56話 冬支度
高く高く澄み切り、雲一つない秋の空。
頭上には蒼茫たる天空が広がっている。
ほのかに西からの風が、ヒンヤリとした冷気を運んでくる。
窓からは屋敷の庭の色づき始めた木樹からの
風に舞い落ちる落葉の紅や黄。
そろそろ、雪音さんを怒らせると、ツライ時候になって来ましたネ。
庭では妖刀の忍が、落ち葉を集めて焼いている。
ゴソゴソと掻き回し、嬉しそうに芋を取り出しているな。
焼きイモねーちゃんか!?
しかし、ミニスカ忍者姿で寒くないのか?
まあ、バカは風邪を引かないって云うしね。
冬に向けて、色々と準備しますよ。
備えあれば嬉しいな!ってね。
***
「さあ、コタツも出しましたし、冬物衣料も準備できましたよ! 」
みんなを指揮して、冬支度の準備をしていた
我が家の家事の参謀総長たる雪音さんが、そう宣言する。
床にはオシャレな、ファッションセンターしま○らの袋が並ぶ。
中身は、この屋敷の皆の冬物だ。
妖怪が買い物に行くのか……すげえな! しま○ら!
そして石造りの洋館の洋間に、おコタが二脚。
いささかシュールではあるが、これ無しに日本の冬は語れない。
早速、コタツに足を入れてみる
。
おほー! さすが、ダメ人間製造装置!
妖怪「こたつむり」になりそう!
わしゃ、もう春までここから出んぞ!
「はい、あるじ様。コタツと云ったら蜜柑でありまするね? 」
古風なヴィクトリア朝のメイド服を着た
式神の銀色が、にこやかな笑顔で
カゴに盛られた蜜柑をコタツの上に置く。
わかっていますね。流石です。
コタツと云えば蜜柑です。
キャビネットの古いラジオからは
ボサノヴァ調の軽快なピアノの音楽が流れてくる。
「一段落しましたね、お茶にしましょう。」
そう云うと、雪音さんは台所に立つ。
淹れて来たのは、俺達は熱い珈琲、式神の小狐達には甘いココア。
あー。。。暖かい飲み物が、恋しい季節になってきましたねえ。
あれ? 銀色も珈琲なの?
夏にアイスコーヒー飲んだ時は、苦そうに舌出してたのに。
しかもブラック!
大人じゃーん。
俺は大人だけどミルク入れるけどね。
あれ?
………ここで、俺はある変化に気がついた。
気がついてしまった。
これは、あとで雪音さんと相談せねば。
***
その日の晩の事である。
式神たち小狐は、既に下がらせて休ませた。
この場にいるのは、俺と雪音さん。そして座敷ギャルの童女である。
緊急大人会議の招集である。
手の中のマグカップのコーヒーの暖かさを感じながら
俺は、どう切り出した物か? と考えていた。
「……雪音さん。なんか銀色が茶髪になって来ているんだけど?」
雪女は、自分のマグカップを傾けつつ
俺をチラリと半目で一瞥すると
、
「……気付いてしまいましたか。」
どうやら雪音さんは、気付いていた様子だ。
「グレた?」
夏頃の銀色の髪は、雪音さんに負けず劣らずの
艶やかな黒髪だったんですよ。
それを、茶髪に染めるなんて……。
「まさか、ウチの式神に限って……そんな事。」
雪音さんは信じたくない!と云った風情で
頭を抱え、軽く振る。
そんな俺達を、呆れ果てた様子で眺めていた
座敷ギャルがジト目で
「……茶髪になった位で、グレた! とか、お前らは昭和脳か? 」
これに雪音さんが、深刻そうな顔で反論する。
「でも! 最近はこっそりと、お化粧とかもしてるんですよ! 」
「そりゃ、するだろうよ……もう16だろ? 」
「私が16の頃って、外で遊び回って真っ黒でしたよ? 」
真っ黒に日焼けした雪女てのもどうなんだろう?
子供の頃の雪音さんて、野性的だなー。
「いや、あんたが、おかしいだけだから。」
「……ぐぬぬ」
という表情で反撃の糸口を、必死で探す雪女であった。
──そんな時に
居間の扉が開き、メイドが入室してきたのだ。
そして俺達は、銀色の姿を見て一斉に固まった。
「あるじ様方、それでは身は、先に休ませて頂きますでありまする。」
俺と雪音さんは
固まったままの笑顔でコクコクと頷く。
「あ、えーと、そうだ銀色。………お小遣いとかは足りてるかな? 」
入り口のところで踵を返した銀色は
不思議そうな顔をして、俺達を見て
「はい、過分に頂いておりまするよ? 」
「あ、ああ、そうなの……。」
改めて、入り口のところで深々と一礼し
「では、あるじ様、雪音様、童女様、お休みなさいませでありまする。」
「「お、お休み。」」
俺達は揃って、ぎこちなくお休みの挨拶を返す。
「…………。」
「…………。」
銀色ってば、灰色がかった金髪になってたヨ。
俗に言う「アッシュブロンド」ってヤツですよ!
「カラーコンタクトも入れてましたよ! 眼が青かったですもの! 」
マジか!?
……玉藻さんのマネだよ、きっと。
ほら、便宜的に家に来てるけど、もともとは玉藻さんちの式神だもん。
そうであって欲しい!
「アレに憧れるとか困ります!」
困るとか言われても……
雪音さんの中では、玉藻さんって一体どんな存在なの?
座敷ギャルだけは至って冷静で
「騒ぐほどのことか? 」と切って捨てる。
まあ、待て
まずは、落ち着こう。
まだ慌てるような時間じゃない。
そう言って、俺はコーヒーに塩を振る。
「お前が一番、動揺しとるがな! 」
茶髪妖怪の鋭いツッコミが入ったのである。
「もし、もしもですよ? 本当に、銀色がグレていたとしたら……。」
俺達は脳内シミュレーションを開始する。
──深夜のコンビニの店舗前の駐車場
シガレットチョコを口に咥え、ウィスキーボンボンを手に、
アメリカ人と全く関係ないにも関わらず、ヤンキーと呼ばれる種族特有の
特殊な座り方をした銀色が
「喧嘩上等! 夜露死苦でありまする! 」
と、凄んでいる。
そんな姿が、もよもよと頭に浮かんで消えた。
「「 いやあああぁぁぁ!!! 」」
そんな絵面を想像をして2人で絶叫する。
「ハッ! そういえばスカートも長いですよ。」
口に手を当て「わたし気付いちゃったんです! 」のポーズで
ワタワタと雪音さんが動揺する。
雪音さんの、その指摘をウンザリとした表情で
座敷ギャルが、あっさりと論破した。
「英国調のメイド服なんだから、長いの当たり前だがな。」
「そうだった! 」と雪女は安堵して胸を撫で下ろす。
……そういえば、お小遣いも足りてるとか言ってたヨ!
俺が、そうポツリと呟いた一言に
雪音さんが「ひッ! 」と短い悲鳴を漏らす。
ましゃか!!
俺と雪音さんは顔を見合わせて……
──「オジさん、オジさん。」
眠らない都会の深夜。
家路へと急ぐ、くたびれた中年のサラリーマンを呼び止める
暗がりからの、若い女の誘い声。
「……身のイチゴ模様を、見たくないでありまするか? 」
ビルとビルと狭間の、薄暗い闇の中
そこには灰褐色金髪の若いメイドが、妖艶な微笑を浮かべ
何事かの、良からぬ誘いを掛けてくる。
「ちょっとだけお小遣いくれたら、見せてあげちゃうでありまするよ? 」
そう云って、徐々にスカートをたくし上げていく銀色……
「「 いやあああぁぁぁ!!! 」」
再び、俺と雪音さんはハモりながら絶叫の声をあげた。
「いや全部、お前らバカ夫婦の妄想だから。」
どこまでも、どこまでも冷静に
そんな俺達の最悪の妄想に、ツッコミを入れる童女であった。
──「おめーらは、銀色が信じられねーのか? 」
何時になく真剣な顔で、座敷童の童女は尋ねてくる。
その言葉に、頭を殴られた様な衝撃を受けた。
「……そうだな。」
童女の言う通りだ。俺達が信じてやらなきゃね。
大事な家族だもんな。
すると雪音さんが、そッと俺に白くヒンヤリとした手を重ねてきた。
顔を上げると、穏やかな笑顔で俺を見つめていた。
どうやら彼女も、俺と同じ気持ちのようだ。
「良い事を教えてやんよ。」
そんな俺達を半目で眺め
どこかムズ痒そうな、照れ臭そうな表情を浮かべ
童女は天井を指し示しながら
「この時間にな、銀色は屋根の上から街と夜空を見てんだよ。」
***
かすみ無く澄み渡る秋の夜空。
天空に架かる鮮やかな月は、屋敷の情景を優しく照らしていた。
草木をそよがせる風は涼として、晩秋の風情を運んでくる。
そんな屋敷の屋根の上、銀色は静かに佇み夜空を眺めていた。
色の変わった、銀色のアッシュブロンドの髪が
さらり、さらり、と銀の絹糸のように風に揺れ月光に輝く。
酷く幻想的なまでの美しさだった。
月を眺める、その表情はとても静かで穏やかで
一片の荒みすら、読み取ることなど出来ない。
俺と雪音さんは、屋根の出入り口の陰から静かに銀色を見ていた。
銀色は、そんな俺たちの気配に気付いたのか
ふと、振り返って
……嬉しそうに笑いかけてきたのだった。
雪音さんは、微笑みを湛え
きゅっと俺の手を握り締めて安堵を示す。
階段の下の薄暗がりの中から
童女は腕を組み、ニヤリと俺達に笑いかけている。
……なるほど、取り越し苦労も良いとこだった。
銀色は良い子のままだったよ。
***
翌朝、銀色の髪は流れる銀の滝の様な銀髪になっており
瞳の色は、氷河のような薄い蒼になっていた。
「「 また、変わった────!!! 」」
「あ、これでありまするか?」
そう云って、銀色は己の髪をついッと一房ほど摘み上げた。
コクコクと真剣な顔で頷く、俺と雪音さん。
「えへへ~ッ」と照れたように銀色は、はにかむと
「冬毛でありまする。」
「「 冬 毛 ッ ! ? 」」
「身は北極狐の血統が混じった、小狐の妖怪でありまするから。」
「冬が近づくと、身の髪と瞳の色は変わるのでありまする。」
「だから、身の名前は「銀色」なのでありまする。」
つまりグレた訳でも何でもない……と。
俺と雪音さんは、その場にヘナヘナと崩れ落ち
へたり込んだのであった。