第十三話 思いがけない告白①
大学の最寄り駅で下車し、改札を出ると長身で体格のいい男性と目が合った、気がした。
「あれぇ? グッチじゃん!」と、行き交う人々を避けながら笑顔でこちらに向かって来たのは――。
「若林くん……」
篠原くんと別れたあと、実は何度か後ろを振り返ってみた。
期待なんてしていないはずなのに、心のどこかでは引き留めてもらえるかもしれないと、淡い期待を捨てきれていなかったのだ。
彼の優しさと罪悪感に付け込んで、そばに居てもらっただけの人間が、なんて図々しくて欲張りだったのだろう。
本当に馬鹿だ、私。
勝手にぼやける視界をまばたきでやり過ごしながらホームへと向かった。
目に涙の膜が張るたび、人前では絶対に泣きたくないと、必死にこらえて電車に乗ったけど。
結局ダメだった。移り行く車窓をぼんやり眺めていたら、二人で過ごした楽しい時間が走馬灯のように頭に浮かんでしまって。
一度決壊を起こしたら、止める術など持ち合わせていない。
堰を切ったように、次々とあふれ出す涙。
ガラガラの車両だったからまだ良かったものの、傍から見たらちょっと危ない人だったかもしれない。
相当ひどい顔している自覚はあった。けど、もう家に帰るだけだからと油断していたところで、若林くんの登場でしょ。
今は誰にも会いたくなかったんだけどな。
甘かったな。大学の最寄り駅で、誰にも遭遇せずに帰れるわけないか。
「マジで俺らよく会うよなぁ、もうこれ運命じゃね? って、グッチなんか目赤くないか?」
「これは……さっきちょっと、ゴミが入っちゃって」
「ふーん、まぁいいや。せっかくだから、ちょっとそこのス〇バでお茶してく?」
***
またまた、言われるがままついてきてしまった。
押しに弱いと言うか、私は典型的なNOと言えない日本人なのだ。
「中は混んでるな、テイクアウトして外で飲む?」
「あ、うん」
「グッチ決めた?」
「私はこれにしようかな。あ、でも待って、自分の分は自分で……!」
「じゃ、後でもらう」
明日は月曜だと言うのに、駅周辺はどこも人で溢れている。
駅前ロータリーの上部に位置する、歩行者用デッキをうろついたのち、唯一空いていたベンチに若林くんと並んで腰かけた。お互いの飲み物分、私たちの間にはほどよい距離がある。
バッグから財布を取り出し若林くんに千円を手渡すと、彼はいらないと拒否した。何度か試みるが、頑なに受け取ろうとはしない。
「本当にいいって!」
「でも、この間からしてもらってばかりだから悪いよ」
「いや、あれ全部優待券で俺の金じゃないし」
「でも……」
「じゃあさ、その代わり、何があったか聞いてもいい?」
「な、何が? 何もないよ、何も……」
「そんなうさぎみたいな真っ赤な目して、放っておけると思うか?」
触れられたくなかった痛いところをつかれ、咄嗟に俯いた。
と同時に、ひどい顔をずっとさらし続けていたことに対する羞恥がこみ上げてくる。
「ま、どうしても言いたくないなら、無理に話せとは言わないけど。とりあえず、それ飲んだら?」
そっとストローを咥えて、深呼吸するように飲み物を口に含む。
抹茶のほろ苦さの中に、クリームの甘さが咥内に広がって、シャリッとした食感、ひんやりとした甘すぎない口当たりで喉を潤すと、少しずつ気分が落ち着いてきた。
「おいしい……若林くん、ありがとう」
「いーえ。これくらいで感謝されるなら、いつでもごちそうするけど?」
「ううん、次こそ、私が何かごちそうするね」
「そう? じゃあ、ごちそうしなくていいから、今度俺とデートしてよ」
これも冗談だろうと曖昧な笑みを返すと、「そんなお洒落して、今日は誰とデートしてきたん?」と若林くんが前のめりで覗き込んできた。
聞いたことない真剣な声色。答えられず、会話が止まる。
返答を急かすような居心地の悪い視線を向けられては、行き場がなくなってしまうじゃない。
あんなことがあった篠原くんと会っていたなんて、若林くんには絶対に知られたくないもの。
二つ返事で告白を受け入れた私を見ていた彼には、まだしつこく好きでいるのかよ、キモイ女――そんな風に思われるんじゃないかって、和解した今でもどこかで警戒してしまう自分がいるから。
じゃあ誰と? 適当に答えたら良いのに、会話スキルの低い私に、最適な答えがすぐに導き出せるはずもなく。
お気に入りのブラウスに嫌な汗が滲む中、必死に絞り出した考えは……。
飲み物のお礼を伝えて、このあと予定があるからと言ってこの場から立ち去ろう!
すぐ逃げるのは私の悪い癖かもしれないけど、今日は失恋もしたし、これ以上精神を削られるようなことは避けた方がベターだ。明日から学校だし。
そう結論づけたので、道行く人の流れに合わせ自然な動きで立ち上がるが、それを阻むように勢いよく手首を掴まれた。
「逃げないで。グッチ、頼むから……!」
懇願するような声に押され大人しく座ると、拘束されていた手首はあっさり解放されたので安心する。
「嫌なら何も聞かないから、もう少しここに居てよ」
「あの、前から思っていたけど、若林くんはどうして私に構うの? ノリも良くないし、面白いことも言えないから、私といてもつまらないでしょ?」
「分からない?」
「全然分からない」と首を左右に振ると、人懐こい笑顔で若林くんがふっと笑う。
「グッチ、鈍すぎ」
「なにが?」
「そういうとこだよ」と言われまた笑われたけど、次の言葉に私は小首を傾げた。
「俺じゃ、ダメ……?」
「……?」
「好きなんだ、中学のころから」
「え、誰を?」
「そんなの、グッチしかいないじゃん」
「な、なに? いきなり何言って……」
「何度も忘れようと思って色んな子と付き合ってきたけど、ずっと忘れられなくて。だから、再会した時に絶対俺――」
「待って、それは変だよ! だってあの時、篠原くんが私に告白するのをみんなで賭けていたんでしょ? それとも、今度は揶揄っているの?」
「揶揄ってなんかいない。あの時だって、篠原がしゃしゃり出てこなければ、本当は俺が……っ!」
距離を取ろうとした途端、急に指先を絡めとられて困惑する。
「っ! 離して、若林くん……っ!」
遊園地で繋いだ、篠原くんの手とは全然違った。
大きくて温かい手の平は同じはずなのに、若林くんから与えられたのは、篠原くんの時に感じた安心感ではなくて、体がすくむような戸惑いの気持ち。
もっと言えば、不快感に近いのかもしれない。
冴えない女がこんなこと思うのは、非常に申し訳ないけど。
「お願い、離して」
毅然とした態度で拒否すべきなのに、身がすくんで蚊の鳴くような情けない声しか出てこない。
「本気なんだ」
「や……っ」
怖い……怖くて今すぐ逃げだしたいのに、思うように体を動かすことが出来ない。
「樋口さんから離れろっ!」
突然目の前に現れた大きな影に、私と若林くんは一斉に顔を上げた。
絡まっていた指先はするりと解けて元通り。
「篠原くん!」
まるでヒロインの危機を救うヒーローのような登場に、私の頬は一瞬で春色に染まる。
あの時一緒に見た桜みたいに。
でもどうしてここに?
私の疑問は、若林くんが代わりに尋ねてくれた。
「篠原? なんでおまえがここに……?」
「若林、おまえ樋口さんに何してる? 今すぐ離れろ」
背筋が凍るような冷たい声色、眉根を思い切り寄せた不快そうな顔で見下ろされ、慌てて言葉を挟む。
「篠原くん待って、私何もされてないから!」
「本当に? すごく嫌がってるように見えたけど」
疑いの眼差しを向けられ、ブラウスだけでなく額までじんわりしてきた。
「それは、なんて言うか……。あ! 若林くんはちょっとふざけてただけなの、ね? 若林くん?」
パチパチ、と目配せをして若林くんへ合図を送る。
今にも殴り掛かりそうな殺気を放つ篠原くんを安心させようとしたのに、肝心の若林くんはそれをスルーして立ち上がると、明らかに不機嫌そうな顔で口を開いた。
「おまえこそ、いきなり来てなんだよ。グッチと話してたんだから邪魔するな、帰れ」
「樋口さんは明らかに嫌がってるだろ? 見て分からないのか?」
「だとしても部外者はすっこんでろ!」
「俺は樋口さんに用があって来たんだ、おまえに用はない。だからおまえこそひっこめよ」
なにこれ? 陽キャとイケメンが私のために争ってる?
なにこの、一触即発とも言える、謎の状況……。
あわあわしながら、二人の剣幕を行ったり来たりしているうちに気が付いた。
通行人から好奇な視線を向けられていることに!
「二人とも止めて! 見られてる!」
声を張ると、ピタッと二人は言い合いを止めた。
どちらからともなく「ごめん」と聞こえてきたと思ったら、今度は真似するな! おまえがな! と再び言い争う声。
お互いを睨みつけ、今にも掴みかかりそうな様子の二人に割って入った。
「もういい加減にしなさーい! はい、そこに座って!」
静かになった二人をベンチに座らせお説教タイム。
どうして私がこんなことしなければならないのだ。
「樋口さん、ごめん」
「いいよ、篠原くんは私が困ってると思って、助けてくれたんだもんね」
「グッチ、ごめんな」
「大丈夫だよ。でも……」
言葉を詰まらせると、正面から腕が伸びてきて頭をポンポンされた。
「グッチ、大丈夫だからちゃんと聞かせて欲しい」
「篠原くん、申し訳ないけど、ちょっと外してもらえるかな?」
ちらっと視線を向けると、篠原くんは軽く頷いて席を立った。
少し離れた場所から私たちを見守ってくれているようだ。
「さっきの話だけど、本気……?」
「うん」
「それなら、ごめんなさい」
「いや、振るの早くねーか? もうちょい考えてくれても」
「私、好きな人がいるの」
「それってもしかして……篠原?」
彼の見せてくれた誠意に応えようとしたら、「やっぱいい! 言わなくていいわ!」と若林くんが遮る。
「まぁ、ダメもとっつうか、無理なのは分かってたけど、一度はちゃんと伝えたかったからさ」
初めは半信半疑の告白だったけど、今の若林くんの顔を見たら、もうそんな風には疑えないと思った。
泣いているようにも思えるような、切なさを纏わせた笑顔に胸が締め付けられる。
「本当にごめんなさい。でも、こんな何の取柄もない私を好きになってくれてありがとう」
「グッチは良いところたくさんあるから、もっと自信持った方がいいって、これはガチで」
「うん、ありがとう」
ポタ、ポタと頬を伝っていく雫。
これは一体なんの涙なんだろうと、自分でも説明のつかない感情がこみ上げてくる。
「うおぉい、泣くなって! 篠原がすげぇ怖い顔でこっち見てるから! また俺が何かしたと思われるじゃん!」
本当だ。もの言いたげな目でこちらをじっと見つめている。
涙を手の平で拭い、大丈夫だよと篠原くんへ手を振ると、彼は安心したような表情を見せた。
「じゃ、これからもグッチと俺は友達ってことで!」
やけに明るく言い切った若林くんだけど、それが強がりだと簡単に見破れるくらい、立ち去る彼の背中はひどく哀愁を帯びていた。