《10》
暗い海の底を進む。陽の光の届かないそこは、酷く冷たく寂しい場所だった。
ウンディーネは、僕の肩に座り僅かに首元にしがみついている。初めてのこの異様とも言える静けさに、少し不安を感じているようだった。シエル兄さんから貰ったピアスは、僕の右耳で揺れている。この暗闇の中でも僅かに光るこの魔法具には、一体何が組み込まれているのだろう。残念ながら、シエル兄さんからその答えを貰うことはできなかった。
そのまましばらく進む。すると僅かに光を放つ場所を見つける。シエル兄さんの住処と同じような岩場から放たれるその光は異様に感じた。光のおかげで目視できるその場所は、この暗い海の底には似つかわしくなく、まるで、悪魔にでも誘い込まれるかのように感じた。
「⋯⋯シエル兄さんの言うとおりだ」
ポツリと漏れた僕の言葉に、ウンディーネはしがみつく手に僅かに力を込めた。
「帰るかい?」
そんなウンディーネに、思わずそう問いかけるとウンディーネは頭を思い切り左右に振った。
「そうか。巻き込んでごめんね、ありがとうウンディーネ」
そうして優しくウンディーネの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
ゆっくりと光を放つその場所へ近づく。目の前までくると、より一層その異様さに身震いする。
左手を、目の前の岩場に添える。目を閉じると徐々に体が岩場の中に入っていくのを感じる。
大丈夫。もう、決めた事だ。
あとには、引かない。
「来客とは、珍しい」
体が完全に中に入りきったと同時に、そう言葉をかけられた。
ゆっくりと、目を開ける。
「客人よ、何を所望する」
目の前で僕にそう問いかけたのは、この暗い海の底にはとても似つかわしくない、美しき一人の魔女だった。溶けて無くなってしまいそうな程淡い、ブルーの瞳と髪。その瞳は何処か寂しげに揺れていた。透き通るように白い肌と相まって彼女の儚さに拍車をかけるようだった。
そして何よりも、異質な " それ " 。
魔女の周りをまるで縛り付けるかのように舞う黒薔薇の花びら。それは鎖のようで、逃さないと言わんばかりに魔女の周りを舞う。異様な光景だった。
「⋯⋯会いたい。会いに行きたいんだ」
小さく呟いた僕の言葉を、魔女は黙って聞いていた。
「その為に、足が欲しいんだ」
真っ直ぐ、魔女を見つめる。そっと右手で握り締めていた鍵を魔女に差し出す。シエル兄さんから受け取ったこの鍵は、どこか古ぼけていて、何の鍵なのか僕にはさっぱり検討もつかないけれど。これが僕に取って助けになると言った。兄さんのその言葉を僕は信じている。
差し出された鍵を見て、蒼き静寂の魔女は僅かに目を見開いた。魔女の周りの黒薔薇も、僅かに華やいだように感じた。しかし、華やいだのは黒薔薇だけであり、魔女の瞳はより一層悲しげに揺らいでいた。
「僕を、人にして欲しいんだ」
そう口にした瞬間、僕はその意味の重さを、言葉にして初めて気がついた。
禁忌を、犯す。
その意味を。