第1話 走馬灯
鳴り止まぬ雷雨の夜。
20代ほどの若い男は何かから逃げるように、息を切らしながら森の奥へと走り続けた。
今にも倒れ込んでしまいそうな足取りとは真逆に、フードの下には全ての表情筋を引き締めたかのように皺が深く刻まれていた。
「何が平和だ。犠牲を正当化した先に何があるって言うんだ……!」
絞り出した言葉は雨音と共に自分の耳へ届き、世界に自分しかいないような錯覚を覚えさせた。
そんな時、男は自分とは違う呼吸音を捉え、急いで音の方向へと進んでいく。すると小さな洞窟と裸になって座っている黒髪の少年を視界に捉えた。
「君!大丈夫か!?なんて格好でッ……」
次の瞬間、少年の後ろから黒い物体が見えたと同時に洞窟の奥からとんでもない殺気を纏った白い狐が現れる。すぐに男はフラフラの足で臨戦体制をとるが、今までの疲労のせいで後ろに倒れ込んでしまう。
魔物とは人間やエルフと言った公的な種族のどこにも属さない特異生物の総称だ。その中でも人間を囮にできる知能のある魔物なんて早々生まれるものではない。
少なくとも生まれてこの方一度も見たことがないくらいには珍しい。
「力が…入らない……!」
成長する前にここで倒さなくては、王国が危機に陥ってしまう。クレセリア王国を救うために逃げたのに、何も守れず死んでいくであろう自分に苦笑した。
「ただの魔物に殺されるのか……」
増していく殺気に押し潰されながら、白い狐が自分の首を切断しようと爪を立てるのが見えると男は意識を失った。
そして目を覚ますと俺はベッドの上で横になっていた。
何が起こっているのかを考える前に、横で石の上に座っている女性が大きな声で近くにいた医者のような機材をつけた大男を呼ぶ。
「お前さん大丈夫か?」
「ここは……どこですか?確か俺は……」
そうだ。確か俺は仕えていた騎士をやめて、王国から逃げ追われてたはず。それから洞窟へ逃げたら、いきなり気絶して。。
混乱している俺に、その大男は先程まで女性がいた石の上に腰をかけ口を開く。
「お前さんの事は知っとる。アイン=ロジク。クレセリア王国で炎の聖騎士と謳われた逸材で、今は指名手配されとるんだろ?」
その言葉に俺はすぐさま拳を構える。どれくらい気絶したのかはわからないが、俺が指名手配されたのは少なくとも逃げる直前のはず。
その事実を知っている時点で、この男はクレセリア側の人間である可能性が高い。
それを見た大男は、そうなると思ったと言わんばかりの笑みを浮かべて言葉を続けた。
「いくつか伝えておくが俺たちは被害者だ。お前さんの思っとる側の人間じゃねぇ、むしろ逆だ。」
その言い回しに俺はすぐさま、彼らがどのような『側』なのかを理解した。
「まさかあんた達、反クレセリア組織か」
反クレセリア組織、通称リベリオン。名前からわかる通り、現在の国王を引きずり下ろして国を自分のものとしようとしている組織。
「お前さんが何に失望したかは知らねぇ。だが今の国王が生き続ける限りあの国は変わらねぇ。変えなきゃいけねぇんだ。」
その言葉に言い返せずにいると、その大男はアインに事の全容を説明し出す。
「あんたが倒れていたのはアジトの入り口のひとつでね。もうすぐ新手の聖騎士がお前を殺すべく探しに来るだろう。これも王城に潜んでる同胞の情報だから間違いねぇ。そしてーー」
それから言葉を続けようとしたところで、焦りながら自分より若そうな男が大男に駆け寄り耳打ちをする。すると再び予想通りという笑みを浮かべながら、地下通路全体に響く声で叫んだ。
「そこの炎の聖騎士が倒れていた洞窟に聖騎士が10人近く集まっていると連絡が入った!お前ら覚悟を決めろ!勝ちに行くぞ!」
その言葉でアインは事の全容を理解した。それを感じたのか、大男はアインに視線を向け言葉を続けた。
「お前さんが追手を俺たちのアジトの入り口で殺してくれたお陰でこの様だ。だが俺たちはこれを好奇だと考えた。奴らの最高戦力の一部が遠いアジトに逸れ、こっちには数万の同胞が王城の地下通路で待機している。今の報告で動き出したとこだろう。」
アインは呼吸を忘れ男の言葉をただ聞く。
「あとは炎の聖騎士、お前さんがいてくれればこの国は変わる!変えることができる!どうだ?一緒にこの廃れた国を変えよう!」
大男の問いに、アインは今までの自分をフラッシュバックさせる。
炎の魔法を使える類稀な才能を持って生まれたアインは、辺境の村から聖騎士と成り上がった天才だ。
それからこの国のためにと働き続ける中で、国王が側近を使ってクレセリアの最北端に位置する辺境の村を皆殺しにした事をたまたま知る。深く調べる中で国王側に気づかれてしまい、追われる身となったというのがアインの全容だ。
「あの国王は村を燃やし皆殺しにした。調べていく中でその村に住んでいた聖騎士が、仕事をやめてその村に戻るという話をしていたと聞いた!」
大男は無言でアインをじっと見つめる。
「あいつらは聖騎士1人の戦力惜しさに何十人もの人間を殺したんだ!そして自分の地位惜しさに長年仕えてきた俺すら殺そうとしてる……!」
そしてアインは決意の光を瞳に宿して、言葉を続けた。
「俺もお前たちの戦いに参戦させてくれ」
その言葉が嬉しかったのか、その大男は優しい笑みを浮かべながら手を差し伸べた。
「犠牲を正当化した先には何があった?」
その言葉と同時、首に激痛が走る。次の瞬間、俺の視界は気絶する前の洞窟に戻った。
首から生温かい液体が流れているのがわかる。おそらく目の前に見える白い狐のような魔物がトドメを刺したんだろう。
今のは壮大な走馬灯だったのか。消えゆく感覚と意識の中、何故か殺したいほど憎かった国王が自分と身近に感じられた。
「服も貰うね」
若い少年の声は、永遠にアインに届く事はない。