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7/21 花告げる


最近の趣味は花言葉を調べることだ。

花言葉っていうのはラッキーナンバーとは違って、占い的な意味は少ないと思う。もちろんどこかボタニカルなオカルトではあるとは思うがその用途は相手に対して愛や感謝を伝えるためのものだ。


いや、本来は薔薇を送れば愛情の証、カーネーションは感謝、そんなイメージから他の花にも意味を持たせようとしたところから来たのだろう。


私もこの日記に、ただ思春期の恥ずかしい姿だけを黒々しく刻むのではなく、意味を持たせたいそう思ってタイトルに花の名前を乗っけるときがある。


プリムラの花言葉は青春の喜びと悲しみ、淑やかな人、無言の愛など。

カンナの花言葉は快活、情熱。

キョウチクトウの花言葉は危険な愛、美しき善良、油断大敵など。


私達が普段見下ろしている花は私以上に意味を持っている。

彼女らはそこに咲くだけで人々の心に美しさを運んでいく。

それはとても妬ましく、羨ましい。私の小説で誰かの心を美しくできるわけがない。


そこに咲いている花のように目がつくものではなく、私達小説家の生み出す異形の怪物たちは無垢なる読者によって能動的に手に取られない限り腐っていくだけなのだ。


私の小説は誰かを愛することも、癒やすこともできない。

なぜならそこに愛したいや、癒やしたという欲求しか書かれていないからだ。


愛したいという自らの愛欲を、癒やしたいという自らの奉仕欲求を色狂いのように満たしたいだけでしかない。


そんな自己愛の塊が他者を癒やせるわけがない。

それに比べて、花々は誰かのためになりたいと思わずとも、必然的に感動を生み、癒やしを与える。


私の小説がいつか花になるだろうか。

私を差し置いて青空の下、強く照らされるのだろうか。

私をおいて読者たちの手に渡ってしまうのか。


それも、悲しい。


結局、私は誰かのために成れない。その呪いの中にいる。

私の生み出したものがもし万が一誰かのためになっても、それは私ではない。私は求められることはない。


あぁ、花になりたかった。

もしくは最も醜い怪物にか。


嫌悪されても、理性のない何かに。






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