こんなの嫌!
胸糞注意です。
「別れよう夏実」
「は?」
単身赴任先から3ヶ月振りに戻って来た主人が唐突に言った。
まだ鞄の荷物すら開けていない。
『中にはきっと洗濯物が入っているんだろうな』
余りの事に私はそんな下らない事を考えていた。
「離婚届はここにある。
僕の名前は書いてあるから後は君の名前を記入しておいてくれ」
主人は服の内ポケットから緑の紙を取り出しテーブルに広げた。
[離婚届]
用紙に書かれた活字に意識は引き戻される。
「ち、ちょっと待って、いきなり何を言うの...」
主人の淡々とした態度に怒りが沸き上がる。
冷蔵庫の中には主人の好きな料理を作る為に買い込んだ材料が入っていた。
それに発泡酒じゃなくてビールも。
結婚して8年、32歳の私と35歳の主人。
子供は居ない、私も正社員で仕事をしている。
離婚しても直ぐに生活に困る訳では無い。
それに私は今...
「後は安藤裕紀さんと宜しくやれよ」
「な?」
どうしてその名前を出すの?
「知らないと思っていたのか?」
少し怒りを滲ませる主人。
その名前は私の勤務先の上司。
3年前から安藤と不倫の関係にあった。
「俺の変化にも気づかないくらい気持ちを持って行かれてたんだな」
「変化?」
その言葉に主人の顔を見つめた。
静かな闇を映す主人の瞳に息が詰まる。
表情が死んでいて頬が落ち...
「気がついたか」
何も言えない。
頬は痩せ、いや顔だけでは無い全身の肉も削げ落ち窶れ果てていた。
「3ヶ月で15キロ痩せたんだ、変わっちまっただろ」
主人の言葉が私を突き刺す。
「それまで毎月帰っていたのに、急に帰らなくなってもお前は赴任先に来るどころか、訳を聞こうともしなかった」
「........」
「安藤とセックスの時間が増えて喜んでいたんだろ!」
「ち、違...!」
「...何が?」
言葉を遮ろうとする私に主人からの問い。
違う、貴方の単身赴任が来年終わったらあの人と別れるつもりだったんだ。
子供を作って良いお母さんに、温かい家庭を貴方と築く為に...
「安藤に感謝だよ」
「は?」
「こんな女と子供を作る前に引き取ってくれて」
一体何を?
「お前と安藤の浮気を教えてくれた人にもな」
「...誰?」
そうよ、誰が主人に言ったの?
「安藤の奥さんだ」
「奥さま?」
「そうだ、半年前に浮気を疑ってな、素行調査を頼んで」
主人は鞄のファスナーを開くと一冊のファイルを取り出しテーブルに広げた。
無造作に置かれたファイルから数枚の写真が飛び出した。
「止めて!!」
車でラブホテルから出る男女、車内でキスをする2人、見覚えのある玄関先で抱き合う私と安藤....
「まさかこの家に連れ込んでセックスをするなんて」
写真を掻き集めファイルを破り捨てる。
中なんか見たくもない。
「3ヶ月耐えた甲斐があったよ」
「耐えた?」
「ああ、俺が帰らなくなれば盛るお前らはヤリまくると思ったんだ。
ここまで上手く行くとはな」
「酷い...」
「酷い?
俺を忘れて猿みたいに盛っていたお前等より俺の方が酷いのか?」
冷たく返す主人の言葉。
私はどうしたら良いの?
「だから離婚だ」
「...いや」
「何が?」
「どう私の両親に説明するのよ!」
「そのまま言えば良いだろ、旦那を3年裏切って浮気をしてました。
この家にも連れ込んでセックスしてましたと」
「言える訳無いじゃない!!」
私の両親は厳しい人だ。
こんな事が知れてはもう二度と顔を出せない。
「安心しろ」
「安心?」
まさか黙っていてくれる?
「ここを見ろ」
「な!?」
主人が離婚届けのある項目を指差した。
そこに書かれた見覚えのある文字に目の前が真っ暗になる。
「...お父さん」
保証人の欄には父の名前が、所々歪んだ文字に全てを理解した。
「言ったの?」
「ああ、俺が...いや安藤の奥さんが呼び出したんだ」
その言葉は死刑宣告を意味していた。
血の気は失せ、目眩を覚える。
もう抵抗は無駄なのか。
観念した私は離婚届けにサインをした。
「この家はどうするかお前が決めろ。
残りのローンを払うも良いし、売っても構わない。
お前と安藤の体液が染み付いた家はゴメンだ。
後は弁護士を通じてだ」
離婚届けをポケットに戻し、主人は玄関に向かう。
「どこに行くの?」
「新しい赴任先だ、言っておくが来ても無駄だぞ」
「それ、どういう事?」
「じゃあな、離婚届けは協議が終わって出すから」
そう言って主人は扉を閉めた。
その場で崩れ落ちた私は立ち上がれず、泣きじゃくるしか無かった。
どのくらいそうしていたのか、ようやく立ち上がった私は二階に上がる。
そこは子供が出来たら子供部屋にする予定だった部屋。
『ここにベッドと、後ここは学習机だな』
4年前、この家を購入した時に主人が言っていた言葉が頭に甦った。
「...ごめんなさい」
醒めるとはこういう事なんだ。
幸せを詰めるはずの家で私はなんて馬鹿な事をしたの?
『刺激があって良いだろ?』
安藤の嘲け声と欲望に満ちた顔が浮かんだ。
「ウゲェ...」
込み上げる嘔吐、部屋の床に大量の胃液が広がった。
その時玄関の扉が開く音が聞こえた。
「あなた!」
帰ってきたんだ!
心配してくれたんだね、もう絶対馬鹿な真似はしない!
階段を転げ落ちる様に降り、玄関に走った。
「...夏実」
「...どうして?」
そこに居たのは安藤だった。
腫れ上がった顔、ビリビリに破れた背広、焦点の定まらない視線を漂わせていた。
「追い出されたよ」
「はい?」
「嫁にバレてな、仕事もクビだ。
財産分与で養育費に全財産取られちまった。
抵抗したら向こうの奴等に」
安藤の奥さんは地元の名士と聞いていたが、まさか1日でここまで追いつめたとは。
「...出ていって」
「は?」
「出ていって!もう私に関わらないで!」
必死で玄関から追い出そうとするが安藤も死にもの狂いでくいさがる。
「ふざけるな、お前だけ!」
「私も全て失ったわ!
主人も、実家も、私の未来もよ!」
「それなら俺達だけでやり直そう、この家でな」
なんてふざけた事を!
仕事を失ったコイツとやり直せる訳がないじゃないか!
ローンだって払える訳無いだろ!
「あんたのせいで人生台無しよ!」
「何だと!!」
激昂した安藤は私の首に手を掛けた。
凄まじい力で圧迫される。
「あ...」
目の前が真っ赤に染まり....
『ただいま~』
『お帰りなさい、あなた』
『パパお帰り!』
主人が笑顔で玄関を開ける。
私は子供とお迎え。
愛する主人、私達の宝物である子供...
悪夢を乗り越えた私達夫婦、そう永遠に終わらないの。
もう手離さないわ...
全てが消え失せた。