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空き待ち席 

掲載日:2022/08/22

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 電車の中で7人がけの座席があったとしよう。たまたまそこにお客はひとりも座っておらず、自由に腰かけることができるとしたら、みんなはどこに座る? ああ、健康のためにあえて立つとかのひねった回答はなしで頼む。

 ……ふむ、おおよそアンケートと同じような結果になったか。

 この質問をすると、だいたい6〜8割の人がドア近くにあたる座席の端へ腰を下ろす、と答えてくれる。シンプルに好きなのだという嗜好的な声から、ドア上の表示を見やすいからという実利的な声まで理由もさまざまだ。


 では、片端が陣取られている状態で2番手に腰を下ろす場合は?

 すると、完全端っこ派は票を割り、座席中央派が幅を利かせ始める傾向にある。

 なぜかというと、最初から端に座っている人に対し、あからさまな嫌悪の姿勢を見せたくない、という答えが目立つのだ。

 片方の端までいっては、不自然な距離感が嫌悪の香りをまき散らす。かといって、すぐ隣に腰を下ろすのは、窮屈で圧がかかるし、知らない人に対して無遠慮な距離の詰め方ととられかねない。

 そうやって、せいぜいひとつかふたつ席を離すと、結果的におおよそ7人掛けの座席中央に来るというわけだ。

 そこからは、できる限り隣り合う事態を避けるような席選びを優先する人が多く、そうして座席は埋まっていくきらいがあるのだとか。


 心理学的な考察は、昔から盛んにおこなわれている。人間心理を知れれば、様々な分野にも応用がきくからね。

「好き」の原因。こいつをつまびらかにするのは大きな課題であり、不可解な壁も多い。

 ひとつ、先生の学生時代の昔話を聞いてみないかい?



 先生もまたご多分に漏れず、7人掛けの座席の一番端を好きだった人間だ。

 先生の通学する学校は、電車で片道1時間強。ほぼ路線の端から端までを利用する長丁場だ。ウォークマンなどを聞いて気を紛らわすことはできても、立ちんぼの足の疲れはいかんともしがたい。

 自宅からの最寄りは小さめの駅。乗り降りする客は少なかった。ここで希望通りの席に座れるのはほぼ奇跡で、たいていはドア近くに陣取りながら、機会を待つことになっていたよ。


 当初は目的の駅での階段の位置を考え、一カ所を選び続けていた先生。

 しかし確率的には博打で、よくて勝率3割程度といったところ。疲れもさることながら、負けがこんだり、自分の思惑を外されるとえらく腹が立つのも、当時の若さゆえと思う。


 ――多少、遠回りでも構わない。勝率の高いポイントがいい。

 

 そのための車内人間観察に精を出す先生。ときにはいつも使う車両からも移動し、うろつくさまは、同じように車内の様子をうかがう人がいたなら、だいぶ挙動不審だったろうさ。

 でも、その甲斐あって先生は格好のポイント。いや、そこに座る乗客の存在を知ることができた。

 

 いつも使う車両の2つ隣。4ドア車両のど真ん中、降りる駅のホーム側7人掛け。

 その隅っこに毎日、腰を下ろしている男がいる。見るからにご老人といった体でね、ほとんどバーコードのような密度の白髪。その分を吸ったかのような、三国志の関羽を思わせる見事なあごひげ。

 座る姿からはおよそ覇気が感じられず、終始うつむいたまま。両腕をシートに置き、両足をだらしなく放り出すさまは、壊れて放り出された人形を思わせた。

 だがご老人はしっかり生きている。先生が乗る駅より5つ先、はじめて複数路線を有する駅で、彼はすくっと立ち上がり席を去るんだ。

 

 老人の腰かける7人座席は、このときすでに満員だ。先生がたびたび目にするケースは、隅っこが空いたとたん、隣にいる乗客がさっと席を詰めるもの。

 立っている人が座ろうとするより、座った人の横動きの方が速い。たまたま挙動が重なると、何とも気まずさをかもしてしまう。

 これもまた若い先生には大きな恥。負け犬感がハンパじゃない。欲望丸出しなアクションで、醜態をさらしたくなかったんだ。

 

 例のポイントを知ってより、少しずつ席との距離を縮めながら様子をうかがう先生。

 休日までは知らないが、少なくとも先生が通学するときは毎回、ご老人は例の席を陣取っている。より注意深く探ると、ご老人の周りにもちらほら「常連」らしき姿が見られた。

 おそらく始発駅から乗り、定位置を持つ人たちなのだろう。そしてご老人が立った後、周りの人たちは詰めるアクションを起こさない。

 ご老人は駅に着く十数秒前には腰をあげ、新しく駅で乗ってくる人が座るまで、すき間を残したままだ。他の立っている人が埋めることもあるが、数えるほどしか目撃してない。


 ――いける。


 そう判断した先生は、いよいよ実行に移すことにする。


 その朝は、はじめから件の車両の停車位置から乗りこんだ。

 いつものご老人を確認。その隣のドア脇に立ち、手すりを掴みながら様子をうかがう先生。

 やがてドア上の電光板に表示される、次の停車駅。老人はすくっと腰をあげ、先生を一顧だにせず通り過ぎて、ドア前に立った。座っているときのうなだれようが、ウソのような機敏さだった。


 ――まだだ、あせるな。


 秒単位の空白。このゆとりが、がっつくガキか余裕ある大人かの境目を生む。

 詰める者ゼロ。それを確かめて先生は、つとめて自然に座った。


 当時が冬のさなかだったこともあるが、まず感じたのが座席の暖かさだ。

 もし他の時期なら、ご老人の尻で暖まったものと不快感が勝ったかもしれない。だが、その日は格別の震える寒さで、この座る段になっても、先生の身体から冷えは抜けきっていなかったんだ。

 その身に、何よりこのぬくもりがありがたい。

 どこまでがご老人の体温で、どこまでがシートの暖房か見当はつかないが、背中を預けるとまるで風呂に入っているかのようだ。

 おりしも、前日がやや睡眠不足気味で、二度寝を我慢しつつの通学だったこともある。

 電車が停まり、ご老人の背中を見送ってからほどなく、先生はうとうとと眠ってしまう。

 自覚できるくらい、あのご老人がとっていたうなだれと、足の放り出しをしながらね。



 はっと目覚めたとき、降りる駅のひとつ手前だった。

 車内のメンツもすっかり様変わり。先生はそっと立ち上がった。

 と、急に両膝に痛みが走る。思わずかがみ気味になってしまい、倒れるのは避けられたが、車内の何人かがこちらを見やってきた。


 ――なんたる失態。


 恥の意識が強い先生は、そのまま車両にとどまることをよしとせず、つり革頼りに隣の車両へ。

 ひざの痛みがおさまらない。下手に体重をかけると、本当に崩れ落ちてしまいそうだ。

 階段も危なく、これまであまり使ったことのないエスカレーターに頼る羽目に。

 どうして今日に限って……と、改札を出る前にトイレへ向かう先生。


 そこには今朝に見た、学生然とした顔立ちはない。

 10年、いや20年は一気に老けたかと思う容姿があった。何よりもみあげ、鼻の下、あご周りまでをカバーする黒ひげが、衝撃的だったよ。

 髭剃りはなく、買う時間もない。持っていたハサミで雑に切り捨てるも、青い剃り痕は隠しきれるものじゃない。

 一日にして、猛烈なひげ面になったことをうかがわせる先生の変貌ぶり。そしてそれをいぶかしげに見るクラスメートたち。

 この日だけで、先生は何か月分もの屈辱を味わったよ。

 そして誓った。あの座席にはもう、絶対に座らないと。

 

 先生が卒業する直前まで、あのご老人は見かけたよ。これまでと変わらないだらしない格好で、席に背中を預けていた。

 もしかしたら、あのご老人も実際は見た目ほど、歳を重ねていなかったのかもしれない。

 でもあの座席の気持ちよさに負けて、自分の若さも、ついには命さえも差し出してしまったのでは……と先生は思っているのさ。


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