68話 百話一夜物語
───しくしくしく。
目の前で女が、さめざめと泣いている。
薄青の落ち着いた色の着物姿。
良く梳かれ、青みがかった流れる滝の様な黒髪。
きめが細かく、青白く血管が透けて見えるような・・・
世に謂われる青磁のような肌とは・・・この事か。
それでいて、紅を引いた唇は血のように朱い。
片手の袖で目元を押さえ、一方の手で畳に着き
足をふわりと崩し、尻の外側へと揃えて投げ出す。
拇指丘の柔らかさが、酷く艶かしく色っぽい。
「・・・何時まで泣いてるんだ?お前だって充分に楽しんだろ?」
そんな俺の言葉に、彼女は涙に濡れた瞳を向ける。
「そんなこと・・・」
俺は周りをクルリと見渡す。
誰も彼もが疲れ果て、グッタリした顔をしている。
クッションを抱きしめ完全に寝入ってしまっている者もいた。
皆が彼女を満足させようとした成れの果てだ。
「わたし・・・まだ満足してない。」
彼女は、静かに・・・静かに、そんな呟きを漏らす。
先程の愁嘆姿が嘘のように、フワリと妖しい微笑を浮かべると
四つん這いの姿勢で、俺の方へとにじり寄って来たのだ。
そして「んふふ」と妖艶に笑い、俺の耳元で、そっと吐息のような言葉を紡ぐ。
「・・・ねえ・・・もっと・・・シテ下さいな?」
顔に甘い女の吐息がかかる。
俺の胸板に、ほっそりとした白い指で「の」の字を描きつつ
そんな、おねだりをしてくる。
・・・呆れた女だ。
一晩中シテ貰っておいて、まだ足りないとでも云うのか?
彼女の欲望の深淵は、一体いか程のモノなのか?
───「・・・もう勘弁して。」
いや、もうホントに勘弁して欲しいわ。俺だって眠いのよ?
この俺の言葉に、ぷくーっと頬を膨らませて女は
「だって・・・まだ100話に到達してないのよ?」
「「青行燈」なら、「青行燈」らしく100話終わったら出てこいよッ!」
そう、この女は妖怪「青行燈」。名は青澄海。
百物語の会で100話目に至ると現れると伝わる妖怪である。
「・・・だってー」
「どこの世界に10話終わったとこで、出て来る青行燈が居るんじゃ!? 」
フライングにしても程があるよネ!
彼女はワタワタと手を振ってから、小首を傾げ
「でもね、でもね? ちょっと考えてみて?」
指を一本立てて、フライング出現の言い訳を始めたのだった。
「一話10分掛かるとするじゃない?」
まあ、だいたいそんな所ですかネ。
ひい、ふう、みい、と指を折り数え、パーと両手を広げたあとに
片手をパーに、片手に一本の指を立てて
「そうするとね、1000分・・・つまり16時間40分掛かるのよ?」
うひょー、夜が明けるどころか、翌日の日が暮れちゃいますな。
「待ってらんないわよ! そんなの! 」
「知らんがなッ!」
まあ、気持ちは分からんでもないが
妖怪として、出現のお約束は守ったほうが良いのでは?
「”時は金なり”の、この現代。 私だって忙しいんだからッ!」
腕を組み、プリプリと怒りながら、そんな愚痴めいた事を云う。
「エステにだって行かなきゃいけないし、スイーツだって食べに行きたいし・・・」
「思いっきりヒマしてんじゃねーかッ!」
エステとかスイーツバイキングとか休みの日に行きなさいよッ!
そもそもネ!ペルシアの千夜一夜物語とかあるでしょ?
あれだってシェヘラザードに語る物語は一夜に一話なのよ!
一晩で百話の怪談を語るとか無茶苦茶ハード過ぎるわ
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───「えーと、じゃあいま何話目だったっけ?」
もー仕方ないから、とっとと100話終わらせて
彼女にはエステでもスイーツにでも、ドコにでも行って頂きましょう。
「まだ67話よ?」
だいぶ進めたつもりだったが、まだ67話目だったのか・・・
こりゃ先は長いなぁ。
「じゃあ68話目ネ 「箪笥の角に小指ぶつけて痛かった。あー怖い。」」
俺が68話目の怪談を終えると
青行燈は「アウト!」と云う文字の描かれた札をサッと上げる。
「ぶっぶブー! それは痛い話であって、怖い話じゃないから怪談として認められないわ。」
手っ取り早く終わらせようと手抜きした話は
怪談として認めてもらえなかった。
「少しは融通利かせろヨ! ボール球だってストライク判定しとけ。」
「そんな訳にはいきませんッ!」
意外と判定厳しいなッ! この怪談主審判は。
───「そんなら我が、飛び切り怖い話をしてくれるわ。」
ムクリと起き上がり、眠そうな目を擦りながら
金髪碧眼の狐神の玉藻さんが宣言する。
心なしか、何時もは美しく光り輝いている金髪がくすんで見える。
これは結構、疲れていそうだな。
「そう、あれは何時だったか・・・我の会社に税務調査が入ってな・・・」
「それ怪談じゃねーよッ!」
いや、ある意味においては怖い話なのかもしれないが・・・
断じてコレは怪談ではない。
だが、青行燈の青澄海さんはサッと「セーフ!」と描がれた札を掲げる。
「・・・怪談認定されるような話なんだ。」
こりはビックリ、国税庁の調査って怪談だったのネ。
あかん、怪談の基準がよーわからなくなってきた。
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───「昔々のお話です。これは本当にあった、こわ~い話でして・・・」
・・・85話目かは雪音さんの怪談か。
なんか、雪音さん何時も以上に顔色が白いな。
これは、相当疲れてんな?
それは、寒い、寒い、雪の夜の出来事でした。
トントン!トントン!
真夜中に誰かが、神社の木戸を叩いており
「お助け下さい! お助け下さい!」
誰かが私どもの神社へと助けを求めて来たのです。
何事か?と思い、中へと招き入れ、その方の話を聞いてみると、
少し離れた村の世話役の方でして
・・・何でも新任のお代官様とやらの横暴に難儀しており
思い悩んだ末に、私どもに助力を求めて訪ねて来たのだそうでした。
あ、これは母様に聞かせる訳にはいかないな・・・と、咄嗟に思いまして
で、私が、その方と連れ立って行ったんですよ。代官所に
そうしたら・・・そしたらですね、そこに既に母様がいましてね。
その時代には、そんな音楽なんてなかったはずなのにですね。
「暴れん坊な上様」が登場する音楽が掛かってて・・・
「私の顔を見忘れたか?」とか代官に言ってるんです!
あの時は思わず「ぞ~ッ」っとしましたね。
何故か、この話を聞いていた玉藻さんが真っ青な顔になって
ブルブルと震えて怯えていた。
一体・・・雪音さんのお母さんとは・・・?
そして、この話も「セーフ!」判定が出た。
どの辺が怖い話だったのか?
謎である。
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遂に100話目に到達か。
長かった・・・って、もう、お日様が傾いて来てるがなッ!
太陽が黄色いどこじゃありませんよッ!
この100話目に天狗の姫が手を挙げている
。
可哀想に・・・
目の下に隈が出て美しい銀髪がところどころピンとハネて立っている。
さすがの大天狗も相当に疲れてんな・・・。
───「これはボクが実家の屋敷に帰った時に体験した話だよ・・・・」
母上に呼ばれて、奥の座敷に罷り越したんだ。
何時もの通りの挨拶、そして細々とした言い付けを聴き
さあ、帰ろうか?って時分に差し掛かった時さ。
母上は、ボクを呼び止めて、こう尋ねたんだ?
「あなた・・・結婚はまだなの?」
何故か、玉藻さんが心臓のあたりを押さえて「くぅ」と呻く。
「母さん、あなたの歳には、もう、あんたが居たのよ?」
クドクドクド・・・何時尽き果てるとも知れぬ母親の愚痴と説教・・・
これは、これで怖かったけどね。
不思議なことに雪音さんが、下を見て「はぁはぁ・・・」と荒い息を吐いている。
怖かったんだけど、母上の最後の言葉がね・・・一番怖かったかな?
「あなたね、いくら妖怪だからって何時までも若いつもりで居ると・・・」
何故か、妖怪の女性陣たちが互いに抱きしめ合い
絶望したような表情を浮かべていた。
「八咫みたいになっても知りませんからね!」
「ひぃ─────────ッ!!!」
女達は、一斉に悲鳴を上げたのだった・・・。
青行燈の青澄海さんも含めて。