8/3 外食
今日もまたいつも通り、午前はぐーたら過ごし、昼間にドトールを超えた先にあるG駅の方に向かい、そこから先はぐるりと一周するように家に戻る。
散歩しないと筋力がなまってしまってしょうがない。
太陽光を浴びなければ生きている気もしないし。
けれどあらかた歩いてしまった。散歩しても散歩しても、同じ景色ばかり。
もう飽きた。そろそろ電車を使ってみるべきか。
観光に出かけるのもありか。
せめて、ビッグカメラにでも行けたら二時間弱はつぶせるというのに。
あぁ、屋内か。
公園にでも行って、何かスポーツでも始めよう。逆上がりにでも久々に挑戦してみようか。今になったらできない気がする。いや、まずは縄跳びから始めよう。その前に全力坂をまねて坂奪を走ってみるか。
色々候補はあるが、ぱっとしないな。
そんなことを毎回考えながら、散歩し、飽きたころに小説のアイディアというものが浮かんでくる。アイディアがアイディアのままで終わってしまえば、ただの妄想だがその妄想はいつか形にしたいものだ。
私は今日の午後に古い同級生とともに食事をとる機会があった。
Y駅近くにある少し古いビルの中にあるこじゃれた和風の魚料理店。
今日は暑かったからさっぱりして冷たい魚料理が食べたかったのだろう。
彼女とは別にあまり接点もなかったし、私は彼女のことをあまり知らなかったが、久方ぶりにあってみれば奥ゆかしくも気さくな感じがした。
失礼だろうが、少しだけシンパシーを一方的に感じた。
彼女と私の相違点は私は話したがりなのにあまり面白みがない、彼女は少ししか話さないが的を射たことを言っている。しかも面白い。
前々から私は話したがりな癖に内容が薄くて、面白みがないというのが欠点だと思っていたんだ。小説だったら壁打ちの如く話せる、そこが私の小説家業の好きな点だ。
癖になってしまってるのだろう。内面のことばかりに気を掛けて、外側への注意が散漫になってしまっているのが、自分でも分かる。
事実この小説にも一応背景描写はあるのに、それに対する私の感情というものは何というかプラスチック的な気がする。
模造品の感動とでもいえばいいのか、かたどられた感情の型に似せた樹脂を注入してそのように見せているような、感動しているはずなのに感動してないような、そこの食い違いは自分でもおかしく感じている。
私の言葉も短く相槌している方が良かったと思う。
意見を言うよりも赤べこのようにうなづいている方が、頭を垂れている方が、社会に求められるのか。自分が受け入れられない社会にわざわざいる必要があるのか。
私はしばらく口数を少なくすることに努めたい。
どうせろくな話題もないのだ、その内渇く舌の根だろう。




