7/14 数字
2022 2 12
読み直し二日目です~
早くも自分の日記に心を抉られていますが、これも自分を客観視してどれほど気持ち悪いものだったかを学んで後世に活かすために頑張って黒歴史読みます。
キツ……キツイ……!
深夜は気分が高揚してまともな文が書けないのは百も承知だ。けど、日記というのは日の締めくくりに書かれてなんぼだろう。
昨日のようにセンチメンタルと自虐のすぎたモノが好ましいと正当化したいわけではないが、何そういうものだと思って欲しい。
7月14日というのはなんとなく、個人的に縁起の良い数字に思っている。7も14もどちらも7の倍数だろう?
だからなんだと思ったことかもしれないが、私はこう言った些細な共通点が気になってしまうタイプだ。
7月7日なんて縁起が良すぎて何もなくてもウキウキしてしまう。
数字というのは不思議と私を幸福にしてくれる。
計算が好きという趣味的な意味ではなく、運命的な意味でだ。
優柔不断な私に根拠のない自信を与えてくれる。
例え不幸な道であろうとも、それを進む勇気をくれるラッキーナンバーというやつだ。
そんな私が一番好きな数字は『3』。
3というのは一方の極ともう一方の極、それからその中間の要素を内包する友好の数字。
ローマやキリストも神は三位一体であり、日本三景や非核三原則など3という数字は5と同じくらい切りよく馴染み深い。
世界的にも3は調和が取れている数字なのだろう。
さて、ラッキーナンバーの話はこれくらいにしておいて今日の出来事について書いておこう。
対人関係不良と豪語している私だが意外にも共通な趣味を持った友人が何人かいる。
古き良きボードゲームを愛する会があるのだが、そこに集まる人間とは普通に話すことができる。
日陰ものだからだろうか。
いや、そこの内部の人間はどんな変態発言をしてもほとんど気にも留めないようなヤバい集団だからだろう。緊張することが全くない。
その中でも同級生にあたる友人2名。
仮にここではYとMとしよう。
私は最近彼らと共に過ごす時間が多い。
特にMはお気に入りかもしれない。
彼らとは表面上のコミュニティは違うのだが、その実よく絡む。
私はこんな捻くれた性格をしているものだから、クラスの中に馴染むことなど出来ずあぶれやすい。
それ自体は私の責任であるから、反論もできないが、話す内容自体私の趣味ではないので、例え混じれていたとしてもストレスを感じる毎日だったことだろう。
あぶれることも悲しいことなので、私は彼らを強制的に呼び出してここ最近は一緒に昼食を食べたりしている。
こんな歳にもなってという感じの恥ずかしい話なのだが、未だにカードゲームの話で盛り上がっているのだ。
他にもダウンロードしてある映画なんかを見てスリルを楽しんだり、結構上手くやれていると思う。
けれどそれは私が広い世界を知らないからで、井戸の底のカエルであるからこそ人から見たときの『憐れさ』すらも幸福に感じられている。
そう考えると、大海を覗くのが怖い。
幸福になりたいという気持ちと、幸福になって真実を知りたくないという気持ちがせめぎ合っている。
山月記じゃないが、人は二つの暴走した感情を持っているとそのうちどちらか一方が破裂して獣になってしまう。
尊大な自尊心をかくまい続けるか、あるいは立ち向かう勇気を身に着けるか。
今の私は分岐点にまだ引き返せるだろう。
引き返したとて、自分の行いを信じることができるとは思わないが。
2022 2 12 感想
ラッキーナンバーとか好きでしたね。ゲン担ぎは今でもしてしまうことだから、そこは否定しないけど、今はそこまで3に素晴らしさは感じません。
変態発言とか言うんじゃない。そうやって、特殊性癖を語って自己の世界に耽るのは自慰と同じだ。恥を知れ……とか思いながらも、今も節々でしてしまってるかも、はい、恥を知ります……
Yとはまだ繋がっているけど、Mとの連絡は途絶えてしまった気がする。もう殆どない。
このころ丁度山月記やったのね。言いたいよね、尊大な自尊心。先生からならったことを覚えるために日記で使うのは良い手立てだったんでない?
総じて、迷信好きで自尊心のないオタクって感じがする。