第十四話 思いがけない告白②
若林くんを見送ってすぐ、篠原くんはベンチに戻って来た。
心配そうに眉尻を下げ、私の顔をしげしげと覗き込む。
「大丈夫……? アイツに何もされてない?」
「大丈夫だよ」
「それならいいけど……。今度また何かあったらすぐ俺に言って? いつでも駆けつけるから」
「ふふ、ありがとう」
精悍な顔つきで、女子が喜びそうなことをサラッと言ってのける篠原くんは、やっぱり物語のヒーローみたいだ。
好きだなぁ。どうしようもなく、この人が好きと実感する。
せっかく諦めようと思ったのに、こんな簡単に現れたら困るのに、また会えて嬉しいと思ってしまうのも事実。
「ところで、さっき私に用があるようなこと言っていたよね……?」
あれほどの想いで別れを告げたのに、ものの数時間で再会とは、何ともお間抜けなような気がするけど。
これは、よほど重要な用事を思い出したに違いない。
あ、もしかして……!
一つだけ思い当たる点があり、篠原くんの返答を待たずにこちらから切り出した。
「分かった! レンくんのお土産じゃない? 実は私も気になってたの! 来たがっていたのにお留守番してくれたんだもの、ご褒美に何か買ってあげないとね?」
篠原くんはキョトンと目を丸くしたあと、急に俯いて肩を震わせた。
「どうしたの? もしかして具合悪い?」としゃがんで彼の様子を窺うと、突然整った顔が上を向いたので、驚きのあまり妙な声を出してしまった。
「ぅわ! 突然上向いたらびっくりするよっ!」
「ごめんごめん。なんでそんなに逐一可愛いのかなって思ったら、一気にこみ上げてきちゃってさ」
「かっかわ……っ!? きゅ、急になに言って……っ」
「もちろんお土産の件もあるけど、もっと大切な用事で来た。時間大丈夫だったら、どこか落ち着いて話せるところに移動してもいい?」
ここじゃちょっと、と周囲を見渡す篠原くんに首を傾げつつ、落ち着いて話すならと自宅へ招くことにした。
***
初めて上がってくれた私の部屋。
その辺適当に座ってと言ったら、篠原くんはぐるっと視線をさ迷わせたのち、所在なさげにラグの上に腰を下ろした。
良かったら下に敷いてと、お気に入りのもちもちクッションを手渡す。
クッションの上にお行儀よく正座する篠原くん。可愛い。
二人きりで緊張はするけど、今はそれよりもこの時間を大切にしたい気持ちの方が大きい。
ここに来てくれるのはきっと、これが最初で最後になるよね。用が済めば、宣言通り二人で会うのは最後にしないと。
だから、心のフイルムに、しっかりとこの姿を焼き付けておこう。
篠原君とは少し離れた位置に座る。
ペットボトルのお茶をコップに注ぎ、一呼吸ついてから、覚悟のもと話を切り出した。
「篠原くん、急かすようで申し訳ないけど用事ってなにかな? ほら、明日月曜だし、帰り遅くなると悪いと思って」
「分かった、じゃさっそくだけど端的に言うね」
時間にしたらほんの数秒だろうけど、緊張で喉がごくりと鳴る。
だって、レンくんのお土産を買う以外に、私に用なんてなに一つ思い浮かばないんだもの。
「俺は、樋口さんが好きです」
一瞬、なにが起きたのか分からなかった。
え……なに? 今のは、私が作り出した都合の良い幻聴……?
そうだよね、そうに決まってる。
あの篠原くんが私を好きだなんて、そんなことあるわけないもの。
「ごめんね、なんか急に幻聴が聞こえてきたみたい。私疲れてるのかも」
「幻聴に、疲れてるって大丈夫……? じゃあ念のためもう一度言うから。俺は、樋口花乃さんが好きです」
脳裏に蘇る、モノクロになったあの日。
夢中で走ったひんやりとした廊下。
あの時本当は泣いていたんだ、私。
家に戻ってから泣かなかったのは、すでに涙が枯れた後だったから。
苦い記憶を振り払うように首を左右に振る。
「ちがうっ! 篠原くんが私を好きなんて、そんなことあるわけないっ」
「やっぱり、信じてもらえないと思ってた。だからこれ」
篠原くんが手荷物から取り出したのは、願書が入りそうなサイズの大きな封筒。
はい、と手渡されたそれには、地元が推しているゆるキャラの横に〇〇市役所と印刷されている。
「これなに?」
「ちょっと中見てもらえる?」
言われた通りに中身を取り出す。
出てきた一枚の白い紙に、私は一瞬言葉を失った。
「こ、これは?」
「なにって、見たまんまの婚姻届だけど?」
「だから、なんでこれを私に? しかもこんなものどこで……」
「それは電車乗る前に、市役所の時間外窓口行ってもらってきた。俺の本気を示すにはこれしかないと思って」
ちょっとドヤ顔なのは気のせいだろうか。
「あの、そこじゃなくてね」
「もしかして、別のやつが良かった? 猫の絵が描いてあるやつとかもネットでダウンロード出来るみたいだけど、流石に今は時間がなくて」
だから、そこじゃない、そこじゃなくてね!
ドン引きする私にようやく気が付いたのか、篠原くんは陰のある哀し気な笑みを浮かべた。
うぅ、だからそんなあからさまに沈んだ顔されると、悪いことしてるのはこっちみたいな気分になるから止めて欲しい。
「樋口さんの返事も聞いてないのに、いきなり婚姻届渡されても重いし、引くよね? 分かってはいたけど、これ以外に良い方法が思い浮かばなかったんだ」
あ、なんだ分かってはいたのね。
いつも通り落ち着いている篠原くん。
でも少し視線を落とせば、彼の大きな握りこぶしは微かに震えてるような気がした。
「今更なにをしても、あんなことした俺のことは信じられない?」
切なさと苦しさを滲ませた声が耳朶を打つ。
好きな人に好きって言ってもらえて、こんなに嬉しいことはない。
たとえば篠原くんと付き合うことになったとして、どんなに愛を囁かれ続けたとしても、私は永遠に彼の言葉を疑い続けてしまうんじゃないかな。
それに対し彼は常に私の顔色を窺い、気を遣い続けることになる。そんなの対等な関係じゃないよね。
そんな歪な関係は、いつか必ず破綻する。
それが分かっていて一緒にいることを選ぶほど、私は強い人間じゃない。もう二度と彼のことで傷つきたくない。
でも――。
「今度こそ……今度こそ、信じていいの?」
「うん。もし信じられなくても、信じてもらえるまで、永遠に言い続けるから。俺の横で、気が済むまで疑ってていいよ。だから、これから先ずっと、樋口さんのそばにいてもいい?」
「い、いい~~」
私が泣いたのと同時に背中に回された力強い腕、洋服越しに感じる温もり、鼻先を掠める柔軟剤の香り。
私、篠原くんに抱きしめられている。
ドクドク鳴る温かい胸の中。この心地良さを一度知ってしまったら、もう二度と戻れなくなりそう。
「篠原、くん……ちょ苦しい。は、離して……」
「嫌だ」
身をよじりもがいてみても、一層腕に力が込められて余計に身動きが取れなくなった。
「好きだよ、すごく好き」
耳もとをくすぐる甘い吐息。
全身を掻きむしりたくなるような恥ずかしさに、一度距離を取って落ち着こうと、彼の胸を軽く手で押し返した。
「やっぱり俺のことは嫌い?」
哀し気に震える声に、傷つけてしまったのだと悟った、けど。
「嫌いなわけな」
「じゃあなんで?」
焦れた様子で被せるように篠原くんは言葉を挟む。
「今日は色々なことが一度に起こりすぎたから、ちょっと気持ちがついていかなくて」
「キスしていい?」
「ねぇ! 今の聞いてた!?」
「聞いてたけど、可愛すぎて我慢出来ない。だからキスしていい?」
「可愛くないよっ! 涙で顔ぐちゃぐちゃだし……」
「涙って、もしかして俺のせいで泣いたの……?」
「あっ」
「本当に可愛い。これで我慢しろって無理だな」
「さ、さっきから我慢出来ないって言うけど、じゃあどうしてわざわざ聞くの?」
「いやなんて言うか、不快にさせたり、怖がらせるのは嫌だと思って……」
「篠原くんのこと、不快だなんて思うわけがないよ。けど、確認される方がちょっと恥ずかしいかも」
「分かった、じゃあこれからは確認しないから」
「うん……あ、でも今はちょっと待って――んっ」
腕の力が緩んだ途端、今度は綺麗な顔が近づいてくる。
二人の気持ちがぴったり重なるような、優しくて甘いキス。
あれ? でもよく考えてみたら、まだ私の気持ちを伝えてないよね?
それにこの、市のゆるキャラが印字された婚姻届もどうするつもりなんだろう?
でもそれはあとでいいか。
今はただ、この胸やけしそうな甘さにじっくり浸っていたいから――。