直せるわけでもないのだから。
でも、こうして誠心誠意謝ってくれた。その気持ちは素直に受け止めたい。
「もういいよ、今こうして謝ってくれたから」
「でもそのせいで、あの後ずっと学校休んでたんだろ?」
「それは、熱出しちゃったから」
「具合悪くさせたのは、絶対あれが原因だと思う」
「うん。だとしても、もういいよ」
「本当に?」
「うん。その代わり、もう人の気持ちで遊ぶようなことはしちゃダメだよ?」
「するわけない。グッチのことも、二度と傷つけないって約束する」
「もしかして、遊園地の券もお詫びのつもりで?」
「いや、あれはなんて言うか……違うけど」
急に歯切れが悪いのはどうしてだろう。
まあいいか。
「本当はね、自分の分はちゃんと払うつもりでいたんだけど、お言葉に甘えて今日はごちそうになろうかな。それでおしまい、チャラにしてあげる!」
やけに清々しい気分で言い切ると、若林くんはホッと安堵の表情を見せて「おう、任せろ」と頼もしく言った。
***
帰りはアパートまで若林くんが送ってくれた。
遠回りになるからと遠慮したのに、こんな時間に女の子を一人では返せないと言って。見かけによらず紳士的だ。
「今日はごちそうさまでした。気をつけて帰ってね」
「グッチ、これからも友達として会ってくれる?」
「うん」
「良かった! じゃ、またな!」
手を振り、踵を返した。
途端に背後から名前を呼ばれた気がして振り返ると、街灯に照らされた若林くんが晴れ晴れとした表情で立っている。
「ファミルンランド、誘ったやつにもし振られたら、俺と行こうな!」
なんて返せば良いのか考えてるうちに、じゃあなと後ろ手を振りながら彼は行ってしまった。
今のも冗談だよね。でも、篠原くんに断られて誰も行く人いなかったら、本当に誘ってみようかな。
なんてね、それはないかなぁ。初めて男の子と二人で行く遊園地は、やっぱり好きな人とがいいもの。
「ただいまー」
返事はないと分かっていても、つい癖で言ってしまうなぁなんて思いながら、上着のポケットからスマホを取り出す。
明るくなった画面に、私はハッと息を呑んだまま釘付けになった。
ポップアップ表示されていたのは、待ち侘びていたメッセージ。
『遊園地なんてしばらく行ってないな。いつにする?』