《1》
冷たい何かに、鼻先を突かれる感覚。ふとそれに目を覚ますと、目の前には先日生まれたばかりの、小さい手のひらサイズのウンディーネの姿。愛らしい瞳をぱちくりさせ、こちらを見つめるウンディーネ。それから目の前で楽しそうにくるくる回る姿。その姿はまさに、生まれたばかりのウンディーネの純粋さを物語っていた。
「どうしたんだ。何か良いことでもあったの?」
寝起きの思考は、そう簡単には起きてはくれない。けれど、愛らしいウンディーネを見つめて自然と笑みは溢れる。溢れた笑みのまま問いかけた僕を見て、喜々とした表情でこちらを見つめるウンディーネは、まだ言葉を話せない。
その代わりに、僕の周りを飛び回りこちらを嬉しそうに見つめる。
その表情を見てわかったことは、この世に生を受けたことへの喜び、だろうか。
「こっちへおいで」
未だ、飛び回るウンディーネを、自分の手のひらへと呼び寄せた。
大人しく手のひらの上へ座ったウンディーネは、こちらを不思議そうに見つめる。
水よりも、少し低いウンディーネの体温は、冷たくて心地いい。
「この世界は楽しい?」
そう問いかけた僕に、ウンディーネは満面の笑みで何度も頷いた。
そんな愛らしいウンディーネを微笑みながら見つめていると、ふと首元のペンダントが淡く光る。その淡い光は、水中で幻想的な光を輝かせる。
自分の瞳と同じ、そのアイスブルーの宝石がはめ込まれたペンダントは、ここにもうじき、来客が来ることを知らせていた。
「ウンディーネ、僕について来るかい?」
突然の問いかけに、ウンディーネは可愛らしく首を傾げる。そして、暫く僕を見つめてから笑顔で頷いた。
「じゃあ、兄さんと姉さんには内緒な」
そう言ってお互い微笑み合いながら、自室を後にする。
彩り豊かなサンゴ礁の間をすり抜けて、海の上へ向かって行く。
もうじき来る筈の客人に出くわさないよう最新の注意を払いながらも、ワクワクとした気持ちを抑えきれずにいた。隣にいるウンディーネも、そんな僕を見て瞳を輝かせ、楽しそうに泳いでいた。
しかし、そんな気持ちを覆すかのように徐々に近づく人影を目にし、ドキリとした。
「アベル。どこへ行くんだ」
少し、厳しい責めるような口調で投げかけられた言葉に、思わず立ち止まった。
僕の隣で、ウンディーネが少し怯えたようにこちらを見つめているのを感じた。
僕らに近づく人影が、ヨシュア兄さんだと気付くのに、それ程時間はかからなかった。
「⋯⋯兄さんこそ、どちらへ?」
僕の目の前までやってきたヨシュア兄さんに、白々しくそう返した。
そんな僕を見て、ヨシュア兄さんは若干呆れたように溜め息を吐く。
「父様とライル兄様が呼んでる」
⋯⋯どうやら、ペンダントが示していた来客の知らせは、ヨシュア兄さんの事だったらしい。
「⋯⋯皆、お前を心配してるんだ。理解してくれ」
「それは、僕だって理解してるつもりです。でも⋯⋯、でも僕はーー⋯⋯。」
言葉を飲み込み、黙り込んだ僕を見て、ヨシュア兄さんは困ったように眉を下げた。
「⋯⋯とにかく、今日は父様達のところに行ってくれ。いいな?アベル」
優しく問いかけてはくれるヨシュア兄さんだが、その言葉には拒否権などないように感じた。
去っていったヨシュア兄さんの後ろ姿を見ながら、下降の一途を辿る気持ちをなんとか持ち直して、ウンディーネに向かい合う。
「ウンディーネ、ごめんね、父さん達の所へ行こう」
隣で未だ、怯えたように僕の影に隠れるウンディーネに、そう言葉をかけて父さん達がいるであろう場所へ向かう。
僕の肩にピッタリくっついたウンディーネの姿を目にし、相当あの雰囲気が苦手だったのだと感じた。生まれたばかりのウンディーネには、あのピリついた空気感が怖かったのだろう。
この先、辿りつく場所の雰囲気を想像して、ウンディーネに申し訳なさを感じる。
謝罪とそして感謝の気持ちを込めて、ウンディーネの頭をそっと優しく撫でた。
すると、ウンディーネは安心したように目を細め、僕に向かって微笑んだ。