第一話 予期せぬ再会
春――出会いと別れの季節。
進級に進学と、人見知りで小心者の私にとっては、なかなかの試練となる憂鬱な季節。
でもだからこそ、今までとは違う自分になりたくて。
新しいことに挑戦してみたくなって。
大学受験のストレスで数キロ痩せた私は、その姿を見て僅かながらに自信をつけた。
ならばと一念発起して、春休みは本気のダイエットに勤しんだ。
そして大学の入学式を一週間後に控えた今日、生まれて初めて美容室で髪を染めた。
スクショした画面片手に意気込んだものの、所詮はビビりの小心者。
美容師さんに見せてもらった色見本に怖気づき、結局はあまり明る過ぎないピンクブラウンにした。
胸の下まで伸びた重たい髪はばっさり切ってもらい、軽くなった毛先は、ふわふわと肩の下で華やかに揺れている。
お日様が天高く昇りきった、今の時刻は一時前。
身震いするほどの寒さからようやく解放されたと思ったら、ここ数日は日中の気温が軽く二十度を超えている。
暑いから飲み物でも買ってから帰ろうと、プロの手によってスタイリングされたゆるふわの髪をなびかせ、上機嫌で駅前のコンビニに寄った。
わき目も振らずにドリンクの冷蔵庫まで一直線。
カロリーが高いからと、ここ数ヶ月は敬遠していた炭酸ジュースをひょいと手に取り、スマホ片手にレジに向かう。
「いらっしゃいませ」
心地よい低音ボイスに顔を上げると、そこには懐かしい顔が。
名札には『篠原』の二文字。
やっぱり間違いない。篠原玲央くんだ。
数年ぶりに見た同級生は、相変わらず人目を引く容姿をしていた。
整った顔立ち、清潔感を感じる綺麗な指先。
着飾った私とは違い、素のままで勝負できる素材の良さに唇を噛み締める。
見る影もないほど太ったり、透き通った白い素肌にニキビの一つでも出来ていたら、少しは胸がスッとするのに。
何よりも、こちらに全く気付かない素振りが気に障る。
それとも分かっていて知らんぷり?
だって合わせる顔ないもんね?
本当は誰よりも会いたくなかった人のはずなのに、どうしてだろう。
痩せて自信をつけたことと、イケメン美容師からのお世辞を真に受けて、気が大きくなっていたのかもしれない。
やめておけばいいのに、私は接客中の彼に話しかけた。
「久しぶり」
大丈夫。声は裏返ったり震えたりしていない。
急に爆音になった心臓が少し耳障りなだけ。
「すみません、どこかでお会いしたことありましたか?」
ピッとジュースのバーコードを読み取る電子音が鳴る。
淡々とお会計を告げ、袋は必要かと確認してくる店員に「大丈夫です」と、にっこりと微笑んでみせた。
一瞬、ほんの一瞬だけ彼は大きく目を見開いたけど、何事もなかったかのような冷静な声が降ってくる。
「……もしかして、樋口さん?」
「そう。中二の時同じクラスだった樋口花乃だよ」
「綺麗になってるから一瞬分からなかった、ごめん」
スマホを端末にタッチし、覚えたてのメイクで武装した顔を見せつけるように破顔してみせる。
「思い出してくれて良かった。仕事中邪魔してごめんね」
欲しかった言葉と、テープの張られた商品を受け取ると、私は出入口へと向き直した。
イケメン美容師に褒められた、新しい髪形をふわっとなびかせて。
軽やかな足取りで店を出る直前、背後から呼び止められた。
記憶の片隅に刻まれたあの頃よりも、少しだけ低くなった美声に。
「樋口さん、待って」
振り返ると、商品かごをお腹に抱えて持つ篠原くんが、適度な距離を保ちながら立っている。
見るからに何かもの言いたげな雰囲気だ。
出入りする他のお客さんの迷惑にならないよう通路の端に移動し、「なに?」と素っ気ない返事をすると、篠原くんは商品かごを入口に戻しながら予想外のことを言い出した。
「もうすぐ上がるから、悪いけど外で少し待っててくれる?」
「え、何で……」
理由を聞く前に、急に混み始めたレジ対応のため篠原くんは小走りでその場を離れた。
久々に再会した人に突然あんなことを言われて、待っていてあげる義理も道理もない。
でも、なんか気になるじゃない?
ただそれだけであって、別にこれ以上期待することなんて何もないけど。
期待って何を? 何が?
自問自答したところで、冷静さを欠いた頭では正しい答えなど導き出せるはずもなく。
だからあの時やめておけば良かったのに。
小心者のくせに、調子に乗って話しかけたりするから。
店の真正面で待つのは流石に憚ると、所在なく狭い駐車場を行ったり来たりしたのち、レジのちょうど裏側に位置する店の北側で待つことにした。
買ったばかりの炭酸で張り付いた喉を潤す。
プハッ。鼻に抜ける爽やかな香り、口の中ではじけるシュワシュワの泡。
久々に飲んだけど、サイダーってこんなに美味しかったっけ。
飲みかけのペットボトルをバッグに仕舞うと、ちょうど篠原くんはやって来た。
今日のお天気を思わせる淡いブルーのシャツに、ベージュのゆったりめなパンツと白いスニーカーを合わせた、シンプルな服装が彼の爽やかな雰囲気によく合っている。
あれから何年だ?
一、二……四年以上経つのに、彼を見ると未だに胸の音が騒がしくなるのが悔しい。
「待たせてごめん!」
「そうでもないけど」
急いで来てくれたのか、彼の肩は軽く上下している。
待ち合わせみたいなやり取りがなんだかくすぐったい。
ってまた私は!
だらしなく緩んだ頬を引き締めて、努めて平静を装う。
「突然何?」
「うん。ずっと謝りたかったんだ、あの時のこと」
「……なんのこと?」
「いや、なんて言うか……」
申し訳なさそうに言い淀む姿。
すっかり大人びた表情の中に、昔の面影を感じ胸が苦しくなってくる。
ダメだ。『あの時』なんて言うから、その言葉に反応して鮮明に蘇ってしまった。忘れかけていたはずの青春の痛みが。
何で今になって蒸し返すの?
わざわざ追いかけてまで言うことなの?
先に話しかけたのは私だけど、そこは久々に会った同級生の対応だけで良かった。
あの頃とは違う大人になった私たち、それだけで他には何もいらなかったのに。
『綺麗になってるから一瞬分からなかった』
その言葉が聞けたら、それで満足したのに。
なのにどうして、今更私の心を掻き乱すような真似をするの?
「急に何っ!? 今更謝られたって、そんなの自分がスッキリしたいだけでしょ!? それってただの自己満足じゃないの!? そんなの勝手だよっ!!」
封印していた想いが、堰を切ったようにあふれ出す。
興奮して一度に喋り過ぎたせいで、今度は私の肩が上下している。
人の出入りが激しいコンビニの駐車場で、人目も気にせず声を張り上げた結果、他のお客からチラチラと訝し気な視線を向けられてしまった。
「それでもちゃんと謝りたかったから。ごめん足止めして」
じゃあ、と言って身を翻した篠原くんを呼び止め、頭一つ分は余裕で背の高い彼を下からキッと鋭く睨みつけた。
言い逃げなんて許さない。
「悪いと思ってるなら償って!」
「……分かった。どうやって償えばいい?」
感情のまま口をついて出た言葉に、答えなんて用意していない。それでも。
「あれ以来怖くなっちゃって、男の子とまともに話すことが出来なくなったの」
私にも羞恥心くらいある。
今度は人目を気にするように声をひそめると、篠原君は私を隠すように立ち位置を変えた。
大きな影が私を覆う。
おかげで周囲の視線はさほど気にならなくなったから、胸の中で燻ぶっていた想いをここぞとばかりにぶつける。
「男子は元から苦手意識あったけど、篠原くんのせいでもっと苦手になっちゃったんだよ!?」
「本当にごめん」と頭を下げ続ける彼に、引き続き畳み掛ける。
「本当に悪いと思ってる?」
「思ってるよ」
「あの時、すごく嬉しかったのに」
私の言葉にピクッと反応した篠原くんが、顔をスッと上げる。
憂いを帯びた哀し気な表情。
違う。そんな顔が見たかったわけじゃない。
「そんな哀しそうな顔されると、まるで私が意地悪してるみたい」
「ごめん……」
「違うの、そんなに何度も謝って欲しいんじゃなくて……」
「いやでも……」
それならどうしたら良いのかと、答えがあるなら教えてくれと言わんばかりに、彼の薄い唇がはくはくと微かに動く。
誰にも触れられないよう、心の奥底に仕舞ったまま永遠に葬り去れたら、お互いにそれが一番良かったのかもしれないよね。
でもそれは、同じ地元同士では難しいってこと、今日身をもって実感した。
むしろ中学を卒業してから、今日まで一度も顔を合わせなかったことの方が奇跡に思える。
こうなった以上、戻らない過去をいつまでもクヨクヨと悔やむより、これを機に前に進みたい。
今度こそ過去と決別したい。
今見せてくれた誠実さが、本物だと信じさせて欲しい――。
「篠原くんって、今付き合ってる人いるの?」
「いないけど、何で……?」
整った眉が形を歪める。
「じゃあ、償いとして私に付き合ってくれる?」
「それはどういうこと……?」
「今思いついたんだけど、篠原くんとリハビリしたらいいのかなって」
「リハビリ……?」
「そう。男の人への苦手意識を克服するためのリハビリ」
「その相手が、俺でいいの?」
「だって、不思議なことに今そんなに緊張してないし、篠原くんとすることに意味があると思うから」
「分かった。樋口さんがそうしたいなら何でも協力する」
観念したように小さく息を吐いた篠原くんは、お尻のポケットからスマホを取り出した。
「連絡先変わったよね?」
「あ、うん……」
私から聞き出さないと教えてもらえないと思っていたので、先にスマホを向けられたのには虚を衝かれた。
バッグに慌てて突っ込んだ指先が、あれもこれも違うと彷徨い、目当てのものがなかなか取り出せない。
「そんなに慌てなくて大丈夫だよ」
「ご、ごめん、荷物多くて……。あ、あった!」
連絡先を交換後、家まで送ってくれるとの有難い申し出をお断りして、コンビニでそのまま彼と別れた。
***
家に着いたら、階段を駆け上り自室までまっしぐら。
ベッドに座り、交換したばかりの連絡先をスマホの画面に表示させる。
そこで、はたと気づいた。
あの時は頭に血が上っていて考えが及ばなかったけど、ところでリハビリって一体何をすればいいんだろう?
近いうちに、もう一度彼に会わなきゃ。
『後で連絡する』なんて言ってたけど、おそらく社交辞令だろうから。
待ってる時間がもったいないので、こちらからメッセージを送信することにした。
返事来るかな、来ないかな。
少し気の抜けたサイダーを飲みながら返事を待つ。
舌の上ではじけるシュワシュワが、なんだかこの日はやけにくすぐったかった。
お読みくださりありがとうございました。
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