59話 大晦日
トントントンッ!
屋敷の台所から
規則正しくリズミカルな、包丁の音が響いてくる。
グツグツと煮えた鍋からは、香ばしい煮物の匂いが漂う。
今宵は、大晦日。
既に大掃除は済ませた
屋敷の女達は新年を迎えるための料理の仕度を始めている。
妖狐の玉藻さん、天狗の姫は勿論のこと
知り合いの大勢の妖怪女性たちも手伝いに来ている。
そんな女の園である台所からは
お正月料理の準備に勤しむ彼女達の楽しそうな声が響いてくる。
「だが、しかし」と考える。
クリスマスに引き続いて、正月もあの宴会をするつもりなのだろうか?
いま現在のところ、男性陣である俺と河童は
「邪魔だから、2人で居間でテレビでも見てて」と
追い払われてコタツで寛ぎつつ、紅白の歌戦争を眺めているのだが……
「これが、俗に言う「嵐の前の静けさ」なる物なのだろうか? 」
俺が、ボソリとそんな事を呟くと
河童がゴソゴソと傍らに置かれた、カバンから何かを取り出した。
「ごっちゃんです! 」
それは一封の薬袋で、そこにはこう書かれていたのだった。
『 超強力! カッパ印の二日酔い薬 』
額から冷や汗を「タラリ」と一滴垂らしながら尋ねる。
「飲まないという選択肢はないのかね?」
河童は、そのつぶらな瞳で俺の眼をジッと見つめてから
静かに静かに頭を振った。
既に決定事項かいッ!!!!
──「さてと、おせちの準備も、お正月のご馳走の下拵えも全て完了です。」
割烹着を脱ぎながら
雪女の雪音さんは、高らかにお正月の迎撃準備完了の宣言を下す。
「では、恒例のアレの準備じゃな?」
狐神の玉藻さんが、調理で濡れた手をタオルで拭きながら
続々と居間へと戻って来た、妖怪女性たちにへと声を掛けた。
「皆さん!! 気合入れていきますよ! 」
烏天狗の八咫が、何やら真剣な表情で
集まった妖怪女性達へと発破を掛けた。
すると 「「「「オオッ!! 」」」」 と一斉に鯨波の声が上がる。
「別にボクはどうでもいいんだけどなあ……。」
一人だけ困惑した様な表情で
天狗の姫が、独りごちるようにコボした。
「何を言っているんですか? 」
「貴女も女性化した以上は、是が非でも参加してもらいますよ? 」
女達は、口々にそんな事を言いながら天狗に参加を迫る。
そんな皆の勢いに、押し負けたのか姫は
「はいはい」と、ため息を付きながら承知をする羽目になった。
そして彼女達は、各々いそいそとして何かの準備に掛かった。
何か妖怪女性特有の、大晦日の儀式でもあるのだろうか?
俺は河童とおコタでぬくぬくとしながら、そんなことを考えていたのだった。
……がッ!
大小様々なオリーブ・グリーンの箱が部屋へと持ち込まれ
厳重に施錠されていた鍵が次々と開けられる。
そこには刀剣に弓矢に銃器などの、武器の類がビッシリと収められており
各自が、それぞれ得物を手に手に取っていく。
あんぐりと口を開けて、眺めていると
屋敷の戸が厳重に締められ、施錠がしっかりと施されていく。
「な、何が始まるんです?」
流石に心配になって
鞘から抜いた直刀を、丹念にチェックしていた玉藻さんに尋ねた。
「合戦じゃ。」
か、合戦だと?
この年の瀬も押し詰まった、大晦日の夜に誰と合戦よッ!?
───その時の事である!
「カラコロ! カラコロ! カラコロ! 」
そんな鈴の音が、庭の方から聞こえて来たのだ!
「びくりッ! 」
その鈴の音色に反応したかのように
妖怪女性達は、一斉に物陰に潜み床へと伏せる。
「ヤツめ来おったぞッ!!!!」
壁に背を玉藻さんが叫ぶ。
彼女は、その蒼い瞳を細め、外へと鋭い視線を向けた。
「どうれッ! 悪い子はおらぬカアッ!」
そんな低い男の大音声が、屋敷の壁を通して部屋の中へと響く。
その声に、抜身の妖刀を抱えた雪音さんが
「悪い子ばかりだから、他所行って下さい! 」と怒鳴り返した。
「そうは行くかッ!」
雪音さんの、そんな返答に
男の声は激高したかのような声をを上げた。
「去年、一昨年、その前の分も受け取ってもらうぞッ!」
俺は、床を匍匐前進し窓の側まで来ると
恐る恐る外の様子を覗った。
そこには冬の煌々とした月明かりに照らされた庭に
一騎の騎馬武者が居た。
だが、騎乗する馬には首から上がなく
それに跨る武者は、鬼の面を付け、樹木の繊維で作られた蓑をまとっていた。
間違いなく妖怪である。
「つーか、毎回毎回、受け取りを拒否りやがってッ!」
「大人げないぞ!そなたら!」
武者は刀を振り回しながら、そんな悪態をついてくる。
「大人になんてなりたくないもーん。」
巨乳狸のマミさんが、銃剣を着剣しながら
まるで武者を揶揄するかのように、そんな事を叫んだ。
「浴びるほど酒をかっ食らう子供がどこにいやがるってんだ! 」
その返答に更に怒りを刺激されたのだろう
首無し馬の武者は怒鳴るように言い返してきたのだった。
あれは一体?
「トシドンです。」
俺の隣へと這ってきた雪音さんが
着物の袂をタスキで縛りながら疑問に答えてくれた。
「女の敵よね! 」
「痴漢よ! 痴漢! 」
一反木綿の折華さんと雨女の采雨さんは
トシドンを、そんな風に評した。
痴漢なのか……あの武者。
「聞こえてんぞッ! このクソアマども! 誰が痴漢かッ!? 」
彼は、ますます激昂し始めた。
どういう事なの? 痴漢じゃないの?
「トシドンから歳餅を受け取ると、一つ歳を取るのです。」
先を切り詰めた散弾銃を抱え
色っぽい座り方をしていた、獺の妖怪である阿戸さんが解説してくれた。
「妖怪女性に歳を取らせるなんて……空気読めですよねぇ? 」
着剣した小銃にへ、カチリ、カチリと弾を込めながら
茶釜のおっぱい狸のマミさんが、ふくれっ面で主張をしている。
「逆に言えば、受け取らなければセーフってことじゃ。」
事も無げに曰う玉藻さんである。
「んなわけにいくかッ!!!! 」
刀を頭上で振り回しながらトシドンは抗議してきた。
そして彼は懐から台帳を取り出し、ペラペラと頁をめくり確認する。
「妖狐玉藻よッ! 特に、その方の分はドエラい貯まっておるぞッ! 」
「本日は利子つけて、歳餅くれてやるから覚悟いたせッ! 」
そんなトシドンの加齢宣言に、狐神は「チッ!」と軽く舌打ちすると
「玉藻ちゃんは、居らぬぞ? 」
「あからさまなウソ付いてんじゃねーよッ! 」
「未払い分だけじゃなくて、そなたには先払いもしてやるからなッ! 」
こーいうのを「火に油を注ぐ」行為って言うんじゃないかなー?
とは思ったが、黙っている事にした。
「雪女の雪音ッ! 」
「その方も毎回、毎回、逃げ回りよってッ! 今年は必ずや受け取らせてやるぞッ!」
「雪音ちゃんは、居ません。」
シレッとした顔で、そう答える雪音さんであった。
毎回逃げ回っていたのか……。
「あったま、来たわッ! 」
馬上で地団駄を踏むという、器用な真似をするトシドンであった。
「あと、その他諸々の妖怪女どもめッ! 」
「今度という今度は、お前らにも熨斗付けて渡してやるからなッ! 」
他の妖怪女性たちは、一括りにされて怒られるところから察するに
トシドンのブラックリストの筆頭は、玉藻さんと雪音さんの様だ。
「……えーと、あと悪質なのはッ!」
トシドンが台帳をめくろうとして時のこと
骨董店の女主人阿戸さんが、突如として着物の裾を捲り上げ、魅惑の生足を惜しげもなく晒しつつ
窓枠に足を掛け、ガラッと窓を開け
いきなり散弾銃をぶっ放したのだ!
鼻血が出そう! いや、あ、あぶねえ!
どうやら命中したらしく
トシドンは、もんどり打って落馬した。
撃ちよったで!!!
だが、しばらくしてから、彼は頭を振り振り立ち上がり
阿戸さんを指差して抗議してきた。
「お前、俺が歳神で鬼で、これがコメディじゃなかったら死んでたぞッ!? 」
「仮面がなければ即死だったぞ!? ゴルァッ!!! 」
硝煙燻る散弾銃に、次発装填しながら
阿戸さんは「チッ、生きてますの」と呟いたのだ。
嗚呼、この女性があの2人に次いで悪質なのね……。
「私達に歳を取らせたかったら、死ぬ気で掛かってきやがれです! 」
鐙に足を掛け騎乗せんとするトシドンへ、そんな悪態をつく八咫。
「上等だッ!この行き遅れめッ! 」
「必ずババアと呼ばれるだけの、歳餅渡してやるからなッ!」
迂闊に撃たれぬように距離を取り
カッポカッポと首無し馬の馬首?を巡らせ
禍々しいまでのオーラを滾らせたトシドンは、戦闘態勢を整える。
「降参するなら今のうちだぞッ! 」
どうする、降伏勧告来たよ?
隣に来ていた、玉藻さんを顔を伺いつつ尋ねてみた。
「バカめと云ってやれ。」
はあッ?
「バカめ!だ」
あんたはアンソニー・マッコーリフ准将か!?
ここはバストーニュなの!?
「歳を取るくらいなら戦って死ねです。」
悲壮な表情で、そう吐き捨てるように雪音さんが言った。
いや、素直に歳取ったほうが良いんじゃないなかなー?
かくして今ここにスターリングラードかバストーニュかの
凄まじい攻防戦が、開始されたのです。
何としても屋敷内へとの突破侵入、歳餅強襲を計らんとするトシドン。
彼の屋敷内侵入阻止と、歳餅の断固拒否を決意する妖怪女性達。
双方共に寸土を争っての、一進一退の激しい攻防が続いた。
なんか完全に部外者化していた
俺と河童は、テレビでも見ることにしたのだ。
───しばらくして後
テレビでは「ゆく年くる年」が始まり、除夜の鐘が街に鳴り響く。
「「「 勝ったッ! 」」」
激しい攻防戦で疲れ果てボロボロになっていた
妖怪女性達は、勝利を確信した。
「チィッ! また今年も渡せなかったッ!」
一方で、やはりボロボロになっていたトシドンは悔しそうに呻く。
「おのれッ!! 覚えておれよッ! 来年こそはッ!」
馬首をめぐらせ踵を返し
苦々しそうに捨て台詞を残すと、トシドンは夜の闇へと溶ける様に消えて行った。
「沸騰した水で面洗ってから、一昨年に出直してきやがれッ!」
ボロっとした座敷ギャルの童女が、そう叫ぶと
女達は一斉に歓喜を爆発させ勝鬨を上げる。
「「「 ヤッターッ! 」」」
満足そうに、偉大なる勝利に沸く妖怪女性たち
「新年明けまして、おめでとうございます! 」
「いやー、またまた若いまま、年越しちゃったッ!」
皆が互いに健闘を讃え、各々がハグをしつつ新年と勝利を祝う。
それを見ながら俺は……
「盛り上がってるところ悪いけど、歳餅を受け取ろうが受け取るまいが
地球が公転してる以上、そんな訳無いからね? 」
そんな事を云ったところ
妖怪女性達から、一斉に殺意に満ちた眼で睨みつけられたのだった。




