86話 AI
───「…コンピュータが家出をしての。」
唐突に…本当に唐突に、そんな事を曰ったのは…
俺の目の前に座る一人の美女。
「 ふぁッ!? 」
ココアにお塩をひと摘み入れようとしていた俺は手を止める。
窓際のやわらかで暖かな陽の差す席。
初冬のうららかな小春日和の日、猫田の街にさるとある喫茶店での出来事である。
「カチリ…」と珈琲カップを皿へと戻し
蒼玉の瞳をいたずらっぽく揺らし、自慢の黄金の髪を陽光で輝かせ
面白そうな表情でジッと俺を見つめている。
狐神の玉藻さんである。
彼女はクスクスと笑いながら、話を続ける。
「なんか書き置きが残っておっての。」
『地球環境を守るために人類を滅ぼします。探さないで下さい。』
「そんなのが書いてあったわ。」
えーと…それは世間一般で言うところのコンピューターの反乱というやつでは?
まさか、こんなご近所に人類の危機が転がっているとは思わなんだ。
今すぐに地球防衛軍か自衛隊に連絡しなきゃネ!
しかし、なんだってそんなモノが…
スーパーコンピュータとかが簡単に家出とか出来るモノなのであろうか?
するといきなり真顔になった玉藻さんは
「いやいや」とばかりに目を寄せ否定的に手を振り
「自分の事を人工知能だと思い込んでおる、古いパソコンの付喪神じゃ。」
…思い切り面倒くさいヤツだ。
「まあ、お腹が空けば帰って来るじゃろ」
そんな猫や犬じゃあるまいし……。人様でも襲ってからじゃ遅いんですよ!?
「では、そろそろ行くか?」
玉藻さんは、そう言ってバックを持つと席から立ち上がる。
そうだね、そろそろ帰ろうか。
すると彼女はニンマリと笑い、俺にすり寄ってくると耳元に顔を寄せ。
その魅惑的な桜色の唇を震わせ、こう囁く
「 ラ・ブ・ホ (はぁと 」
「行かねえよッ! 」と思わず叫ぶ。
その時のことである。
──『 バ ン ッ !』
喫茶店の扉が勢いよく開かれると、白い何かがゴロゴロと店内に転がり込んできた。
それはバッと空中に跳躍すると、俺を引っ掴み離れた位置に着地する。
「キャー!」
思わず俺は悲鳴を上げる。
そして恐る恐る、俺を小脇に抱えているモノを眺める。
それは長い黒髪を振り乱し「はぁはぁ」と荒い息をした着物姿の一人の女性だった。
雪音さんであった。
その表情は…ちょっと、というか、かなり鬼気迫るものであった。
眉を逆立て、目を三白眼にして、玉藻さんを睨みつけている。
俺を床にそっと下ろすと、ものすごい勢いで近づいてきて
「ぐっ」と顔を寄せ、「くんくん」と、まるで犬のように俺の体の匂いを確かめてくる。
「あのぉ…雪音さん? どうしてここに? 」
そう声を掛けると、ギョロリッ!と怖い目で睨まれた。
その迫力には、思わず沈黙せざる得ない。
……何やら不思議な確認の儀式が終了すると
俺を玉藻さんから隠すように前に立ち「グルルル…」と
まるで子犬を守る母犬のような奇妙な唸り声で、玉藻さんを威嚇し始めた。
「…善意の匿名の方の通報がなければ、危ないところでしたわ。」
「また夏樹さんを『拉致』しましたね!? 」
額に青筋を立てた雪女は、眼の前にいる金色の雌狐さんに叫ぶ。
「…フン、拉致とは人聞きの悪い…ちょっと眠らせて連れてきただけぞ? 」
それに対して、玉藻さんは悪びれた様子もない。
「それを世間では『拉致』って呼ぶんです! 」
その返しに、額の青筋を数本増やし、更に激高の度合いを高めた雪音さんが言い返す。
この騒ぎに店内はざわつき「ナニあれ?」「痴話喧嘩?」「ヤダ最低。」
と、世間様の厳しいご意見。
「他者の逢瀬を邪魔する嫉妬深い雪女め。」
「我は、ちょっとお茶して、このあとラブホに連れ込もうとしただけじゃ。」
「其れ、ちょっとどころじゃないじゃないです、大問題です!」
「二人とも落ち着いて!……とりあえずお店出ましょう!」
周囲からの突き刺すような冷たい視線が居た堪れないヨ!!
俺は大急ぎでレジで支払いを済ませる。
店員の女性のまるで汚い物でも見るような視線が、とても心に痛かったです。
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店を出て近くの公園までやって来ると
「……フフッ」
「……ホホッ」
雪神と狐神の両者は、顔を歪ませおかしな笑みを浮かべ対峙する。
そして周囲に妖気、霊気を渦巻かせながら叫んだ。
「今日という今日は決着を付けねばなるまいの…」
ぽぅと玉藻さんの手の平に、青白い狐火が灯る。
「色ボケ横恋慕キツネは、極低温で頭を冷やして差しあげるしかないようですね…」
雪音さんの周囲には、凄まじいまでの凍気が渦巻き始め荒れ狂う。
「ねえ、二人とも止めてよ。」
俺としては、ここは必死に懇願せざるえない。
「止めないでくださいまし。」
「そこで見ておれ。」
いや、止めないとご近所さんが大惨事なんです!
「勝ったほうが夏樹をお嫁さんにするのじゃ。」
「夏樹さんをお嫁さんにするのはわたくしでしてよ?」
ええッ!俺がお嫁さんにされるの!?
───雪女と妖狐、この二柱の戦い
まずは相手の霊力妖力に対する妨害攻撃から始まった。
互いに相手の妖力攻撃の封じ合う。
それと並行する形での、徒手格闘戦。
相手に物理的打撃を加え、霊力妨害を打ち消すことによって
一方的な妖力による優位の確保を目的とする打撃戦であった。
目にも止まらぬ様な、連撃と受け流し
まるで中国拳法の達人同士のような攻防戦が目の前で繰り広げられる。
もはや、この期に及んでは、二人の間に割って止めに入るのは
普通の人間にとっては危険極まるデンジャー・ゾーンである。
大変、危険ですので白線の内側までお下がり下さい。
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───そんな二人の格闘をハラハラしながら見守っていると
背後から強烈な殺気を感じた。
おでこに稲妻が走り、本能が「避けろ!」と叫んだ。
サッと身体を回転させ半身を引き右へと位置をずらす。
すると今まで俺が居た場所へと、フルスイングされた釘バットがめり込んだ!
「くくくッ……よく避けましたデス。」
おかしな喋り方の電子音声が背後から響いてきた。
「しかし、異常発達したニュー童貞なら致し方なし。とゆーところデス。」
なんだとコラ!?
そこで、俺を襲撃した人物をマジマジと見る。
攻撃を仕掛けてきたのは、見るからに異様な人物だった。
首から上が古いディスプレイモニターの載ったPC
そして首から下はマッチョな全身タイツ姿をした怪人物。
そんな人物が釘バットを握り締めて俺の前に立っていた。
デデデーン! 恐怖! パソコン・マンだったのだ!
ピンときた!
(コンピューターが家出をしての)
先程の玉藻さんの言葉が脳内に蘇る。
「お前が逃げ出したコンピュータか!?」
内心で(パソコンが物理で襲ってくんじゃねえよ!)とか思った。
「ふふふ、そーデス。私が新たな地球環境の救世主デス。」
「そして姫神夏樹サン、アナタを粛清する者デス!」
「 ! 」
そうか、コイツが雪音さんに匿名で通報したヤツだったんだな!?
二人を争わせ、そのスキに俺を狙うのが目的だったのか。
…だが?と考える。
「なぜ俺を襲う?」
PCマンのモニターにはドットで構成された顔が浮かび上がり
その表情は、さも嘲笑するかのように口の端を吊り上げる。
「…あなたは危険デス。」
「いずれ妖怪女性にポコポコ子供を産ませる類の人間デス。」
「そして不老や長寿の妖怪ハーフがバンバン増えた日には、やがて地球環境を食いつぶすのは明白デス!」
ちょっと君失礼過ぎませんか?
まるでボクが見境なしの色情狂みたいに聞こえるじゃないですか?
そもそも、そんなこと出来る度胸あるなら苦労してませんよ!?
「……人類根絶は痴情のもつれから。」
「 ふぁッ!? 」
そしてPCマンは、自信満々に恐るべき人類絶滅作戦の概要を説明し始めたのだ。
「フフフ…男女間に痴話喧嘩を引き起こすことによって、出生率を引き下げ、やがては人間どもを絶滅へと導くのデス!」
…えーと、壮大なんだか、セコいんだか、悠長なんだか、よくわからない計画ですね?
出来れば、そーゆーのは偉い人たちとか悪い人たちから始めて下さい。
「アナタの言い分もわかりマース、だって子供やお年寄りだとかわいそうデスからネ! 」
……人類絶滅とかゆーてるクセに、意外とお人好しネ!
「…だからと言ってムキムキマッチョとかヤンキーチンピラの類は怖いのデス! 」
そこはヘタれんなよ。恐れることなく立ち向かってくれ。
「だから人類根絶は、比較的弱そうで、あんまり良心の痛まなそうなリア充から始めるのデス! 」
そう云って怪奇パソコン男は、手にした釘バットを再び握りしめる。
ざけんなコラ!
コンピューターならコンピューターらしくインテリジェンスな手段で来なさいよ!
なんで釘バットのフルスイングという物理攻撃なんだよ!?
「例え異常発達したニュー童貞と言えども、身体を使うことは普通の人間と同じだからデス!」
そして、その禍々しい凶器をブンブンと振り回しながら、俺に向かってきた。
「誰がニュー童貞だ!? 」
冗談じゃない!とばかり脱兎のごとく逃げ出す。
三十六計逃げるに如かずである。
「ムッ?逃げるとは卑怯デス!大人しく撲殺されなさいなのデス!」
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──「なにやってるの?」
必死で遁走している最中に、そんなどこか呑気な声がかかる
そこに居たのは
美しい柳眉、優しげで切れ長の黒い瞳。
長い髪を背中の部分で結わえ、すらりとして流麗な身体付き
白のTシャツにオリーブグリーンのMA-1のフライトジャケット姿
細身のブルージーンズパンツをビシリと決めた、ウホッいい男!
イケメン子なき爺の担君だった。
そして、そんな美男の隣に佇む美女が一人…
黒地の着物に銀糸で見事な刺繍、蜘蛛の巣柄の刺繍。
黄色と黒の帯を締め
長く美しい黒髪をにべっ甲細工の蜘蛛の髪留めで止め
血管が浮き出るような真っ白な肌に、血のような真っ赤な唇。
大きな黒目で、涼やかな目元の絡新婦の紬さんだった。
やっぱり今回も一緒にいる。
否定してたけどキミたちってば付き合ってんじゃありませんか?
美男美女のカップルとかムカつくよね…死ねばいいのに。
「見てわからんか!?」
ちょっとだけ苛ついた俺の言葉に
2人は顔を見合わせ、小首をかしげ笑顔でこう尋ねてきた。
「…鬼ごっこ?」
釘バット振り回して追いかけっこする鬼ごっこなんてねえよ!
「ムッ?他のリア充も発見デス!」
美男美女の二人連れを発見したパソコンマンはそう叫ぶと
「情け無用ファイヤー!」とばかりに、手にした凶器を振り上げ2人にも襲いかかる。
ちょっとだけ、こいつとは解り合える。そんな思いが頭の片隅をよぎる。
「あぶないよー」
涼やかな警告の美声を発した、女郎蜘蛛の美女は手から銀糸の糸を伸ばすと
怪奇なPC男を雁字搦めにして動きを封じる。
「なっ!ナンデース貴女は!?」
そんなパソコン野郎の誰何の声に、女郎蜘蛛の紬さんは、奇妙なポーズを取りながら答える
「ふふふッ…ヒトの愛に咽び泣く女!それが絡新婦のわたし!」
色んな所から怒られるから、その台詞ヤメなさいッ!
「そーれぇ!」
女郎蜘蛛美女は、そう叫ぶと
まるで熟練したパペット・マスターの如く、手にした糸を、細くしなやかな指でたぐり操り始める。
すると紬さんの糸に絡め取られていたパソコンマンの手足は勝手に動き始め
優雅に踊り始めたのであった。
バレエの「白鳥の湖」だった。
「くぅ!何というハッキング能力!身体のコントロールが効かないデス!」
…いやぁ、それってハッキングなのかなぁ?
「んじゃ、今度はボクの出番かな?行くよ? あ、コート持ってて。」
男らしくガバッとジャケット脱ぐと俺に預けてきた。
くそぅ…イケメンは服を脱ぐ動作すらカッコいい…ジェラしいったらありゃしないッ!
スマートな担クンは白地に大きく「拾七」と漢字がプリントされたシャツ
お前は、お前で別のとこから怒られそうなことを…
蜘蛛の糸に絡め取られ、動きを止めたPC男の背後にヒョイと飛び乗り
イケメンは真珠の涙を零し始める。
『…グッ!…ガッ!』
凄まじいまでの超重力の荷重により、パソコン男は地面にめり込んでいく…
やがて完全に埋没すると、手に白旗を掲げ恭順の意思を示す。
──戦いが済んで日が暮れて、時刻はすっかりと夕刻である。
西の空にはカラスたちの群れが「カーカー」と鳴き、ねぐらへと帰る姿が見える。
…史上初のAIの反乱と人類の抗争。
実に虚しい勝利であった。
俺達の前に力なく膝を屈しへたり込む、パソコンの付喪神。
その寂寥感にたまらず声をかける。
「人間の愛を信じて欲しい…ヒトの愛は地球環境をいつか回復させるよ?」
まあ、行いはサテ置くとしてもこやつも地球環境のためにと、こんなこと始めたんだよな。
そんな俺の言葉を沈思黙考して吟味していた怪奇パソコンマンは…
「そーデスネ…信じてみましょーカ?人類の愛を…。」
おお、遂に我々は理解し合うことができたのか?
そんな俺達を祝福するかのように
子なき爺の担君と女郎蜘蛛の紬さんの2人は穏やかな笑顔で拍手をしながら
「おめでとう。」
「おめでとう。」
お前ら頼むから、さっきからやってる怒られそうな真似をヤメテッ!
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──そんな俺達を傍目に、対峙する雪姫と狐神の二柱…
街はオレンジ色に染め上げられ、ポツリ、ポツリと街の灯が着き始めた。
2人の間を地平に没しつつある夕陽が紅く照らす。
先程までの激しい応酬は鳴りを潜め、静寂とともに睨み合う。
「両者ともに妖力妨害を止めたね。」
「大技で決着を付ける気みたい…」
雪音さんは、無言で、静かに…静かに腕を十字に組む。
対する玉藻さんも、両指を額へ当て必殺の構えを取る。
こっちもこっちで怒られそうなことをし始めた!
「抹殺してさしあげます!愛ゆえに」
「ふん、返り討ちにしてくれるわ、愛ゆえに」
この2人のやりとりを見ていたパソコン男は唸るように呟く…、
「なんか人類、愛ゆえに勝手に滅びそうデース…」