7/18 土曜日とステルンべルキア
あぁ、土曜日。
土曜日というのは私にとってネガティブではない死のイメージが思い浮かぶ。
役割の終わり、騒乱の終わり、安息。そういったものが暗示されているような気がする。
土曜日は眠りの日なのだ。
役割によってたまった陰が土曜日で沈み消える。日曜日はある意味で始まりの日、物語におけるプロローグ。全ての出来事のほんの触り部分でしかなく、準備段階というのが相応しい。
最近は精神的に安定してきた。
不安はあるがそれを乗り越えるだけの理由や勇気が湧いてきた。
孤独は人を停滞させるが、その逆につながりが増えるほど人は強くなれることだろう。
私は内弁慶な方だから何かきっかけがあれば、話せるようになる。
結局は憶病な人間はそのタガさえ外れれば大して他の人間とは変わらないのだ。
欠点を排除できるフィールド、アトモスフィアが必要だ。
ところで話は変わるがここ最近またコロナウィルスが流行っているらしい。
日記というのに自分の内面のことにしか気にかけていなかったが、世界的には大ピンチらしい。
けれど、きっと月並みだろうが、私は焦らない。
危険視はしている。しかし、これまで私は常に不幸とともにあった。今更もう一つ危険が迫っても私の危機感を過剰に反応させることはない。
唯一。私が唯一誇れること
他人と比べたときに何も利点が残らない私の唯一のタフさ。
不幸な時ほど強く笑える、今まで対人関係から健康面あるいは法的なことまで色んな負のめぐりあわせにあった。だからこそ、他人よりもちょっぴり不幸には強い。トラウマも恐怖も油断も、どんな精神的異常も乗り越えられる。
私の強みはそこにある。
ウィルスに感染しないように努めるのは当たり前のようにしている。
しかし、私の本領はかかった後のことだ。どれだけ辛い症状でも、死にたいと思っても、死なない決意がある。後遺症が残っても、喋れなくなったとしても、私は生きようと決意している。
いずれそれを上回る幸運が来てくれるから。
私の人生は一度大きな不幸が来るたびにそれを埋め合わせするような幸運も来てくれる。だから大丈夫。
もう部屋の暗がりに怯える子供じゃないんだ。
今日7月の土曜日は私にとって安息の日だった。
朗らかで不幸じゃない、幸せな一瞬だった。




