心臓の重み係数
謎展開。
心臓。それは脳とともに一番最初に誕生する臓器。
定期的に拍動を行い、血液を全身に送り出す筋肉質のそれは、古くより、命そのものとして表現されてきた。
現在でも心臓の停止が命の終わりを意味するという認識は根強く、生物の最重要臓器という風潮はこれから先も続くものと思われる。
栄養の吸収を行う小腸や大腸、解毒、消化などの多くの機能を併せ持つ肝臓、老廃物を濾過して排出する腎臓など、人間の臓器とはそれぞれが優れた機能を持っているものだが、その中でも心臓の人気は計り知れないものがある。
これは考察の域を出てはいないが、心臓の人気には三つの理由があると思われる。
一つ目は「拍動をする」という、本人が意識が出来る行動をしているというものだ。何かを食した場合に、胃による消化が行われるが、いつ消化活動が行われているのか、その結果食べ物がどうなったかを知る術はどこにもない(便と言う末路自体は知ることが出来るが)。
他の臓器にしてもそうだが、自分が生きている間、体の中で一体何が行われているかを理解している人は少ない。というより、意識すらしていない人が大半だろう。それだから、致命的な病気が発生し、生命の危機にまで瀕して、ようやく自分の身体のありがたみについて(心底後悔しながら)理解することとなるのだ。
それに対して心臓というのは分かりやすい。手を胸に当てることで、拍動を感じることが出来、それはすなわち、自分が生きているということをはっきりと示すものだ。活躍を身近に感じることの出来る臓器は心臓くらいのものだろう。
二つ目は「小さい体で一生働き続ける」というドラマ性である。心臓の筋肉が他より頑丈な特別製であることは、少し探してみれば分かることなので割愛するとして、「一生働き続ける」というのは、ともかく魅力的だ。怠けることに全力を注ぐように設定されている脳と比べれば、正反対のような性質を持っており、まるで尊敬のような念を抱いてしまうのである。
また、こぶし大の大きさという表現も、小さいのにパワフルというギャップを生み出すことに成功し、心臓は他の臓器にはないキャラクター性を手に入れることに成功したのだ。
小さい子が健気に頑張っており、しかもその行為が非常に重要なものだったとすれば……これは重宝せざるを得まい。胃に穴が開こうが、守ってあげたくなってしまう小憎たらしさがあると言えよう。
そして三つ目は「こころの存在」である。
昔、精神とは心臓から生み出されるものとされていた。成程、緊張すれば心拍数が上がり、拍動も聞こえるようになってくる。悲しいことがあれば、胸が張り裂けそうになる。嬉しいことがあれば、胸がじんと温まるような気がする。
脳の機能により制御されていると分かっていても、心臓の想いというのは、脳とは独立して明確に存在しているのではないのか、と信じる人は少なくない。
それが「こころ」と呼ばれるものであり、部分的な機能を持つ臓器に過ぎなかった心臓を、我々の現身、鏡にまで昇華させた要因である。
別の言い方をするならば、自己主張が上手いといったところだろうか。
肝臓や膵臓は良く「沈黙の臓器」やら「暗黒の臓器」やら呼ばれる通り、ともかく自己主張がない。優秀なのだが、傷ついても全く音を上げてくれない。嬉しかろうが悲しかろうが、素知らぬ顔で平常運転している。しているように見える。
もっとコミュニケーションを取れば、きっとキャラ立ちするに違いないし、苦労を労って休肝日を増やそうとも思えるのだが……
ただ、闇雲に声を上げれば良いというものでもない。胃がその良い例で、ひたすらキャーキャー喚き散らす。「ストレスだああああ、ストレスだあああああ、わあああああ、痛いいいい痛いいいい」などとひたすらに信号出しまくり。
脳はその度に駆り出されるので、へとへとに疲れてしまう。身体の中にクレーマーを飼っているような気持ちにさせられる。
話を戻そう。三つの理由から出される結論として、心臓というのは総じて、英雄的な性質を持っているということだ。
拍動を行うという一貫した目的があり、一生動き続ける気力があり、そして出来事に対して適度に感情を出すことが出来る。
これは主人公の器だ。ミリオン・ノベル・チャレンジの題材として、ふさわしいと思われるが如何だろう。
こんなに物語性のある臓器を私は知らない。
何よりも、誰もが持っている代物なので、共感するのが楽という大きな利点を持っているではないか。
このことを左脳に話してみたところ、「でもあそこ、ブラックだって専ら有名だぞ」と何やら不穏なことを言い出したので、早々に逃げ出し、今に至っている。
え、陰茎?そんなのは知らない、認めない、看過しない。