第十話 決意のデート①
アラームが鳴り、眠たい眼を擦りながら体を起こす。
ぼんやりとしたまま浴室へ行き、シャワーで頭と体をさっぱりさせたら、事前に準備しておいた服に着替える。
そして、動画を参考に流行りのメイクをして、おまけに髪もゆるく巻いた。
鏡に映る、完全なる武装した自分。
篠原くんを誘ったのは五日前。思ったより随分と早い約束になり、なかなか決心のつかない心は揺れたけど、大丈夫。
自分で決めたことだから、きちんと成し遂げよう。
よし、と気合を入れてから、ファミルンランドの最寄り駅へと向かった。
「ごめん、遅くなった!」
「全然! 私も今着いたところだよ」
篠原くんとは、駅と商業施設を結ぶ、渡り廊下で待ち合わせた。
今着いた、とお決まりの台詞を吐いた私だけど、実を言うと約束の三十分前にはこの場所に立っていたんだよ。
準備が出来た途端ソワソワして落ち着かなくなって、それなら早めに行って待ってようって。
待たせるくらいなら、自分が待った方がいい。
むしろ、彼を待つ時間すら愛おしかった。
何乗ろうかな。何話そうかな。今日の服装可愛いと思ってもらえるかな。
遊園地だからスカートはやめておこう、じゃあパンツで行く? それなら、脚を出すようにと友人にアドバイスされて、水玉のブラウスにデニムのショートパンツを合わせてみました。
脚太いと思われないかな、昨晩も念入りにマッサージしたから大丈夫だよね。
そんなことを考えていたら、あっという間に時間が過ぎてしまい、気づいたら今、くらいの感覚でいるほど。
「蓮も来たいってぐずってたからさ、宥めるのに時間かかって……」
「そうだよね。ごめんね、レンくんも誘えば良かったよね」
「いや、いいよあいつは」
「そうなの?」
「うんいいよ。じゃ行こうか」
「うん!」
一緒に来たくてぐずっていたと聞けば、レンくんに申し訳ない気持ちになった。
けど今日は、今日だけは、どうしても二人きりが良かったの。ごめんね、レン君。
ここから目的地までは、更にバスに乗って移動しなくてはならない。
バス停への移動時間すら、私にとっては楽しくて大切な時間だ。
隣を歩く篠原くんは、白シャツにカーディガン、ボトムスはデニムに白スニーカーと、シンプルなのにお洒落に見える格好。
背が高くてスタイルが良いから、何でも着こなしてしまう。
まさに、爽やかの権化。いや、爽やかの暴力?
素敵すぎて、もはや私の語彙力では適当な表現が見つからない。
日頃の行いが良いおかげなのか、お天気にも恵まれて良かった。
カーディガンから覗く節くれだった大きな手。
繋ぎたいな、繋いで歩いてみたいな。
温かいのかな、それとも、男の子の手は冷たいのかな。
想像しては、勝手に頬が緩んでしまう。
バスには、並んで腰かけた。
意外と狭い座席に、お互いの肩先が触れ合ってドキッとする。
バスが揺れる度に香ってくる、柔軟剤の甘くて良い匂い。
「今日は日差しが眩しいね」なんて言って目を細めたけど、本当はあなたの眩さを直視できなかっただけ。
***
なんと、ご招待券にはフリーパス券までついてきた。
至れり尽くせりだ。若林くんには改めてお礼をしよう。
フリーパスのリストバンドを装着したら、園内マップを見ながら散策を開始する。
「篠原くんは何乗りたい? 絶叫系苦手とかある?」
「俺は何でも大丈夫だから、樋口さんの乗りたいものに付き合うよ」
「じゃあ、乗り物全制覇しちゃう?」
私の提案を、篠原くんは快く受け入れてくれた。
こっちこっちと手招きして、子供みたいにはしゃぐ私。
その様子が弟を彷彿とさせたのか、まるで保護者か引率の先生のような柔らかい表情で彼は後をついてくる。
緊張を誤魔化すために、必要以上にはしゃいでいたのもあるけど、乗り物の順番待ちで、突然腕を引かれ彼の胸に引き寄せられた。
何事かと見上げれば、息が吹きかかりそうなほどの距離で好きな人から見下ろされている。
急に近づいた距離に心臓が高鳴り、慌てて視線を逸らした。
「後ろ人いたから」
「ご、ごめん」
「気を付けて」
「う、うん、ありがとう」
他人様ひとさまに迷惑をかけないためであって、この行動に深い意味などなかった。
分かっていても、この胸キュンイベントで乙女心をくすぐられない女子など皆無だと思う。
今日は私にとって特別な日だから、思い切り堪能しておかなきゃ損だ。
彼の表情、行動全てを、目蓋の裏にしっかり焼き付けて、誰にも触れられない、私だけの大切な場所に深く刻んでおこう。
お天気の良い休日なだけあって、園内は家族連れや学生のグループでそれなりに賑わっている。
とは言え、某ねずみの国ほどの混雑はここでは当然見られない。
開園と同時に入場したことと、一回分見送れば次の番には乗れる、という状況だったため、お昼を前にして残す乗り物は大観覧車のみになってしまった。
でもまだ行かない。
一緒にいられる時間を、少しでも引き伸ばしたい一心で新たな提案をする。
「ちょっと早いけど、お昼にする?」
「樋口さんはお腹空いた?」
「朝ごはん食べて来なかったから、ちょっとだけ」
「じゃあ、今のうちに済ませておくか」
園内唯一のレストランに行き、券売機の前で頭を悩ませていたら、背後から長い腕が伸びてきたのでスッと横に退いた。
細長い綺麗な指先が機械にお札を投入する。
「何でも好きなもの食べて」
「えっいいよ! 自分の分は自分で!」
「今日俺一円も使ってないから、これくらいさせて」
「でも、それは私も同じで……」
「ほら、後ろ並んできたから早く」
急かされたような気になって、慌ててボタンを押した。
急いでいた割に、ちゃんと食べたかった温かいお蕎麦のボタンを。
篠原くんは、温かいきつねうどん。
二人仲良く麺類コーナーへ行き、係の人に食券を見せたら、受け取り口でしばし待機。
会話する間もないほどすぐに出来上がり、注文したものを受け取り空いてる席に座る。
「篠原くんありがとう。お言葉に甘えてごちそうになるね」
「うん」
ここまで来たら、奢る奢らないでぐだぐだしても仕方ない。
感謝して美味しくいただこう、せっかくご馳走してくれた麺が伸びる前に。
お互いに無言で麺をすすり、あっという間に器は空っぽになる。
食休みしながら園内マップを眺めていると、篠原くんが私の名前を呼ぶので顔を上げた。
「なあに?」
「樋口さん、今日は誘ってくれてありがとう」
「ううん、急だったのに来てくれて、こちらこそありがとう。昨日もバイトだったんでしょう? 疲れてるところごめんね」
「全然、今日は元々何も予定なかったから。それより、招待券なんてどうしたの?」
「あ、そうだった! ちょうど篠原くんに言おうと思ってたの。その招待券ね、若林くんからもらったんだよ。中二の時同じクラスだった若林くん、覚えてるでしょ? この前偶然学食で会ってね、同じ大学なの知らなかったな……」
「わかばやし……?」
訝し気な視線に、冷たい声色。
お腹が満たされた、食後の和やかな雰囲気から一転、急速に場が冷え込んだのが分かった。
「篠原くん? どうしたの……?」
「樋口さんが、何でアイツと?」
いつも優しくて穏やかな彼の、急速に冷え込んだ声色に嫌でも察した。篠原くんはあのことを言ってるんだということを。
「もしかして、あのこと気にしてる? でも大丈夫だよ、その件については若林くんから謝ってくれたの。あれからずっと気にしてたんだって」
安心してもらうために言った言葉なのに、篠原くんの苦々しい表情は変わらない。むしろ、先ほどよりも顔を強張らせてしまった気さえしてくる。
「若林くんとは和解出来たし、篠原くんも前にきちんと謝ってくれたでしょ? だから、私の中ではもうこれ以上気にしないことにしたの」
「本当に?」
「うん、本当にもう大丈夫だよ」
「樋口さんがいいなら、俺はこれ以上何も言わないけど」
「もしかして心配かけちゃった、とか? 篠原くん優しいもんね」
「……俺は、優しくなんかないよ」
「ううん、優しいよ。リハビリもそうだけど、今日も忙しいのに来てくれたもの」
何か気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。
篠原君はだんまりになり、そのまま気まずい沈黙が流れる。
もしかしたら、今この場にはふさわしくない話題かもしれない。
今よりもっと状況を悪くさせてしまう恐れもある。
けど、この際だからずっと心に引っかかっていたことを聞いてもよいだろうか。
覚悟を決めた私は、探り探り話し始めた。
「篠原くん、あのね、ずっと気になっていたことがあるんだけど……」
「なに?」
良かった、会話する気はあるみたい。
すぐに返してくれたことに安堵する。
「その……あの時の、賭けのこと聞いても良い? みんなに優しくて、すごく弟想いの篠原くんと、どうしてもあの賭けが結びつかなくて……。なんであんなことしたの?」
「今更何言ったって」
「知りたいの、お願い!」
「俺は、あの賭けで樋口さんを深く傷つけた、取り返しのつかないことをした、それ以上でもそれ以下でもないよ。だから今更」
「お願い! 言い訳でもなんでも良いから、あんなことをした理由がどうしても知りたいの。お願い、篠原くん!」
懇願するような眼差しを感じ取ったのか、篠原君は深い息を一度だけ吐いたあと、静かに口を開いた。
「あの時は、蓮の誕生日が迫っていて……。でもお金なかったから、情け無いけどそれで……」
「レンくんの、ため……?」
「……うん。でも、どんな理由があろうと、絶対やってはいけないことだった。どれだけ頭を下げても足りないかもしれないけど、何の関係もない樋口さんを巻き込んで傷つけたこと、本当にごめん」
「そっか。そっか……」
レンくんのため、か……。
怒りなんて湧くはずない。だって、やっぱり篠原くんは、私の思ってた通り弟想いの優しいお兄ちゃんだったもの。
良かった。私の好きになった人が、自分のために使うお金欲しさにあんなことしたわけじゃないって分かって。
それだけでもう十分だ。それだけで。
あとは私から彼を――。
「言いにくいことを話してくれてありがとう。私、トレー片付けてそのままお手洗い行ってくる。戻ったら残りの乗り物制覇しようね! 入り口で待っていて?」
おそらく、申し訳ない気持ちでいたたまれなくなっているであろう、篠原くんが俯いてる間に二人分の食器とトレーを重ね、返却口へ向かった。
そのあとは宣言通りにお手洗いで用を足し、メイクの乱れを整えてからレストランの入り口へ。
篠原くんは……と視線をさ迷わせていると、いた!
ちょっと目を離した隙に、見るからに自己肯定感が高そうな三人組の女子たちに囲まれてるではないか!
優しい篠原くんのことだから、きっとハッキリしたことを言えずに困っているのだろう。
私が助けてあげなきゃと、ズンズンと彼のもとへと歩き、「お待たせっ!」と明るい調子で声をかける。
私を見るなり、篠原くんはホッと安堵の息を吐いたように思えたから、やっぱり困っていたみたい。
「友達来たから」と言って、その場から離れようとする篠原くん。
それを遮るような勢いで私を横切る三人組。
強い香りが鼻先を掠めた、と同時に明らかに私に向けての発言と取れる言葉が耳に入ってくる。
「なんだ、ブスじゃん」
「言ってた通りただの友達だったね」
「鏡見てから隣歩けっての」
どう考えても好意的には受け取りようがない心無い言葉なのに、不思議と傷つかなかった。
それよりも、そうだよねと深く納得してしまう自分がいる。
そんなこと、他の誰よりも私が一番理解しているのだから。
「篠原くんはやっぱりモテるね~」と茶化すと、「友達と来てるって言ったのにしつこくて。樋口さん来てくれてほんと助かった」と、心底安心した様子でお礼を言われた。
〝モテる〟の部分を否定しないんだと内心突っ込みつつ、私でもお役に立てることがあるのだと嬉しくなる。
ほら、さっきの知らない人たちからの言葉なんて、今ので帳消しどころか、もはやどうでもよくなっちゃった。
好きな人の役に立てる、ただそれだけで、モテない女は天にも昇る気持ちになれるのだから。
「気を取り直して、残りの大観覧車を制覇しに行きますか!」
「そうしようか。そうだ、さっきは俺の分まで片付けてくれてありがとう」
「いえいえ〜! ほら、行こうっ!」
***
「私ね、実は観覧車って少し苦手なの」
「え、じゃあやめる?」
「違う、苦手ってそう意味じゃなくて。観覧車って、動いてるところ乗り込むでしょ? だから、乗るタイミングを計るのが難しくて」
ファミルンランド最大の売り、と言っても過言ではない、一周するのに約十五分ほど要する大観覧車。
階段で順番待ちをする間にこんなことを言ったら、篠原くんは表情をふっと緩めた。
「分かった、じゃ行くよ」
「えっ」
温もりを感じた途端に手を引かれて、スタッフがドアを開けてくれたピンク色のゴンドラに乗り込む。
せっかくスムーズに乗れたけど、その感動に浸っている場合ではない。
初めて繋いだ男の子の大きな手。
少しだけごつっとした、異性を感じさせる掌の感触に、私の胸は苦しさを覚えるほどにキュンキュンが止まらないのだった。