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第2話 アカデミー

 アカデミーは王都では魔術研究院のことを指す。

 身分を問わず研究に没頭するような変わり者だけが集まる場所として知られている。


 わざわざアカデミーに『王城の金庫番』を配達に来る必要はなかったのだが、黒犬のようなローワンさんのことを話したら、店長にもエミリーにも面白がられて送り出されてしまった。


 入り口で警備の人に部屋を尋ねる。


「ローワンさんに魔術書のお届けです」

「お嬢さん初めてだね。部屋に入るときは気をつけて。これ使うといいよ」


 警備の人からなぜか大きめの鍋の蓋をもらう。

 アカデミーでは鍋パーティーがブームなのだろうか。

 もしくはパイ投げが流行っているのかもしれない。

 私が学校に通っていたときもパイ投げが流行っていた。

 ゆえに学校内では汚れてもいい服装でいかにオシャレをするかという難しい問題に悩まされたものだ。


 アカデミーの中で何が待ち受けているのか疑問に思いつつも鍋の蓋を手に歩みを進めた。

 幸い(?)疑問はすぐに解決した。


 部屋を何度ノックしても返事がない。

 このままでは埒が明かないとドアを開けた。

 何かが飛び出してきた。


 子猫の形をした青い光だった。

 腰の高さで空中を走るように動いていたため、ちょうど手に持っていた鍋の蓋にぶつかった。

 子猫ちゃんにけがをさせたらかわいそうだと、思う間もなく子猫ちゃんは砕けて霧散した。


「え?」


 混乱する私を見たのかはわからないけれど、どたどたと音を立てて部屋の中から人影が現れる。

 空飛ぶ子猫ちゃんに負けず劣らず青い顔をしたローワンさんが入り口に駆けてきた。


「まずい、逃げ出した!」

「ごめんなさい。猫ちゃん、ぶつかったら消えちゃいました……」

「消えたのならよかっ……ん? 本屋さん?」

「え?」


 ローワンさんは今気がついたという顔で私をまじまじと見ていた。

 上から下まで私のことを確認したあと、謝罪の姿勢をとった。


「申し訳ない! けがはありませんでしたか? あと、もし服が汚れていたら弁償しますので!」

「いえ、鍋の蓋にぶつかったので……」

「そうですか。ならよかった」

「それより、猫ちゃんは大丈夫なんですか?」

「ああ、あれは猫じゃなくて……」


 ローワンさんは自分の研究について話し始めた。

 精霊と話す研究をしているという。

 猫ちゃんは体を得たばかりの精霊だったらしい。

 魔術というのは魔法陣と呪文で精霊と一時的な契約を交わすものだけれど、精霊というのは本来目に見えず声も聞こえない。


 ただ、魔術の囁き(シュショテ)であれば、精霊から魔法陣や呪文のアドバイスをもらうことができる。

 そもそも魔術とは、偶然に囁き(シュショテ)を得た人間から始まったのだ。

 ローワンさんは端的に言えば、囁き(シュショテ)の改良を研究しているとのことだった。

 物質界に精霊を顕現させれば、より意思疎通をはかりやすくなり世界を変えるかもしれない。


 子猫ちゃんの姿で精霊を呼べた時点で大成功だとは思うけれど、どうにもすぐ逃げてしまって、研究室の中で追いかけっこになっているようだった。

 黒犬のようなローワンさんと子猫が追いかけっこをしているさまは少しばかりほほえましい。


 くすくすと笑う私を見て、ローワンさんは恥ずかしそうに言った。


「呼び出した精霊に逃げられるとは情けない話です」

「すみません、笑ってしまって。様子を想像したらかわいらしくて」

「かわいいなんてものではないんですよ、本当」


 精霊はきまぐれで、人の営みには興味がないようだったし、物質的な体にも慣れていないので着心地(?)が悪いのではないかということだった。


 世界で一番精霊の顕現に近いことに成功しているのは、王城の金庫番として働いているゴーレム人形と呼ばれる存在だそうだ。

 話せないものの、はいといいえくらいのやり取りが可能なまま数十年も王城で働いている。


「ああ、それで『王城の金庫番』を」

「そうです、そうです」

「ではこれを」


 私は持参した『王城の金庫番』を渡した。


「もう見つけてくださったんですか? しかもわざわざ届けていただけるなんて」

「ご存じだったかもしれませんが、この本の著者は店長らしくて。扱っている本屋はうちだけらしいですよ」

「えっ?! それは幸運でした。知ってて立ち寄ったわけではなくてですね、ただアカデミーから一番近い本屋に向かっただけで……」


 ローワンさんはとても運がよかったらしい。

 それこそ精霊の思し召しかもしれないけれど。


「店長はほとんど店にいませんが、聞きたいことがあれば店に寄ってみてください。もちろん、売り上げに貢献してくれてもかまいませんよ?」

「ぜひ」


 その日から、本屋には常連が一人増えたのだった。



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