1話 変化
眩しい。
白い天井が太陽に反射して光ってるようにさえ思える。
「岬....?」
左から声が聞こえ、首だけで左を向くとそこにはあの日に比べて老けたように思える母さんがいた。
3ヶ月しか経ってないんだ。
本当に老けたわけではなく、疲労からそう見えるのだろう。
「かあ......さ....ん」
久しぶりに言葉を紡いだ俺の口はうまく動かなかった。
それに自分の声とは到底思えないような高い声が病室に小さく響いた。
「岬!今先生を呼ぶわね」
母さんは喜びとも悲しみともつかない顔でこちらを一瞥すると、すぐに先生を呼びに病室を出て行ってしまった。
右手を上げようとすると、腕がかなり短くなっていて、違和感が俺を襲った。
腕を自分の顔の前まであげると、自分の腕とは思えないほど白く細い腕が見える。
その光景はとても鮮明で現実的で、それでいて現実とは思えなかった。
「岬く...岬さん。いやなんと言ったらいいか」
声がすする方を見ると微笑みながら困った顔をした木崎先生と母さんが立っていた。
「体調はいかがですか?痛みやしびれ、違和感などはありませんか?」
「痛みやしびれはないです。あーあー。でも声とか違和感ありまくりです。あはは...」
「手術は成功しましたし、筋肉についても適切な処理ができたため当初の予定通りリハビリはしなくても支障はないでしょう。なかなか現実を受け入れることは難しいかもしれませんが、鏡をここに置いておきます。決心がついたら見てみてください」
そう言い残すと、木崎先生はこれからについて詳しい話をするといって母さんを連れて病室を後にした。
独りになった病室は音が急に消えたかのように静かで無機質な感じがした。
自分の細い腕を見る
俺は女になったんだ。でも生きている。
今はそれだけで十分だった。
俺は上体を起こすと真下に見える豊かな双丘を見て驚きを隠せなかった。
「これって…。こんな大きくなるなんてあるのか…?」
高くなった声でついつい独り言を言ってしまう。
自分が喋ってるように思えず、ついつい周りを見渡してしまうが、当然誰もいない。
女になるんだしどうせなら巨乳がいいなんて手術前に思っていたが、実際に豊かになった自分の胸を見るとどうにも恥ずかしく、顔が熱くなるのを感じる。
この間まで自分になかったものがついていることに違和感を感じつつ軽く触れてみる。
ふにっ
ふにっ
「おお...!」
少女の見た目で自分の胸をツンツンして喜んでいる。
側から見たら不審に思われる光景だろう。
だがしかし、自分の体なのだからとやかく言われる筋合いはない!
服を少しはだけさせて胸元に目をやると、どうやら下着はつけられていないようだ。
自分の胸がどのようになっているのか気になる上、高校2年生男子の性欲も相まって胸へと行く手が止まらない。
下着は付けていないのかと思ったが、病院服の下に着せられていた肌着のような服に胸を守るようにして肌色のブラジャーのようなものが縫い付けられている。
女性の服や下着についての知識がほとんどないためこれが何か分からないが、一体型の下着ということなのだろうか。
意を決して胸を揉んでみた。
彼女がいたことは一度だけあるが手を繋いで数週間後に別れてしまったため、おっぱいに触れるのは初めてだったりする。
「お、おぉ…!」
あまりの柔らかさに声が出てしまう。
断じて気持ち良かったからではない。
エッチなビデオなどで胸を揉まれるだけで気持ち良さそうにしている女の子がいるが、あれは演技だったのだろうか。
女の人が信じられなくなりそうだ…。
俺は次のステップに進もうと思い、胸の頂上の突起に恐る恐る触れてみる。
「んんっ」
え?なんで乳首に触れただけでこんなに気持ち良くなってしまうんだ。
もう一度、今度は少し強めにつまんでみた。
「んんんっ、はぁあ」
まずい!頭が真っ白になる。
これはだめだ!病院のベッドでしていいことじゃない!
自分がしていることの恥ずかしさに我に帰った俺は少しだけ冷静さを取り戻した。
触りすぎるとまずいな…。
とりあえず下も確認しておかないとなあ。
ズボンを少し下ろした後に下半身に手をやり太ももと太ももの間に触れてみる。
「ない…。まあそりゃあそうだよなあ」
男の象徴はきれいになくなっていた。
未練がないかと言えば嘘になるが、この体になることで生きられるんだから文句なんてない。
好奇心と性欲に引っ張られ、触れてみたい気もしたがここがどこなのかということを自分に言い聞かせてズボンをあげた。
途中で母さんなんかが入ってきたらそれこそ大変になるため、気持ちを切り替えて左の棚の上にある鏡に視線を向ける。
木の枠に鏡が嵌め込まれているタイプの手鏡を、震えた手でとる。
先程は男時代から残る性欲のためについつい胸や下半身にばかり目に入ってしまったが、顔を見る方が緊張するとは変な話だ。
しかし童貞であるのだから仕方がない。
もう一生童貞を卒業することが出来ないことを思い出して少し悲しくなってきた。
なんで俺はこんなに性欲丸出しでしかも割と前向きなんだろう。
ポジティブすぎるだろ俺。
目を瞑りながら手鏡を顔の前に持ってくる。
俺は意を決して目を開けた。
「....っ!」
手鏡に映る自分とは到底思えない美少女を見て俺は衝撃を受けた。
くっきりとした二重に大きな瞳、ふっくらとしたピンク色の唇に整ったフェイスライン。
髪はこの3ヶ月の間に伸びて肩にかからない程度のセミロングになっていた。
「これが俺...?」
そう言うと同時に、手鏡に映る美少女は驚いた表情をして口を動かす。
笑ってみても、怒った顔をしてみても、口を尖らせてみても同じ表情をする美少女がおかしくてついつい遊んでしまう。
すると病室のドアの方から足音がして父さんが現れた。
父さんを見たのは病室を出た時が最後。
父さんにとっては俺が倒れた日の朝に行ってきますと言ったのが最後だっただと思う。
俺は手鏡を棚に置く。
父さんの方に顔を向けると喜びとも悲しみともつかないようなそれでいて少し困ったような顔でこちらを見ている。
「な、なあ。岬、でいいんだよな?」
「うん。俺だよ岬だよ」
もう男ではなくなった高い声で俺はそう答えた。
父さんは仕事の途中で焦って抜け出してきたのかスーツの襟は折り曲がり、ワイシャツは変な方向を向いていた。
普段は真面目で曲がったことが嫌いな熱血漢だが、抜けているところもあるんだなと、おかしくて俺は笑ってしまう。
「ふふ、父さんスーツがすごいことになってるよ」
「あ、ああ。たしかにこれはまずいな」
父さんもそれにつられて笑い出しながらスーツやワイシャツの襟を正した。
「それより父さん仕事は?こんなところに来て大丈夫なの?」
「当たり前だ。大事な息子の手術が終わったんだ。大丈夫じゃなくても来るさ」
もう息子じゃなくて娘だよ、とは言えないな...。
「そうだ春澄が昨日帰国したからお前に会いたがっていたぞ。入国審査やらの関係でスケジュールよりだいぶ遅くなってしまったらしい」
「お姉ちゃんが帰ってきたんだ!早く会いたいなあ」
うちの家族は父さんと母さん、それにお姉ちゃんと俺の4人家族だ。
今は大学生のお姉ちゃん──谷村 春澄が海外に留学に行っているため、俺が倒れる前はしばらく3人で暮らしていた。
そういえばスケジュール的には2週間前には帰ってきているはずだったが、昨日帰ってきていたんだな。
「お前はもう退院するんだろう?あとで春澄が車で会いにくると言っていたからその時会えるだろう」
「そうなんだ。ありがとう」
「体調はどうだ。痛いところはないか?」
「うん。正直声とか体とか全然違くて自分だって感じが全然しないけど、体は健康そのものだよ」
「そうか...。それは良かった」
安心したと思ったら考え事をしているのか、黙って窓の方を見つめてしまう。
父さんは真面目だが少し考え方がステレオタイプなところがあり、テレビでオカマをネタにして出ている芸人がいると「こいつは男に産んでもらったのになんで女の格好なんかしてるんだ!」と毎回愚痴をこぼしていた。
そんな父だからこそ、こんな状態で女の子になってしまった俺を受け入れてくれるかが不安でならない。
男から女の子になったことに対する嫌悪感や喪失感は意外にもほとんどなかったが、家族や人間関係や将来に対する不安が押し寄せてきた。
「岬、すまないが俺はそろそろ会社に戻らないといけない。また来るよ。それじゃあ」
急に口を開いた父さんは病室を出て行ってしまった。
やっぱり父さんは俺が女の子になったことが気に食わないんだ。
でももう戻れないよ。
これからどうしたらいいんだ。
泣きそうになるのを堪えるために太ももをつねった。
うう...。痛い。
なんでこの体はこんなに涙もろいんだ。
泣きたくなんてないよ。