《9》
" 蒼き静寂の魔女 "
それは、海の底に一人住む美しき魔女の異名。本当の名など誰も知らない。
古くからその場所にいるその魔女は、何百年経とうとその容姿が変わらないのだという。魔女自身、呪いがかけられているのではないか、という噂までもある。
それはそうだ。陸の住人達と同じ人の形をしている者が、海の底に住んでいるという時点で些か違和感がある。曰く付きの魔女だ。
けれど、唯一。願いを叶えてくれるという。それも、それ相応の対価を払って。
支払う対価のあまりの大きさに、ここ数百年願いを叶えに行く者などいないと聞く。もはやある類のまやかしの様な魔女だ。その魔女に、僕は会いたいとシエル兄さんに伝えた。
その選択が、何を生むのかなんて深くは考えられなかった。ただ、頑なな自分の意志が、僕自身を縛り付けていく様に感じた。
「これ、肌見放さず身に着けてね~」
あれから、シエル兄さんの後ろを歩いて辿り着いたのは、兄さんの作業場だった。宝石を加工し装飾品にする仕事をシエル兄さんは、叔父さんから受け継いでいる。装飾品といってもただの装飾品ではなくて、魔法具の一種だ。
その魔法具の一種をシエル兄さんは、今目の前の僕に突き付けている。目の前で小さく揺れるのは、ピアスだ。少しだけ長めのシルバーのチェーンの下には、雫の様に僕のペンダントと同じアイスブルーの宝石が揺れている。
「これ、受け取ってくれないと蒼き静寂の魔女のもとへは行かせられないなぁ」
わざとらしくそう言って、ピアスを受け取るように促す動作をする兄さんに僕は思わず溜め息を吐いた。
「アベルくん、溜め息なんて吐いてたら掴める運も掴めなくなるぞ」
戯けたように言うシエル兄さんに思わず呆れてしまう。
「シエル兄さん、ふざけないでくれよ」
「本気だよ」
兄さんの言葉に思わず押し黙る。
「いいから、余計な事は考えずにとにかく受け取れ」
最初とは違い半ば強引に僕の手のひらにピアスを収めた兄さんは僕に背を向け、なにやら机の引き出しを探しながら続けて言う。
「お前はそれを、ただ肌見放さず身に着けていたらそれでいい。そうしたらその内わかる。まぁ、わかるような事が起こらないことが一番だけど、それは絶対にないから。⋯⋯アベル」
シエル兄さんは探している手を止め、一つの鍵を取り出して言った。
「後悔だけは、するなよ」