81話 ぴんぽん
──小狐式神の天色と鈍色がトテトテと休憩所へと駆け込んで来た。
この2人の式神妖狐は実は血の繋がった姉妹である。
2人は薄紅色の陣羽を羽織ったピンクの浴衣姿。
髪は濡れたままで手にはフルーツ牛乳の瓶を持っている。
そして扇風機の前まで来ると、ピタリと止まる。
おもむろに「ポンッ!」と牛乳のフタを開けると、片手を腰に当て
「ゴクゴク」と一気に飲み干す。
風呂上がりはビン牛乳…それもフルーツ牛乳、もしくはコーヒー牛乳が望ましい。
「「ぷはッ!」」
口の周りにフルーツ牛乳のヒゲを作りながら、満足気に息をつく。
実に正しいお風呂あがりの作法である。
「パーフェクトだ!2人とも。」
「感謝の極みでありまする。」
2人は今度は牛乳に取り掛かった、二本目は椅子に座り足をプラプラとさせながら
ゆっくりと味わいながらチビチビと飲んでいる。
「宴会の料理が食べられなくなるよ?」
俺の忠告に2人の式神はキョンとした顔をする。
そしてニッコリと笑うと口々に
「牛乳を飲めば胸が育つと聞いたでありまする!」
「目指せ!主上様でありまする!」
ビシッと天井へ指を立て、そんな少女の主張をカマしてきたのです。
それを聞いてたのが、丁度温泉から戻ってきたばかりの雪音さん。
彼女は「…フッ」と自嘲気味の笑みを浮かべると
「それは迷信ですよ? 牛乳なんか幾ら飲んでも育たないのよ?」
…なにか非常に実感のこもったお言葉でした。
そう、まるで既に試したことがあるかのような説得力が感じられましたネ。
「奥方様の様になってからでは手遅れでございますからね」
湯上がりの黒酢飲料を手に持った、妖刀がいらん混ぜっ返しをする。
その一言に「ガンっ!」と打ちのめされたかのように膝をつく雪音さん。
しばらく間、床に手を付き「はぁはぁ」と荒い呼吸をしていたが
「いいでしょう!私という壁を超えて成長なさいませ! 」
顔は笑っていたが、雪音さんの表情からは血の気が引いていた。
「低いハードルでございますねえ。」
ほぅと軽くため息を付き、まるで何かを憐れむかのような表情で妖刀はそうつぶやく。
…俺も温泉に浸かってきますネ。
***************
─戻ってくると休憩所の片隅にあった、卓球台の周りを式神たちがウロウロしている。
やはり温泉宿と言えば、卓球やレトロなビデオゲームである。
「卓球するでありまする!」
早速ラケットとボールを握りしめた式神たちはテーブルを運んでくる。
準備を終えると、鈍色と天色の二人は早速ゲームを開始した。
コン!コン!、カコッ!
コン!コン! カッ
ラリーをしているのだが、二人は全くボールを落とさない。
フェイントを掛け、反対側へとボールが飛んでも、すでにそこでラケットを構えているのだ。
子供の妖狐であっても、流石は妖怪といったところか…。
超反応と運動神経、マジでパネっす!
「私と対戦しませんか?」
隣りにいる雪音さんは、浴衣のたもとを押さえながら
恥ずかしげに笑みを浮かべ、俺に誘いを掛けてきた。
式神たちの勝負を見てた身としては、正直勝てる気がしない。
が、こういうのも温泉場での恒例のイベントでもあるしね。
「そうだね、宴会前に一勝負しようか?」と軽く応じる。
だが、その時に何処からともなく「ポロン、ポロン」とギターの音色
そして「ちょいと待ちなぁー」との声がかかる。
見れば浴衣に陣羽織姿にテンガロン・ハットを目深に被り、ギターを掻き鳴らす一人の人物。
風呂から上がってきた玉藻さんであった。
「…いきなり何です?」
怪訝そうな顔をして、雪音さんは玉藻さんに尋ねる。
この問いかけに対して黄金の狐神は、口元に笑みをを浮かべ
「姫神の温泉卓球の達人「ピンポンの魔女」こと…雪女の雪音。」
「…まあ、そんな風に呼ばれたこともありますけど。」
雪音さん、貴女いったい幾つ二つ名を持っているんですか?
てか、「ぴんぽんの魔女」ってナニよ?
「だがッ!…その腕前は、ここでは二番目じゃ。」
「……じゃあ、一番は誰なんです?」
すると玉藻さんは「ヒューッ」と口笛を吹き
人差し指を軽く振りながら「チッチッチッチッ!」とキザな舌打ち。
深く被っていたテンガロン・ハットの鍔を押し上げ「我じゃ」と己を指差す。
「……で、何が言いたいんですか?」
雪音さんは半目になりながら、玉藻さんの真意を問う。
「せっかくじゃし、賭けなどせぬか?」
蒼玉の瞳を悪戯っぽく揺らし、そんな提案をしてくる。
「賭け?」
雪音さんは怪訝そうな表情で、狐神の突然の提案を吟味する。
彼女の思惑を推し測りかねての事であろう。
「我と卓球の勝負して、勝ったほうが夏樹の部屋で一緒に休むのじゃ。」
衝撃的な申し出であった。
俺的には大歓迎すべき事態であろう。普通ならそうだ。
でもボク怖い!
「馬鹿馬鹿しい。」
そんな玉藻さんの提案を一笑に付し、クルリと背を向ける雪音さん。
「あー負けるのが怖いんじゃな?」
「……」
この玉藻さんの安い挑発の言葉に
雪音さんは無言のまま卓球台の片側に陣取ると、すぅっとラケットを構える。
「……宴会前に、さっさと終わらせますわよ?」
ちょっとッ!
「くふッ!」
してやったり!と、奸邪の笑みを浮かべた狐神は、被っていた帽子を放り投げ
その中へと収められていた、見事なまでの黄金の髪を揺らす。
だが…驚くべきことに、彼女は自慢の金髪を縦ロールにしていたのだった!
思わず「お玉夫人!」そう呼びそうになる。
「サーブは、そちらからでよろしくてよ? 」
すげー、なりきってるよ! この狐神!
この玉藻さんの舐めまくったセリフに、笑顔のまま頷く雪の姫神。
ただ額には、しっかりと数本の青筋が増えていたのだった…。
「では、失礼しまして……はっ!」
ガッ!!!
言葉とは裏腹に、もの凄い形相で強烈なサーブを打ったのです。
ガンッ! ガンッ! ドカッ!
鋭く凄まじいまでのサーブ…だが、玉藻さんは難なく。これを打ち返す!
ドッ! ガンッ! ガッ!
……もう、これはピンポン玉の跳ねる音とは、とても思えない。
そんな2人の激しいまでの応酬。
果たしてボールのほうが保つのだろうか?そんな疑問が湧き上がる。
何時の間にか、周囲には皆が集まってきており
驚くような、感心したような、そして呆れたような視線でギャラリーは見つめる。
ドッ! ガンッ! ガッ!
ガンッ! ガンッ! ドカッ!
雪女と妖狐による温泉卓球。
人を超えた妖怪の恐るべき身体能力。その超反応と動体視力ゆえなのか
延々とラリーが続けられており、双方に全くポイントが入る様子がない。
二人の死合に見入っていると後ろから浴衣の袖をそっと引かれる。
振り返り見れば、そこには居たのは
銀の髪を結い上げ、浴衣に緋色の上掛けを羽織った式神の銀色だった。
俺の視線に、恥ずかしげに頬を染めながら
「…あのう、あるじ様。」
銀色は遊戯スペースに掛けられた古い時計を指し示すと
「もう、そろそろ宴会場へ移動する刻限でありまする。」
「もう、そんな時間か!?」
だが、まだ二人の勝負は決着いていない。
しかしながら、宴会場での食事時間は決められている以上は待つ訳にはいかない。
「食事始まるよ!終わってから再戦したら? 」
俺は二人にそう声を掛ける。 だが…
「先に始めておれッ! コヤツを地に伏せさせたら、直ぐにゆくッ!」
「こっちのッ! セリフですわ! 皆様お先にどうぞッ!」
完全に頭に血が昇ちゃってるよ…。
「……じゃあ、先に行ってるから、二人とも適当なところで切り上げて来てね。」
そう声を掛け、宴会場へと皆で移動した。
***************
上座サイドにぽっかりと空く二つの空席。
温か気だった膳部に載せられた料理も、すっかりと冷めてしまっっており
固形燃料は火も付けられず、膳の鍋物も無聊を囲っている。
何時まで経っても玉藻さんと雪音さんが宴会に来ない。
途中で、自分も含めて何度か様子を見に行ったのだが…
未だに二人は延々とラリーを続けており、スコアボードは0-0のママだった。
何度も、止めようとはしたのだ。
しかし、その都度に鬼気迫る表情で「後で!」と叫ばれ
失意のままに、すごすごと撤退する羽目になった。
そうこうしている内には、宴会時間も終了してしまい
手を付けられぬ料理にはラップが掛けられて、厨房へと運ばれた。
再度、様子を見に行ってみれば未だに決着の付く様子は見えない。
風呂へと入り直し、缶ビール片手にニ人の死合を眺めてはみたが
ひたすら…ただ、ひたすらに超反応のラリーが続くのみである。
本日は早朝出発だったこともあってか、やがて激しい睡魔が襲ってきた。
二人のことが、いささか心配ではあったが、どうやらまだ決着が付かぬようでもあるし
少しばかり部屋で仮眠でもして、また様子を見に来ようと思い立ち
自室へと戻り、布かれていた布団へとゴロリと横になる。
そのまま意識がすーっと遠のき、何時しか俺は完全に寝入ってしまった。
………それから、どれほどの時間が経ったのあろうか?
ふと目覚め、ウトウトと夢うつつの微睡みの中に
何処からか仄かに薫ってくる、柔らかな香木を思わせる香り
…これは確か「夜間飛行」?
己の隣に……人の気配?を感じ、そっと目を開け横を見てみると
闇の中に浮かぶ、キラリと妖しい輝きを放つ二つの翠玉!
驚いて飛び起きてマジマジと見ると
白いシーツの上に、ゆったりとたゆとう銀の河のような長い髪
女性特有の艶めかしい丸みをおびた浴衣姿の人物が俺の隣で
腕を枕に横になり、ジーッと俺を眺めていたのだった!
天狗の姫だった!
心臓に悪ッ! 違う意味でドキドキしたわ!
「…何か用かな?」
隣に寝そべる、元男性の美女へと来意を尋ねる。
「うん、夜這い(はぁと」
止めてください!
こんなところを、あのニ人にでも見られたら大変ですよッ!
修羅場ですよ! 修羅場!
ここで、あることに気づく。
姫は、確か雪音さん玉藻さん達と同じ女部屋の部屋割りだったはず。だという事実に
「……ひょっとして、あのニ人はまだ部屋に戻ってない?」
「えへへー」と嬉しそうに微笑むと、姫は俺の胸に人差し指でノの字を描きながら
「……千載一遇の好機到来ってやつだネ!」
早まってはいけない。もっと自分を大事にするんだ!
という思いを込めて、両手で彼女を引き離す。
「…ちょっと様子見に行ってくる。」
「エー…」不満げに口を尖らす姫。
スリッパを履くのも、もどかしく部屋を出る。
そんな俺を追うようにして、後ろから姫も着いてくる。
……そして遊技場で俺たちが見たものは
ドッ! ガンッ! ガッ!
ガンッ! ガンッ! ドカッ!
未だにラリーを続けるニ人の姿であった。