第三話 提案
「待たせてごめん!」
息を切らしながら、心底申し訳なさそうに眉尻を下げる篠原くんに、「大丈夫だよ」とにっこり笑ってみせる。
今日に関して言えば、申し訳ないのはこちらの方だもの。
彼と再会した三日前の夜、鉄は熱いうちに打てと、さっそく次に会う約束を取り付けた。それも半ば無理矢理。
春休みはほぼ毎日バイトで、あまり時間が取れそうにないとお断りの雰囲気を漂わせる彼に、少しでも良いから会いたいとしつこく食い下がったのだ。
それなら午後一時にバイトが終わるから、樋口さんが良ければその後待ち合わせようと、私たちの母校からほど近いこの公園にやって来たというわけ。
「本当にごめん……」
「そんなに気を使わないで。それよりバイトお疲れ様です」
そんなこと言われたって、そりゃあ気使うよね。
本当は私と会うのだって嫌かもしれないのに。
数年越しとは言え、彼はきちんとあのことを謝罪したわけで、本来なら金輪際関わりたくないはずだもの。
それでもこうして会ってくれたのは、彼の抱えてる罪悪感を私が利用しているのに過ぎない。
バイトの疲れをほんのり滲ませる彼に、ここに座ってと、ベンチを軽くポンポンと叩く。
すると、篠原くんはホッとしたように息を吐いてから、お互いの間にあと一人くらい座れるほどのスペースを確保して腰を下ろした。
ほぼ隣といっていい距離に、あの篠原くんが座っている!
早くも私の心臓が早鐘を打ち始めた。
この間は頭に血が上っていたから普通に話せたけど、冷静になってみるとやはり緊張してしまう。
メッセージのやり取りなら、顔が見えない分少しは平気だけど。
でも、会いたいと言ったのは私で、バイトで疲れてるのにわざわざ来てくれたのだから、こちらから何か気の利く話題でも提供しなくては。
あれこれ脳内で会話のシミュレーションをしていると、篠原くんから「あのさ」と口火を切った。
「リハビリって、俺は何したらいい?」
「ごめんなさい。実は私も具体的にどうするかは考えてなくて」
「そうなんだ……」
「本当にごめんなさい。なるべく早く考えたいとは思ってるけど……」
「いや、それはまぁ、俺は別に大丈夫なんだけど……」
東屋に気まずい沈黙が落ちる。
うぅ。いたたまれない。
自分から提案しておいて何も考えていなかったなんて、言われた方からすれば呆れるに決まってるよね。
「えーと、じゃあ……樋口さんは今何してるのか、聞いても大丈夫……?」
まるで腫れ物にでも触れるように、慎重に話題を選んでいるのがひしひしと伝わってくる。
その気遣いが有難くもあり、同時に申し訳ない気持ちにもなる。
「えぇと私は……」
とは言え、そこは元同級生。
一度糸口さえ掴めれば、思いの外スムーズに会話を交わすことが出来ている。
そうか、そもそも同級生なんだから、普通に近況報告とか世間話で良かったんだ。
少し気負い過ぎたことを反省。
篠原くんは、あのコンビニで高校の時からずっとバイトしているそう。
進学校に通いながらのバイトには驚いたけど、何より驚いたのは、バイトを続けながら彼が県内一レベルの高い国立大にストレートで合格していたことだ。
流石に三年の夏以降は受験に専念したとは言ってたけど。
そして私と同じく、今週末に入学式を控えているらしい。
何を専攻したのか尋ねてみたところ、文系の私にはよく分からない難しいお勉強をするそうで。
せっかく丁寧に分かりやすく説明してくれたのに、残念ながら半分くらい、いやほとんど理解できなかった。
これ以上話しているとお馬鹿なのがバレそうだ。
いつの間にか、昔の気まずさはすっかりなくなり、普通の同級生みたいに楽し気な雰囲気で話が出来ている。
ううん、むしろあの頃だって、こんなに親し気に会話した記憶はほぼない。
私が返答に迷ってまごついていても、ゆっくりでいいよって気遣ってくれるのが有難い。
流石イケメン。それだけ女慣れしているということか。
別にそんなの分かりきっていたことだから、それに対してがっかりなんてしないけど。
以前と変わらない優しい口調、ミントのガムよりも清涼感を感じる爽やかな笑顔、親しみを感じる気さくさ。
これでは、彼に対する毒気が完全に抜けてしまうではないか。
そんな事を考えていると、篠原くんは「良かったらこれ飲む?」と言って、荷物からペットボトルのジュースを取り出した。
これ、この間私が買ったやつと同じ。
もしかして、それを覚えていて……?
きゅん――いやいや、職場ですぐピッて買えるもの。
ジュース一本で、簡単に絆されそうになる私ってチョロすぎ……。
ゴホンッ。今回は有難く受け取ってあげるけど、これくらいであなたの罪が帳消しになると思わないでね!
「あれ? 開かない……あれ……?」
か弱い女子を演出するつもりなど微塵もないのに、今日に限ってペットボトルの蓋が開けられない。
あ、分かった! さっき塗ったハンドクリームのせいだ!
短い指先が少しでも美しく見えるようにと、いつもより増し増しで塗ってしまったから。
もはや諦めの境地でいる私に、「貸して?」とサイダー並みに爽やかな笑顔が炸裂する。
遠慮がちにペットボトルを手渡すと、綺麗な指先に見惚れる間もなくあっけなく蓋は開いた。
「開いたよ」
「あ、ありがとう」
彼は手渡す時までとてもスマートで、ちゃんと私が受け取りやすいような向きで渡してくれる。
手と手が触れてドキッ――そんなきゅんきゅんイベントは、私たちの間には間違っても起こらない。
せっかく開けてくれたのだからと、ひと口分ペットボトルを傾けた。
口内に広がるシュワシュワの泡。
「んんー! 美味しい! そう言えば篠原君の分は?」
「じゃあ、一口もらって良い?」
「え!?」
びっくり発言に上体がのけ反る。
しばし考えて。
「は、歯磨き! ちゃんと歯磨きしてるから大丈夫だと思う!」
ペットボトルを差し出すと、篠原くんがフッと鼻で笑った。
彼の表情は緩んでいてとても穏やかだ。それでも馬鹿にされたような気がして、ムッと口を尖らせる。
「笑うなんてひどい! 揶揄ったの!?」
「ごめん。樋口さん変わらないなって思って」
「そんなことないと思うよ!? こっこれでも、自分ではけっこう変わったと思って……!」
「うん。この前も言ったけど、綺麗になった」
「そ、そうでしょ?」
そうでしょって何だ!?
喉を潤したばかりなのに、うまく言葉が出てこない。
「確かに見た目は少し変わったけど、中身は昔と変わらないなって思ってホッとした」
それって私にとっては全然誉め言葉じゃない。
いくら見た目を変えたって、中身があの頃と同じならば、私にとっては何の意味も持たない。
急に冷や水を浴びせられたような気がしてしゅんとしてしまう。
変わりやすい春のお天気と同じで、今日の気分はコロコロと変化して忙しい。
どうして未だに、彼の言動ひとつ一つに一喜一憂してしまうのだろう。
やっぱり私は、あの頃からこれっぽっちも成長していないという事なのか。
「それに、声もあの頃と変わらない」
嘘だ。私の声なんて絶対覚えてないくせに。
「……女子はそんなに変わらないよ、多分」
「うん……そうかもね」
順調に続いていた会話が途切れる。
しばし沈黙が続いたのち、篠原君は口を開いた。
「風が出てきたからそろそろ帰ろうか?」
あ、もう帰っちゃうんだ。まだ三時だよ?
もっと話したいのに。
名残惜しさを感じて、咄嗟に「明日も会える?」と聞いてしまったではないか。
「そうだな、まずは会って話をすることから始めたらいいのかもしれない。でも明日もバイトだから、今日みたいな感じで良い?」
「うん」
あなたの抱える罪悪感に付け込んでいる私に、何故そんなに優しい顔して笑うのだろう。
そんな顔見せられたら、どうしたら良いのか分からなくなるじゃない。
何とも言えない居心地の悪さに耐え切れず目を逸らすと、突然何かを思い出したように篠原君が「あ!」と声を上げた。
「どうしたの?」
「ごめん、樋口さん。明日なんだけど、やっぱり時間とれないかも」
「忙しい?」
「実は明日バイトの後、学童に弟を迎え行かなきゃならないんだ」
「学童? 弟さんいたんだ」
「うん。小三なんだけど」
「けっこう歳離れてるね」
「だから……」
お断りの雰囲気を感じて、またもや咄嗟に口をついて出てしまった。
「じゃあそのお迎え、私も一緒に行っていい?」