7/30 友人とムスリム
友人とは何か、というテーマの話を最近見た。
その作品曰く友人とは死体の入ったトランクを見せても黙って話に乗ってくれる人のことを言うらしい。
私にも心から友人と呼ぼうと思える人が2、3人いる。
この私が自信をもって友愛を掛けられる相手がいるんだ。
けれど、そのうち一人は私がもし人を殺してしまっても気にも留めないだろう。
心配するでもなく、恐怖するでもなく、さして面白いとも思ってくれないだろう。
彼は私にとって友人ではないのだろうか?それとも、私自身がどこかで彼のことを友人ではないと思ってしまっているのか?
気づきたくない思いというのはいつも突然、脳みその見えない部分から湧き上がり煙のように視界をかすめる。
私は今日彼の家に行った。
彼は寺の家の息子で、彼の家は寺と東洋豪邸を足したような外観をしている。
内装も天竺風で人より大きい仏様の像が置いてあったりする。
彼はとても親切だけれど、言い表せぬ不真面目さがある。
それが不満だ。そこ以外の全てを愛せよう。友人とて嫌いな部分位あるだろう。
嫌いな部分も含めて好きになれるのが、私にとっての友人だ。
本音を言えば、私の愛を受け入れてくれる人がいいけれど、結局それは私に都合のいい人でしかない。
私が友人に求めている条件が高いのだろうか。私は人に多くを求めすぎているのだろうか。勝手に人に高い理想を押し付けて、勝手に落胆している。
いつもそんな独りよがりをしてしまっているのではないか、とても不安になる。
許してほしい。嫌わないでほしい。
最近はまともに人と話すのも難しいことに気づいた。
友人と話していると、突然意識がフラッと自分の内なる思考に行ってしまって、相手との対話のほとんどが相槌になりがちだ。
もっとまともに話せるようにならないといけないな。
頑張ろう。明日を生き抜くために、人生を楽しむために。




