57話 圧倒する力
猫田駅前の商店街。
その商店街から神社へと抜ける手前に、右手へと曲がる細い路地がある。
その路地に一歩、足を踏み入れると
まだこのような場所が、現在の東京にあったのかと思わせるような
昭和の佇まいを残す家々が軒を連ねる。
その曲がりくねった路地を進んだ奥の奥。
そこに古びた一軒の骨董品店がある。
「獺祭堂」
古びて白茶けた看板には、そう書かれている。
この扁額が掛けられたのは戦前らしく
「堂 祭 獺」
と右から左に書かれていた。
店内に入ると、年代物と思われる豪奢な座椅子には
真っ黒な雌猫が寝そべり、片目を開けてこちらを見ている。
店内には雑然と積まれた、様々な骨董や古書で埋め尽くされており
それらの品々が照明を遮り、酷く薄暗い。
壁に掛けられた古い壁時計が、コチコチと時を刻み
時折「ボーン! ボーン!」と時を知らせる。
日常に潜む非日常。ここには、それがあった。
*****
式神の銀色が16歳になる。
……もう、あと少しすると
「あるじ様の後に、お風呂に入るのイヤでありまする!」とか
「あるじ様のパンツと、身の下着を一緒に洗濯しないで欲しいでありまする!」
みたいな事云うのかなあ……寂しくなるな。
てな事を呟いてたら、座敷ギャルの童女に
「お前は、お父さんか!? 」とツッコミ入れられた。
───ともあれかくもあれ誕生祝いに、何かを贈ることにした。
はてさて、何を贈ろうか?
などと悩みながら、商店街をプラプラと彷徨いていたら
何時の間にか、この店に辿り着いていたのだ。
まるで呼び寄せられたかのようにネ。
(何かお洒落な骨董品の掘り出し物であるかもしれない……)
そんな事を考えて、店へと入り
様々な品々を物色していると、ふいに声を掛けられた。
「あらや、いらっしゃい。」
驚いて顔を上げると、俺の目の前には一人の女性が佇んでいた。
長く美しい黒髪をシニヨンにし、落ち着いた色合いの碁盤縞の紬の着物姿。
病的なまでに白い肌、血を塗ったような紅い唇。
縁のない丸眼鏡を掛け、面白いものを眺める様な瞳が揺れている。
どこか気怠げでありながらも、官能的な微笑を浮かべ
酷く「女」を感じさせるような女性だった。
先程まで全く、人のいる気配などしなかったのに
何時の間に顕れたのか……
(人間か? それとも妖かしか? )
……十中八九、ヒトじゃないに決まってるがな。
もう、すっかり慣れたわ。
妖怪でも幽霊でもドンと来やがれってなもんです。
「何かを、お探しですか? 」
艶を含んだ、しっとりとした美声で、そんな事を尋ねてくる。
どうやら彼女が、この店の主人らしい。
「ええ、16歳くらいの女の子に、何かプレゼントをと思いまして。」
俺がそう云うと、女主人はクスリと妖艶な笑みを浮かべ
「良い女性ですの?」と尋ねてきた。
「妹みたいなもんです。」と、ぶっきらぼうに答える。
「まあ、そこにお掛けなさいな。いまお茶でも淹れますから。」
そう云って奥を指し示す。
奥には、小ぢんまりとした畳が敷かれた座敷。
そこには、さすが骨董店と云うべきか
時代劇にでも出てくるような火鉢が置かれ
鉄瓶がシュンシュンと鳴り、暖かげな蒸気を上げていた。
彼女は、すぐにお茶の支度を始め
鉄瓶の熱々とした湯を急須へ、しばらく蒸らし茶碗へと注ぐ。
雪音さんに勝るとも劣らぬ手際の良さだった。
「どうぞ。」
着物の袂を抑え、白い腕をチラリと垣間見せつつ
俺の前に、そっと茶碗を置いた。
その、さり気のない所作に、ゾクリとする色気を感じる。
「頂きます。」
茶碗を手に取り、口元でふーふーと冷ましながら
コクリと一口ほど喫する。
「!」
実に甘露だった。
それを目を細め、穏やかな微笑を浮かべ眺めている
骨董店の美しい女主人。
「………。」
ヤバー!
なんじゃ!このフェロモンを固めて具現化したような妖怪女性は!
雪音さんとか、玉藻さんとか、姫とも、違う圧倒的なお色気感!
とっとと買い物済ませて、戦略的転進せねば!
キスカの様に鮮やかに撤退しましょ! そうしましょ!
「コホン、あー御主人、それでですね……。」
「阿戸って呼んで。」
小首を傾げ、潤んだ眼で、そんな事を云ってきました!
思わず「ぞくぞくッ!」ってキタ───!
「えーと……あ、阿戸さん、な、何か可愛らしい小物でもですね……。」
阿戸と名乗った主人は、何故か俺の手を握りしめて
「……妹さんにでしたわね? 」と尋ねてくる。
彼女は、ついッと手を放し、俺の横を静々と通り抜け店内へと向かった。
後には甘く柔らかな麝香の残り香を残すのみ。
怖ひ!!!
男を取って食う女郎蜘蛛とかの妖怪じゃないよね? この女性。
助けて! 雪音さん! 玉藻さん!
直ぐに彼女は、幾つかの品を持ち戻ってきた。
オルゴール、手鏡、等の骨董だった。
価値などわからぬが、作りに得も知れぬ味わいを感じさせる逸品ばかり。
「……少しばかり特殊な物どもでありますけど。」
チラリと俺を見て、妖艶に微笑む。
「ヒトあらざる妹さんには、相応しい逸品かと? 」
ほーらネ! やっぱりネ!
この女性も人間じゃねえよ、まただよ「波」め。
「……ちなみに、お幾ら?」
阿戸さんは笑顔にまま、細い白魚のような指を一本立てる。
い、一万円かな?
「いっせんまんえん。」
思わずお茶を吹き出しそうになる。
まいったー! 降参します! 幾らなんでも無理でーす!!
「……のところ、今なら一万円。」
いきなり99.9%オフになった!
怪しい! 売ってる女性も、違う意味で妖しいが。
「訳ありですね? 」
あッ! 目を逸らした!
だが、俺は阿戸さんの前に回り込んだ!
「訳ありですね? 」
再び問い詰める。
「あ、貴方だけのタイムサービス! 」
生鮮食品じゃあるまいし、んなわけあるかい!
よっしゃー! 徐々に、こちらのペースに引きずり込めたぞ。
阿戸さんは隠すのを諦めたのか
「ほぅ」と溜息を一つついてから語り始めた。
「雲外鏡ってご存知でしょうか? 」
確か魔物の正体を映す鏡だっけ?
すると、いきなり、阿戸さんは俺に対して鏡を向け高笑いをして
「フハハハッ! 外道照身! 汝の正体見たり! 」
ビックリしたぁ!
「………みたいな事が出来る鏡なんです。本来は。」
つまり、この雲外鏡には出来ない。と
「雲外鏡って触れ込みで仕入れたんですけどね、私も良く確認しなくって。」
見た目と違って、意外とお茶目。
てか、おっちょこちょいだな、この女性も……。
「そこで、物は相談なんですけど、このオルゴール付けるから、2つで1万円でどうです? 」
両手を合わせて、哀願の表情でそんな事を言ってきた。
「お願い。」
ちょっと! 擦り寄ってこないで!
ふぇ! フェロモンが───!!!
*****
で、最終的に押し切られて、オルゴールと手鏡を買って来た。
決して色気に負けたわけではない。
雪音さんにクンクンと嗅がれて、怖い目で睨まれたが……
魅入られてしまったのだ。この鏡に。
「旦那様、そう云って頂けると嬉しゅうございます。」
いえいえ、どう致しまして。
………誰?
振り返りて見ると、そこには
買ってきたばかりの、鏡にニョキリと手足が生えて立っていた。
アッ○マー?
ゴシゴシと目を擦る。
「 ! ? 」
再び目を擦り凝視する。
「 ! ? 」
「そんなに見つめられると照れますな。」
心なしか鏡面が少しばかり赤くなった鏡が、そんな事を曰う。
これは不良品じゃー!
クーリングオフ効くかしら?
「これは付喪神じゃな。」
ソファーに座り脚を組んだ、黄金の髪と蒼玉の瞳の狐神が断ずる。
騙されたー!
鏡を買わされたと思ったら、ペットだったよ!
「いや、そのツッコミどころはおかしい。」
と、パチモノ雲外鏡を覗き込んでいた、天狗の姫がツッコミ返してきた。
「可愛いですね! 」
しまった! 雪音さんはノリノリ!
コイツを飼う気マンマンだ!
「しかし、そなたは魔を映せぬ雲外鏡とか?」
何故か、玉藻さんは鏡を警戒して近づこうとしない。
ひょっとすると相性が悪いのかもしれない?
「はい。然しながら、私は他の事でお役に立てると思いますよ?」
雲外鏡は玉藻さんを映し、鏡面をキラリと光らせる。
やっぱり、お互いに相性が悪い様子だ。
「何が出来るの? 」
姫がツンツンと鏡の縁を突付きながら尋ねる。
こちらは、あまり警戒してない様子。
「はい、LANケーブルを繋いでいただければ、ネットに接続できます。」
おい! 骨董品!
「でも、OSはXPなんですけどね。」
なるほど、確かに骨董品。
違う! それサポート外だがな! 困るわ!
「あとは色々と調べ物が出来ます。」
出来ることが中古のパソコンレベルかよ……。
携帯性考えると、タブレットやスマホにすら負けるぞ。
そして何より人前で、付喪神の喋る鏡取り出して、検索なんかしたら大騒ぎになるわ。
「すごい便利ですね! ずっと家に住んでも良いんですよ! 」
雪音さんが眼をキラキラさせて、そんな事を言い始めた。
手足の生えた鏡を、可愛いとか考えてるからだな?
「それならば、その鏡は雪音が使えば良かろう。」
欠伸をこらえ「もう飽きた」と言わんばかりに
玉藻さんは、投げやりに告げる。
まあ、本人が気に入ってるなら、それでも良いか……。
オルゴールは銀色にあげればいいしネ。
───「鏡よ、鏡よ、鏡さん。この世界で一番美しいのは誰?」
皆が背を向けたあと、鏡にそんな質問をする雪音さんの声。
可愛い質問だなあ……おとぎ話みたい。
だが次の瞬間、鏡の受け答えを聞いて、女性陣が一斉に固まった。
「世界で一番美しい女性ですか? 少々お待ち下さい。」
わかるのか!? 雲外鏡!!!
世界で一番美しいとか、どんな人だろう?
鏡面を覗き込もうと、振り返ると女達が真剣な顔をして、鏡の前に集まっていた。
やがて映し出されたのは……
どこか中央アジア風の衣装を身に纏う、亜麻色の髪を持つ絶世の美女だった!
トンんでもない美女なのは確かなんだが。
なんだが………でも、誰?
「ま、まあ世界じゃからな……。」
「そうだよ……世界だもん。」
「すごいですね……世界一位。」
心なしか、皆がガッカリした様子が伺える。
すると、天狗の姫が、こんな事を言いだしたのだった。
「鏡よ、鏡よ、鏡。この日本で一番美しいのは誰? 」
やめときなさいよ。
だが、女達は先ほどなど比べ物にならない程に
真剣に、そして怖い顔をして鏡面を見詰める。
「少々お待ちを。」
やがて映し出されたのは、どこかの日本の田舎の風景。
その中に制服を着た、それは、それは美しい一人の少女だった。
彼女も、また絶世の美女と呼んで良いレベルである。
「……日本も広いからの。」
「若さ補正もあるしね。」
「しゅごい。さすが日本一位ですね……。」
何故か、今度は若干の悔しさを滲ませながら
女性達は、口々にそんな事をのたまう。
「鏡よ、鏡よ、鏡よ。この猫田町で一番美しいのは誰じゃ? 」
玉藻さんまで、そんな事を尋ねだしたヨ!!!
「猫田でございますか? 」
やがて一人の絶世の美女が、鏡面に揺らぎながら、その姿を現す。
………木花咲耶姫だった。
「チッ!」
「そう云えば、この街あの神がいやがったネ。」
「性格は映りませんものねえ……」
玉藻さんてば、露骨に舌打ちしやがったよ。
本神が居ないと思って、散々な言い様である。
みんな気持ちはわかるけど、この辺で止めときなよ。
全員が十分に美女ばかりなんだから、其れで良いじゃない。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。この屋敷で一番美しいのは誰? 」
しかし遂に雪音さんが、禁断の質問を鏡に行ってしまった。
女達に一斉に緊張が走り、皆が身構えつつ、鏡面に意識を集中させる。
何という事を………。
誰が映っても面倒事になるよ。
みんな綺麗なんだから良いじゃないか!
だが、雲外鏡は無情にも、鏡面に像を結びだす。
そして鏡面に映った人物は!
木之花咲耶姫だった………。
そして全員が振り返り、背後を見たのだった。