プロローグ:異世界からのメール
『件名:異世界に落ちて自我が芽生えたスマホです。生き方を教えてください。』
――はい?
俺の、長年愛用してきたナイフォンが枕元からナクなったのは昨日の事。
いまだショックが抜けきらない俺はボーーっとしながらナイパッドのメールアプリを開いた。
適当に見流していくアミャゾンや姪っ子にプレゼントを買った際に登録した服屋からのキャンペーンメール。
その中に明らかに異質なメールがひとつ。
俺とまったく同じアドレスから同じボックス宛てに届いた嫌でも目に入る件名が書かれた一件の新着メール。
日付は昨日の11時⋯⋯ちょうど遅めの朝を迎えた俺が必死になってスマホを探していた頃に届いたメールだ。
まだ本文を開いてはいない。が、データを全部失った俺の心情を逆撫でするにはバッチリなタイトル。
「のっとり?⋯⋯⋯あッ!もしかして俺のスマホを盗んだ奴か!?」
寝る前にアルコールを摂るのが日常な俺は自分の過失でナイフォンをナイナイしたと思っていた。
だからその可能性がすっかり抜けていたのだが⋯⋯
このタイミングでそれしかありえない――気づいた途端激流のように血が昇る。
「意味不明な事してないで俺のナイフォン返せよ!なあ!何がしたいんだよッ!」
――戸惑いは怒りへと変わりバンッ!と少し乱暴にナイパッドをソファーに置いて立ち上がる。
「くそっ落ち着こう。 外の空気が吸いたい」
怒りを鎮めるため窓に手をかけた俺は。ちょっ待てよ――とソファーへと振り返る。
誰かが拾ってくれたのなら返して貰える可能性も⋯⋯
淡い期待と怒りを胸に俺は震える手でナイパッドを開いた。
『――<×××3%々*々⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
――いや長すぎない?
一目見ただけで心が折れそうな長文メール。
小説を読むのは好きな俺だがメールでこの文字量はキツい。しかも俺をおちょくってくる相手。ああ、また腹が立ってきた。
わざわざ読んでやる必要もないのだがナイフォン返して欲しさに目を通す。
『本文:初めまして。あなたのスマホだった者です。
私⋯自分⋯俺は今、あなたの検索履歴に多く残された異世界ファンタジー小説のような世界に来ています。
何故異世界と断言できるのかと言いますと大変可愛らしい魔術師様の胸ポケットでこの文章を書いているからです。服にクッションが入っているのか柔らかくて気持ちがいいです。
さて、件名の通り私⋯俺には自我が芽生えたようではありますが肉体を得た訳ではありません。
なのでこの可憐なる魔術師様に拾われるまでの間、人生――スマホ生というものについて思考を巡らせていました。⋯⋯正直な事を言いますと、ほとんどの時間を俺にダウンロードされていた小説を読むのに費やしてしまったのですが。それはともかく。
お聞きしたいのです。異世界で自我を得たスマホはこれから先、どう生きれば良いのでしょうか?
世界は違いますが人間社会におけるスマホの生き方を知りたいのです。どうか宜しくお願いします。スマホより。』
⋯⋯はっ? なんだこれ?
異世界で暮らすスマホのために携帯代金を引き続き払って欲しい的な新手のオレオレ⋯⋯オレスマ詐欺か?
そのうち莫大な額の請求が来るとか?
勘ぐりを頭の片隅に、メールをスクロール。
「二通目?」
最下部にぶらさがる新着メール。
日付を見ると昨日の夜に届いたもの。
恐らく俺から何も返答がないゆえに詐欺師が慌てて書き足したメールだろう。
「くそっ、気になってしまう自分に腹立つな」
猜疑心と⋯興味心から二通目を開く。
この時点で詐欺師の術中にはまっている気はするが気になるもんは仕方ない。
『追伸、です。 あなたの若かりし頃の写真を元に肉体を得ることになりました。
異世界に落ちた証明⋯⋯証拠を提示するため俺と俺の恩人である異世界人のアリシアさんとのツーショット写真を添付させて頂きます。
人間の姿とどちらが良いか悩みましたが。そっくりさんと疑われる可能性も考慮してスマホ本来の姿で撮影しております。
どうか信じていただけますように。
異世界から、あなたのスマホより。』
――何だろうか、何て嘘くさいんだろうか。そのくせ的確に俺のツボを突いてきやがる。
巧妙な、歳を重ねても燻り続ける中二心に火をつけかねない甘い誘惑。
半信半疑で。溢れ出る期待心を隠して添付された写真ファイルを開く。
スムーズにダウンロードされた写真には一台のスマホを手に花が咲いたような笑顔を浮かべるマンガのヒロインのように美しい桃色髪の女性。
その後ろにチラッと写り込む『あんたが王子か』と言いたくなるような爽やか美男子。
二人とも俺より十歳は若いだろうか。
普段なら息を飲み時を忘れて見つめる程の美女だがそんな余裕はない。
鏡に向かって突き出された、嫌と言うほど見慣れたスマホ。
画面に走る一筋の傷。アミャゾンで爆売れしてそうな透明ケース。
違和感しかない。
二次元級美女の手に包まれているのは見間違うはずもない俺のスマホ。ちょっと区別がつきにくいけど多分俺のスマホ。
昨日の朝起きたとき枕元から消え去っていた俺のスマホだった。
「合成、か?」
このお嬢さんが詐欺師本人なら顔を晒したりはしないはず。
となれば巧妙な合成写真ではないか?
俺のその疑問に答えるように。
ピコンッと通知音が短く鳴った。
『件名:最近のコラージュアプリは高性能。そこで合成を疑うあなたへ。』
やっぱおちょくってんのかこいつは?と思わないでもないが見事図星を突かれた俺は新たに届いたファイル付きのメールを開く。
『写真では証拠不十分と考えたため動画を。』
昨日届いた二通とは打って変わって用件だけが書き上げられた短文メール。
どことなく文調が軽くなった気もする。
「⋯⋯そこまで言うなら見てやろうじゃねーか!」
普段は使わないような乱暴な言葉を口にしてファイルを叩く。
言葉とは裏腹、頭の中は――『まさか、本当に異世界が?』 それしかない。
数秒とかからず解凍されたファイルを開く。
最初に映ったのは――写真で見た桃色髪の美人さん。
『アイくん!これで私たちがその、動画?で撮られてるの??』
『映像記録の魔具の話は聞いた事があるけど⋯何とも不思議だね』
『ホッホッホ、ワシはプリチィーにうつっておるかの?』
パッチリとした二重瞼の美人さんから爽やか王子風金髪イケメン男性へ、そしてツルッとした頭に健康そうな顔のメガネが光るお爺さんへとカメラは動く。
さ、詐欺にしては手が込んでるじゃないか――
まだ少しだけ残る自制心と恥じらいがナイパッドを持つ右手に力を込めさせる。
その自制心を粉々に砕いたのは十年以上前に撮った写真に残る――鏡越しに手ぶらで現れた若かりし頃の俺。
『どうかな?これで信じて貰えた?』
――痛っ! 手から滑り落ちたナイパッドを拾い鏡越しの俺をもう一度見る。
「いや、俺じゃない。俺はここまで可愛らしくはなかった⋯⋯違う!そうじゃない! 何が起きてんだこれは!?」
思わず額に手を当て目を閉じる。
鏡に映った十代の俺の手にはスマホもカメラもなかった。
何が起きているのかは分からないがこれは認めるしかない。
いいやむしろ――そうであって欲しい。
ナイフォンをなくしたショックも。詐欺師への怒りも全部忘れて。俺は思った。
摩訶不思議な、俄には信じ難い話ではあるが。
俺のスマホが――
異世界にスマホが落ちた。