15話 栄田高校
2日後、朝。まだ眠い。
俺はベッドの横にある棚に手を伸ばし、スマホで現在時刻を確認する。
7時ちょうどだ。昨日はBpexで夜更かししすぎたため7時半にアラームを設定していたが、いつもの習慣でそれより早く起きてしまったようだ。
栄田高校の見学は9時30分からだからまだ十分時間はあるし、少しボールでも触ろうかな。
俺は眠い目をこすりながらスポーツ向けのゆったりとした半ズボンと汗を吸収してくれるTシャツを着てその上から薄いスポーツジャケットを羽織る。
先日1人でボールを触りに行きたいということを母さんに伝えたら買ってくれたのだ。
階段を降りて洗面所で歯を磨いて顔を洗う。よし!目が覚めた。
顔を洗うまではなかなか目が覚めないが、顔さえ洗ってしまえばこっちのものだ。
玄関にあるサッカーボールを手に取ると、俺は近所のアサガオ公園に向かった。
最近では多くの公園で球技やその他の遊戯が禁止されてしまったため、今でもサッカーができるアサガオ公園は俺の最後の砦でもある。
◇
公園についた俺は、まずリフティングから初めてドリブルの練習もする。この体は力も体力もないが、男の時から培ってきたテクニックは俺の頭の中にあるため、それをこの体に慣らすために練習をしている。
どこの高校に行くにしろ俺がこれからサッカーに復帰するのは体力的にも時間的にも正直もう無理だと思っているが、人間そんなに簡単に割り切れるわけでもないから今もこうして練習だけはしている。
一度近所を走ってみたのだが、胸が揺れてどうにも集中できないし、胸の付け根あたりがかなり痛かった。
調べてみると、クーパー靭帯とやらが傷ついてしまうために、垂れやすくなってしまうそうだ。
それを見てから怖いのと揺れるのが恥ずかしいのであまり走ってはいない。
元々球技は大好きだが、走るのはどちらかというと嫌いな方ではあったため、俺のランニング嫌いに拍車がかかってしまった。
そんなことを考えていると、近所のおじいさんが歩いてきた。
「やあ岬ちゃん。朝から運動して偉いね」
「藤岡さん、おはようございます。藤岡さんも朝の運動ですか?」
「運動というほどじゃないけど、健康のために毎朝散歩してるんだ」
藤岡さんはなんと以前病院のリフレッシュルームで出会ったおじいさんで、俺が以前公園でサッカーをしていた時にたまたま再会したのだ。
何駅も離れた東京の病院で会った人が近所のおじいさんだなんて最初は信じられなかったが、どうやらこの公園の近くの大きな家に住んでいるらしい。
「朝に体動かすの気持ちいいですもんね」
「うんうん。岬ちゃんはサッカー部とかに入っているのかい?」
「はい、あっいえ、ただの趣味です…」
俺は部活への復帰が現実的ではないことを思い出し、ついつい趣味だと言ってしまった。まあ今の俺にとっては確かに趣味かもしれない。
サッカーにかける熱意的には趣味だとは言い切りたくない気持ちもあるけど。
「そうなのかい。それにしても上手だねえ」
藤岡さんはそれだけ言ってしばらく俺のドリブルやリフティングを見ると満足したように、良いものを見せてくれてありがとう、とだけ言い残して散歩に戻っていった。
それからしばらく練習をしてから家に帰り、軽くシャワーを浴びた。
◇
「それじゃあ行くわよ」
「うん」
朝食をとった俺と母さんは車に乗り込んで栄田高校に向かった。
お姉ちゃんは昨日かなり遅く帰ってきたらしく、いまだに部屋で寝ているようだ。
父さんは出張でそもそも昨日から家におらず、明日のお昼過ぎに家に帰ってくるらしい。
栄田高校は最寄り駅の2つとなりにあるため車でなくても行くことはできるが、母さんが車で一緒に行ってくれると言うため、その言葉に甘えた形だ。
「岬、今日もスカートみたいだけど気に入ったの?」
「え、いや…。うん…」
母さんの問いに対し、俺はあいまいに返事をする。
俺が女物の服を着ることに対して母さんは悪く思うことはないだろうし、むしろ色々勧めたりしてくれているため以前のような、見られたら嫌われてしまう、といったような気持ちは今はもうない。
しかし、さすがにまだ女の子生活4日目なのだ。スカート大好きなのね、みたいに言われてしまうと変態みたいでどうにも恥ずかしさを感じてしまう。
まあ実際ハマってしまったのだから仕方ない。
今日は黒い無地のプリーツスカートに、お姉ちゃんに借りた大きめのTシャツをスカートにインして着ている。
最初はじゃばらスカートなんて呼んでいたが、お姉ちゃんにアホみたいだからやめなさいと言われたため呼び方を教えてもらい、プリーツスカートと呼んでいる。
Tシャツをインするのは部活で練習をしている時以外したことはなかったために私服でシャツをインするのかと最初は嫌だったが、お姉ちゃんがダメだというので仕方なく入れている。
ちょっとだけ裾あたりを上にあげるて腰回りをだらっとさせるのがミソらしい。
まあ実際女の子のファッションなんて1ミリもわかっていないのだから、お姉ちゃんに従っておくのが正しいのかなとも思う。自分で調べたりは…ちょっとめんどくさい。
今までサッカーかゲームにしか興味がなかったため、女の子になったからといっていきなりファッションに興味が出るわけない。流石に好き嫌いとかはあるけどもさ。
そんなことを考えていると、母さんが運転する車は学校っぽい場所に到着し、その敷地内にある駐車場に停車した。
「着いたわよ」
「確か校長室だっけ?」
「そうね。まさか校長室で面談するなんて思ってなかったけど」
「確かに。校長室なんて入ったことないから緊張するなあ」
「今日は見学だけなんだし、どっしり構えときなさい」
どっしりとかあ。これがまだ教室とかならよかったんだけど今の時間は授業中だもんな。
俺たちは来客用の玄関から入る。受付で校長先生に用事があるという旨を言うと、2階にある校長室に案内してくれると言われたため、受付のおばさんに着いていく。
調べたところ栄田高校は去年の夏休み中に大規模な工事が行われ、校内がかなり新しいものになっているようだ。
確かに壁なども綺麗で、とても公立高校とは思えないような装いだった。
俺と母さんを伴った受付のおばさんが2階に上がると、壁に校長室と書かれたプレートが付いている部屋の前で止まった。
「失礼します。重森校長、谷村さん親子がお見えになりました」
「おぉ!よくお越しくださいました」
校長室に入ると優しそうな顔をした白髪のおじいさんが、手を広げてこちらを向いていた。
母さんが先頭に立って校長室の奥へ入っていき、俺はそのあとを付いていく。
「初めまして、岬の母です。今日はよろしくお願いします」
「初めまして、谷村 岬です。よろしくお願いします」
「お母さんに岬くん、よろしくお願いします。私は栄田高校の校長を務める重森と申します」
岬くん?もしかしてこの人俺がTS病だって気づいてる?木崎先生は言ってないって言ってたし、なんか周りと比べて明らかに違う部分とかあるのかな?
そうだとしたらせっかく環境を変えても意味がないことになってしまう。
でもそれだったら木崎先生も何か言ってくれるだろうしなあ。
「今日は学校の説明と見学をメインにしていきたいと思います」
そう言って重森校長先生は学校の説明を始めた。学校行事についてや部活動など、よく何も見ずにここまで説明できるものだなと思うほどスラスラと説明が進んでいった。
うちの高校はプールがなかっため授業はもちろん水泳の授業もなかったが、栄田高校は普通にプールがあるため授業でも部活動でも水泳があるらしい。
ということは俺はプールの時は女子の水着を着るのか?まだ流石にそこまでの決心はつかない。
学校にプールはないが小さいころに習っていたし、夏になると高校の友達ともよく市民プールに行っていたため泳ぐことはできる。ただ女子用水着で泳ぎたいかと言われれば別である。
そのあとは校長先生直々の学校の見学をして今日は解散となった。
「岬、どうだった?」
「うん。いいところだと思うよ」
学校自体は東中央も栄田も公立であるため施設ぐらいしかほとんど差はなかったが、周りの人たちが俺のことを一切知らないというのはかなり大きいことなのだと実感した。
校長先生も母さんとの話の最中にお嬢さんと言ってきたり、前に行った美容院でもしっかりと一人の女の子として扱われていた。校長先生はどうやら誰にでも"くん"付けする人の様だ。
それを思うと俺が男だということを知らない場所で生きてくのが一番いいことなのだと思う。
…。
…。
「母さん。俺、栄田に行きたい!それで新しい俺として生きていきたい!」
「わかったわ。私はあなたを応援する」
「ありがとう母さん」
こうしては俺はこの日、新しい人生を歩むことを決めた。
ここまでご愛読いただきありがとうございます。
お待たせしましたが、次回から学校編に突入します!お楽しみに!
次回の更新は、しっかりと推敲してから投稿したいので、5/11を予定しています。
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