撞球台屋のグッド・バイ(三十と一夜の短篇第29回)
「部長、ご定年おめでとうございます」
つい少し前まで、この台詞を言っていたわたしがいつの間にか言われる立場になっていた。
二十歳を超えると時間が経つのは速い。三十歳を超えるともっと速く、四十歳を超えると――と、言う間に六十五歳。大学生たちが年下になり、学校の教師や警察官が年下になり、暴露本を書いた往年の元アイドルが年下になり、政治家が年下になり、徳川家康を演じる名優が年下になった。歳を取ることの速さをテーマにしたことわざや格言はそれこそたくさんあるが、どこかで自分にはまだ関係のないものだと思っていたが、三年前、電車の椅子をどうぞと譲られたのをもって、自分がどこに出しても恥ずかしくない年老いた人間になったのだと知った。
もらった花束を抱えて、会社を出る。送別会をやるかときかれたが、遠慮して、長い付き合いのある連中と小さく飲んだ。
会社から駅までの道は幹線道路沿いの短い道のりだ。四十年以上、往復した道。会社に行くために歩いて、家に帰るために歩いた。この道際のビルの四階にビリヤードの台を売る店があった。昔からある店でビリヤード場ならともかく、ビリヤードの台を売るなんて店はここ以外きいたことがなかった。ビリヤードのことはさっぱり門外漢なので、いろいろ疑問もある。年に何台くらい売れるのかとか、ビリヤード台のような巨大なものを売るにも関わらず四階に店を持っているが、商品が売れたときはどうやって外に出すのかなど。いつかふらりと冷やかしに入って、きいてみようと思っていたのだが、どういうわけだか、またの日にしようと先延ばしになり、今日に至る。この道を通るのも最後になるかもしれない。またの日はもう来ない。あるのは今だけだ。
そんなわけでわたしはビルの路地側にある入口の前に立っている。その狭い階段は店に直通しているらしく、ガラス扉の上に小さな看板がかかっていた。
『キツツキ亭 ⑧ 撞球台販売・修理』
⑧の位置に、黒い8番ボールの上にオオアカゲラが止まっているイラストがある。それはデフォルメなしの、図鑑に載っていそうな非常に写実的なオオアカゲラだった。イラストは赤と白と黒のみで完成していたので、撞球という普段は絶対使わないであろう言葉とともに、とてもシャープな印象を与える。
そんな看板を見て、わたしは悔やんだ。どうせ行くなら昨日にすればよかった。花束を手にしてビリヤード台の販売店に入れば、店側もこのジジイ何考えてるんだ? と思うだろう。
だが、じゃあやっぱりやめるかと言われると、それも違う気がする。今日を逃したら、もうチャンスがない気がした。明日来ればいいとは思えなかった。仕事がないのに会社の近所までビリヤード台の店を冷やかすためだけに出かけることなどしないのは自分が一番よく知っているつもりだ。明日、明日と伸ばしているうちに、今度はぽっくり逝ってしまうのだ。
だが、今からこんな調子では定年後の有り余る時間をどうしたものか。人並みだが、妻とあれをしよう、ここに行こうと計画は立てているし、結構長いヨーロッパ旅行もするつもりだが、そうした計画はせいぜいもって半年で、そこから先はやることがない。去年、定年退職した常務が会社にぶらりと現れて、やあ懐かしいと、あれこれ話していたが、その元常務がこう言うのだ。
やることがない。
彼には趣味があった。釣りだ。川も海もどちらもやる。役員室にはマグロの魚拓があるほど釣りにのめり込んでいたし、引退したら釣り三昧の日々を送ると常々言っていたが、退職後、わずか三か月で飽きてしまったらしい。仕事の隙間になんとか有給を取って行ったあの釣りの面白さが、今の釣りにはどうしても感じられないというのだ。
わたしには趣味らしい趣味はない。仕事の関係でゴルフはやるが、それにのめりこむわけではないし、正直、ゴルフ場まで行かなくても、近くの打ちっぱなしで十分だと思っている。
ふと、気づいたのだが、路地に面したビリヤード台販売店の入り口前は定年後の時間の使い方を考えるのにあまり向いた場所ではないらしい。さっと入って、五分くらい店内を見て、長年の疑問であるビリヤード台の外への運び出し方を店の人からきいたら、さっといなくなろう。
ドアを開き、階段を上ると、清掃道具が端に寄せられた踊り場に着き、またガラスの扉があった。今度はガラスに直接『キツツキ亭 ⑧ 撞球台販売・修理』とある。中を覗いて見ると、高速道路と同じ高さの窓がある大部屋にビリヤード台が並んでいて、客なのか店員なのか分からないワイシャツ姿の小太りな男が赤いビリヤード台のそばで芝でも読むように腰を落として、台の表面を眺めている。
ドアを押しあけると、男がこちらを向いて立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
思ったよりもとっつきやすそうで助かった。ただ、花束を抱えたわたしを見ても、驚いたり、好奇心らしいものを見せたりはしない。ただ、物分りよさそうに微笑んでいて、それを見ると、下でやきもきしていたのが馬鹿らしくなる。
「今月はお客さんで三人目ですよ」
突然話しかけられ、「何がです?」とたずねたが、思いのほか声がひっくり返った気がする。
「花束を持って、うちに来たお客さんです」店主は言った。「みなさん、同じくらいのご年齢です。まさかうちをデートの待ち合わせに使うとは思えないから、みなさん定年退職したばかりなのでしょうね。うちが四階からどうやってビリヤード台を運び出すかその疑問をそのまま定年の日まで引きずって、ついにその日になってやってくるんですよ。でも、今月は少ないほうです。まだ三人ですもんね」
相手はビリヤードの芝(これであっているのだろうか?)を読むのと同じくらい、空気を読むのも得意らしい。
「別に企業秘密ではないので、教えて差し上げてもかまわないんですが、あいにく、先客がいまして」
固い玉がぶつかり合う音がした。見ると、ひとりの若者が玉を突き終えて、ゆっくり身を起こし、あちこち滑ってぶつかり合う玉の様子を目で追っていた。表のドアからは死角になっていたのだろうか? わたしはこの若者がいたことに気づかなかった。こんなことを言えば変だが、今、突然現れたように思えた。
わたしは、先客があるなら、どうぞ、と言って、もう帰ってしまおうかと思ったが、店主が、
「いえ、お約束の相手はあなたです」
と、言った。
「何かの間違いでは?」当然の問いをした。「わたしはここに来るのも初めてですし、あの人とも会ったことはありませんよ」
と、言いながら、わたしはなぜか違和感を覚えた。あの若者と会ったことがあるような気がしたのだ。それも一度や二度でなく、何度も。だが、そんなはずはなかった。それなら顔を覚えているのが普通だ。だが、その顔は――会ったことがないのに、どこかで見た気がしてくる。わたしの脳裏にアルツハイマーという物騒な単語が浮かんだ。
しかし、不思議な青年だ。会ったことがある気がするだけでない。その印象の悪さが不思議なのだ。どこにでもいるごく普通の若者にしか見えないのに、わたしは彼から悪い印象ばかり得ていた。その微笑みも、挨拶してきたときの声質も、控えめな態度も気に入らなかったのだ。慇懃無礼なわけではない。むしろ、ふるまいは誠実で、裏表のある人間にも見えないのに、どうも気に入らないのだ。
「今日はお別れをいいに来ました」若者は言った。
「お別れ? あの、失念していたら許していただきたいのですが、わたしと会うのは初めてだと思います。人違いでは?」
さっきから感じる人間関係のデジャヴのことが気にかかる。若者は続けた。
「堀原信二さんですよね?」
確かにそれはわたしの名前だった。
「間違いありません。あなたは僕と会ったことがあります。何度も何度も。毎週必ず一回は会っています」
「ですが、わたしには覚えがないのです」
「それは僕が今のような姿をして、あなたに会いに来たことがないからです。ところで、あなたは僕が嫌いですね? あ、いえ、嫌いでいいんです。たいていの人は僕が嫌いです。僕が来ると、子どもも大人も嫌な顔をするのです。僕のほうではどうしようもないのですが、でも、七人のうち誰かが嫌われる役を引き受けないといけませんしね。僕はあなたにお別れを告げに来ました。もう、あなたは僕に嫌な感情を抱く必要がなくなり、その結果、僕は消えてなくなるのです」
「消えてなくなる?」
「別の僕がやってくるでしょう。他の六人と大差のない僕が来るんです。ああ、もうすぐお別れです。行かないと。さようなら」
若者は現れたときと同じくらい静かに立ち去った。
そのとき、突然、頭のなかの霧が晴れた。その霧は常識という名で、何かあるたびに「そんなことあるはずがない」「常識で考えればわかる」といった言葉のヴェールをかけていた。それがなくなったとき、わたしは彼が何者であるのかを知った。なぜ、彼に悪印象を抱いたのか理由も分かったし、それは彼の責任ではなく、人間がつくったルールのせいなのだ。それが分かると、わたしはあの若者に無性に会いたくなった。会って、かけたい言葉ができてしまったのだ。
「彼、帰りましたね」
いつの間にか姿を消していた店主が戻ってきた。
「さて、と――では、わたしがどうやって台を外に運び出しているか、ききたいですか?」
わたしは首をふった。
「いいえ、また、次の機会にします」
わたしは店を出て、表通りの駅へ向かう人の流れに身を浸した。
帰りの電車に揺られながら、ふと思う。
ビリヤードを定年後の趣味にしたら、妻は笑うかもしれないが、それもいい。
今度、キツツキ亭に行ったとき、もし、あの若者がまだいたら、こう挨拶しよう。
こんにちは、月曜日さん。これからもよろしく。