71話 Level Up !
───「夏が終わってしまいます・・・」
何時になく真面目な顔をして妖刀の忍が呟く。
開け放たれた窓からは、庭の樹々を渡り爽やかな風が吹き込み
妖刀の髪をサラサラと揺らす。
室内にはヒグラシの物悲しげな鳴声が、薄暗いなかに響いている。
蝉の抜け殻を指で弄びながら、どこか物憂げな表情をして目を細めると
「・・・夏のぬけがら」
愛おしげに呟く。
・・・妖刀がおかしい。
おかしいのは何時ものことなのではあるが、質の違うおかしさである。
「ふぅ」と深い溜息をつき、そっと壁に掛けられたカレンダーを眺める。
暫くの間、じっと眺めていたが、ふいに振り返ると
「あるじ様、三ヶ月遅れてるいるんでございます・・・」
「 何 が ッ ! ? 」
丁度この時、俺達の背後には夕飯の献立の希望を聞きにやって来た雪音さんが
ニコニコとして立っていたのだった。
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目下のところ俺と妖刀は、雪音さんの前で正座している。
なんら疚しい事などした覚えはないッ!
・・・が、正座である。
畳に突き立てられた、ギラリっ!と鈍い輝きを放つ出刃包丁。
これを目の前にして、果たして正座をせぬ男などいるものであろうか?
いや、いないと断言しても良い。
そして俺たちと雪音さんとの脇には
雲外鏡の鏡と小狐メイドの銀色が、沈痛そうな表情を浮かべ畏まっている。
重苦しい沈黙の支配する室内で、最初に口火を切ったのは
上座に座った雪音さんだった。
「・・・どういう事なのか、説明して頂けますか?」
どこまでも冷え切った女の声と眼差し、まさに「雪女!」である。
正直とても恐ろしい。
そもそも説明も何も、俺は正真正銘の潔白なのだ。
説明して欲しいのは、こちらの側なのに。
雲外鏡の鏡が、一礼し穏やかな表情で俺に対して
「旦那様、奥方様のお怒りは尤もでございますよ?」
「本妻を差し置いて、まさか愛人を先に懐妊させるなど・・・
正室の立場という物をお考え下さい。」
「これでは、まるで寝取られたことにも気が付かないバカな正妻です。」
そんな鏡の言葉に雪音さんは・・・
俯き、涙を目に溜め、下唇をキュッと噛み締めて
「・・・ぐぬぬ」と呻きながら
ギリギリと畳に爪をを立て、掻き毟る。
黙って話を聞いていた、銀色までもが涙目になっている。
ヲイヲイッ!なんで、そんな話になってるのッ!? というのが
ロベスピエールさん的な清い身体の俺としての本音である。
黙って聞いていた雪音さんは、
「ふぅ───ッ」
と、己の怒りを鎮めるかの如き、深く長くため息をつき
柳眉を逆立ながらも、目を閉じ静かに語り始めた。
「・・・私だって鬼じゃありません。せっかく授かった生命をどうこうするつもりは・・・」
だが、この雪音さんの言葉に妖刀がキョトンとした顔をして尋ね返す。
「先程から、一体なんの話でございますか? 」
これに雪音さんと銀色が慌てて聞き返す。
「「えっッ!?」」
そして、その疑問の声に、妖刀が素っ頓狂な声を上げる。
「えっッ!?」
妖刀は、「はーん・・・」と得心がいったといった風情で
だが、同時にトンでもない答えを返してきた。
「脱皮が3ヶ月遅れているんでございますよ? 」
『 脱 皮 ッ ! ? 』
この。突っ込みどころ満載の、トンでもない回答に対して
俺は両腕を上げ、ガッツポーズを取り叫ぶ。
『 無 罪 確 定 ! 』
どこかバツの悪そうな顔をして雪音さんは
「・・・だって、3ヶ月遅れてるって言うから。」
そう言いつつも、深々と頭を下げ謝罪してきた。
「夏樹さん、早とちりをして疑って大変申し訳ありませんでした。」
顔を上げるとションボリとした涙目をして、俺の表情を伺ってくる。
まあ、解ってくれたのなら、それで良しッ!
取り敢えず、その出刃包丁何とかして下さいネ。
「・・・オホホッ」と誤魔化しの笑いをしつつ包丁を背後に隠す。
「では、私は用意していた席を片しますね。」
深々と一礼し、スッと立ち上がりフスマを開け放つ鏡。
そこには切腹の一席が設えてあったのである。
「このどエスッ! 一体何の用意してやがったんだ!? 」
・・・実に危ないところであった。
辞世の句を読まされる一歩手前の状態であったのだ。
「皆様ってば、恥ずかしい勘違いでございますねえ。」
この騒ぎの当事者であるはずの妖刀は
カラカラと笑いながら、そんな事を抜かしてきたのだ。
殴 り た い ッ ! こ の 笑 顔 ッ !
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「そもそもだネ・・・刀が脱皮ってナニよ? 」
俺のそんな疑問に、皆からしこたまハリセンチョップを食らわされた
頭をサスサスしながら妖刀が答える。
「あるじ様、脱皮と言うのはですね、成長する時に殻が剥けるんです。」
「知っとるわッ!」
「うーん」と腕を組み、小首を傾げて考え込んでいた妖刀は
自分の本体たる刀をスッと抜く。
「いま現在の私は脇差しサイズでございますが
脱皮を繰り返し刀身が伸びて、やがては本身は太刀サイズにまでなるのです。」
そういうとパチリと己の本体を鞘へと収める。
「まあ、”れべる・あっぷ”ってやつでございますね。」
そして本体たる妖刀を聖剣の掛けられた刀掛けへとそっと置く。
胡座をかき、そんな一連の様子を見ていた俺は、先程から頭の中で渦巻いていた疑念の言葉を口にする。
「・・・なあ、お前ってば、本当は刀の妖怪じゃなくて、甲殻類とかの妖怪なんじゃないの? 」
この俺の言葉に、妖刀は振り向き、心外だとばかりにまくし立てる。
「人形の髪が伸びるんだから、刀が伸びたって良いじゃありませんか!」
「刀が脱皮して伸びるのがおかしいってんだよ!」
そんな不毛な水掛け論を2人でしていると、突然に妖刀が腹を抱えてうずくまる。
「ど、どうしたッ!?」
「来たッ! 来ましたッ! 脱皮する───ッ!!」
そう叫び、真っ青な顔色になり、呼吸も荒くなる。
「は、破水しましたでございますよッ!」
・・・だ、脱皮だよね?
慌てて妖刀を鞘から抜くと、刀身には一面ヒビが入り、その裂け目からは
何か液体のようなものが、ヒタヒタと滲み出てきていた。
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「夏樹さんッ! ちょっと、どいて下さいッ!」
後ろから雪音さんの叱責するような声が響く。
俺を押しのけるように脇へと移動させると、雪音さんは妖刀の具合を確かめる。
「銀色ッ!大至急でお湯を沸かして下さいな! 」
「はいッ!」
「鏡は、サラシとかタオルとか大量に持ってきて下さい! 」
「かしこまりました。」
雪音さんの指示に、2人は短く返事を返すと、キビキビと動き出した。
だ、脱皮だよね?
「大丈夫よ! 忍さん! 私が側で付きっきりで居ますからねッ!」
「・・・お、奥方様ー。」
雪音さんは、そう言ってしっかりと忍の手を握り
妖刀は、脂汗を流しながら、雪音さんの手をがっしりと握り返す。
雪音さんは、忍の汗をハンカチで拭ってやると
「はいッ! 吸って、吸って、吐いてー! 吸って、吸って、吐いてー!」
「ひっひっふー! ひっひっふー!」
これラマーズ式法呼吸法じゃねえか!? しつこいようだけど、脱皮だよね?
「はいはい、夏樹さん! 男の人は、部屋の外へ出てて下さい。」
ええーッ! 脱皮なのに!?
鬼気迫る雰囲気に押され、仕方ないので部屋の外にでる。
バタバタと大きなヤカンと湯桶を持った銀色と
大量の布地を持った鏡が、入れ替わりに部屋へと飛び込んで行く。
手持ち無沙汰になったので、部屋の前で冬眠前のクマのように
オロオロしながらうろうろと行ったり来たりししてみた。
部屋の中からは、「う───ッ!」とか「くぅ───ッ!」などと
妖刀のうめき声と「頑張れ! 頑張れ! 」という女たちの声が聞こえてくる。
「頑張れ! 妖刀! ちょーがんばれ! 」
釣られて、拳を握りしめながら俺も、部屋の外からそんな声をかける。
・・・俺は何をしてるんだろう? 脱皮のハズなのに。
やがて部屋は静まり返り、暫くしてフスマがそっと開かれた。
「・・・無事に脱皮は終わりましたよ。」
額に汗した雪音さんが、満足げにして室内へと招き入れてくれる。
部屋には薄く透き通った殻のようなものが散乱している。極めてシュールな光景であった。
招じ入れられた先で目にしたのは、柔らかいタオルに包まれた抜き身の妖刀本体と
それを満足気に、そして嬉しそうに抱きしめる忍。
しつこく繰り返すけど、これ脱皮だよね?