44話 晴レまたは雨か雪
よく晴れた土曜日の午後。
猫田駅前にある喫茶店「鵜戸」
淡い照明に木製の椅子とテーブル。
店内に漂うコーヒーの良い香り。
ガゼボの「I Like Chopin」が流れている。
小洒落た雰囲気の店内には、涼を求めて様々な客がいる。
その中でも目についたのは窓際に面した席に一人で佇む女性客。
長い黒髪を背中の部分でリボンで結わえて
ノースリーブの白いブラウスで薄青のスカート。
頬肘を付き、物憂げな表情で道行く人々を眺めている。
彼女の前には、すっかりと冷めてしまったらしいコーヒー。
非常に美人なのだが…
「……いいお天気。……みんな死ねばいいのに。」
何てこと呟いてやがる!?
俺の向かい合わせに座っているフワリとした金色の髪を持つ謎の美女
玉藻さんが蒼い目を細めてジロリと睨む。
「我との「でぇと」の最中に、他の女を見詰めるとは良い度胸じゃ。」
え!? これって「でぇと」だったの?
近所のコンビニに買い物で行こうと家の門を出たところ
いきなり背後から羽交い締めにされ、何かを嗅がされて気が遠くなって……。
意識が戻ると、誰かが俺の髪をそっと梳いていた。
そして優しい顔をして微笑む狐神。
玉藻さんの膝に頭を載せて眠っていたのだ。
「暑いの。暑いから冷たい物でも飲もうか?……。 」
と、まるで予め目的地が決めてあったかのように、この喫茶店へと連れてこられたのだ。
素直じゃないなあ…この玉藻も
でもっ! 拉致は駄目だからねっ!!
「そなたは何故ゆえに珈琲を飲まぬ? 」
蒼い瞳を不思議そうに揺らせて
玉藻さんが問うてくる。
「やっぱり飲まなきゃダメかな? 」
テーブル上には金魚鉢のようなグラスに入ったアイスコーヒーがデンッ!と一つ置かれている。
……そう一つ。
そしてグラスには2本のストローが刺されていた。
所謂「バカップル専用コーヒー」ってやつだ。
「さあさ、仲良く飲もうぞ。一緒にな。」
笑顔と裏腹に有無を言わさない精神的重圧を掛けてくる。
ブラックホール並の重圧。
「どうしても一緒に飲まなきゃ駄目? 」
衆人環視の中で、これを飲むのは流石に小っ恥ずかしい。
現に注文した時にウエイトレスさんがクスクス笑ってた。
玉藻さんは頬杖を着き拈華微笑の笑みで俺を見る。
テーブルの下ではパンプスを脱いだ玉藻さんのつま先が俺の脚をなぞって行く。
なんか、くすぐったいしエロいよ。
「脚が長くて羨ましいよ」
やんわりと抗議をする。
謙譲を美徳するハッキリ言えない日本人的言い回しってやつだね。
さわっさわっ
両足で、やり始めやがった!
「ああ天気が良いから、リア充たちは死ねばいいのに。」
隣の席から先程の美人の呟きが聞こえてきた。
リア充ですと? 誰が? 俺が?
いっそ雪音さんや姫、玉藻さん達と関係持ってリア充になれるのなら、どんなに幸せか。
綺麗だしね! 可愛いしね! おっぱい大きいしね!
でもね、それは危険行為なんだよ。
誰に手を出してもBADエンドルート直行。
「私と一緒に死んでえぇぇぇ!!!! 」
俺は生き延びることが出来るか?
どこかに正しいルートがあるとするならば
今は迂闊に安易な行動を取る訳にはいかないのデス。
絶妙なまでの生殺し感と緊張感パネェっす!!
何しろ生命が掛かってる。
「むっ? 雪音の探針波動か? あやつ、ピーン! ピーン! と発信しておるわ。」
玉藻さんは「ピクッ」としてから愉快そうに笑う。
何故か隣の席の綺麗な女性も「ハッ」と顔を上げる。
探針波動?
「そう探針波動。自ら妖力の波動を発して跳ね返ってきた波から目標を探知する。雪音は、もともとは雪山に棲む雪女じゃから、探査範囲は非常に広い。……ただな、自ら波動を発するので自分も位置を特定される。故に他の妖怪たちは、そこまで多用はしない。雪音め、なりふり構わずピンピン打っておるわ。」
なんか潜水艦のアクティブ・ソナーみたいね。
じゃあ、すぐここに雪音さんがやって来るのか。
「他の妖怪たちが探針波動を頻繁に使わない理由はまだある。固有の波動パターンなので繰り返し使えば解析されて誰が探針しているのかも特定されるし、その波動に対応した隠蔽もされたりする。」
ますます潜水艦みたいだ。音紋取られるようなものか。
まだ足でペタペタ俺を触ってくる。
「さらには、このような物が作られたりする。」
と云って玉藻さんは、俺に手の平に乗せた2つの小さな水晶球の様な物を見せる。
「我とそなたの「波」を模した水晶球よ。」
なんかヤナ予感。
「近くの連込宿の一室に同じ物を仕掛けておいたわ。」
あんた何してますのん!!!
「それじゃ今頃、雪音さんは……。」
「どこの誰とも知らぬ男女が睦み合っている部屋に突撃しておるじゃろうなあ……」
愛し合う一組の男女。
施錠されているにも関わらず突如して開け放たれる扉。
着物姿の綺麗な女性が目に涙を浮かべ「浮気者! 」と叫びながら飛び込んでくる。
男性が女性に「あの女は誰よ! 」と身に全く覚えのない事で問い詰められる光景が目に浮かぶ。
大惨事じゃありませんか!?
「まことに不幸なことよのぉ。」
いや。それって概ね玉藻さんのせいだよね。
そんな「クククッ」とか笑ってる場合じゃありませんよ?それ。
緊張したら喉が乾いて、無意識にコーヒーに口を付けていた。
間髪を入れず、玉藻さんもストローを咥える。
これは恥ずかしい。
「あーあー暑くて堪らない。雨降らそう。」
またして隣席の女性の独白。
パタパタと手で顔を扇ぎながら、こちらも見ずに曰う
そんな時。
玉藻さんと隣席の女性がピクリとして外を見る。
「雪音が、ここへ来る。」
「凄い勢いで探針波をピンピンと打ってる。 どうやらここに気づいたようだ。」
暑い? 一気に涼しくなりました。
玉藻さんは大寒波が近づきつつある事を楽しげに云う。
モーツァルト流しておきなさい!
いや、ベートーヴェンか?この場合は
店を出ましょう!
ここにいると他のお客様が凍傷を負う危険がありますよ!
店を出ると先ほどの女性がウインドウ越しに軽く手をあげてウインクしてきた。
やっぱり美人は仏頂面より笑顔がいいよね。
おりょ? 晴れているのにパラパラと雨が降っている。
「天気雨」だ。
たぶん、もうすぐ雪へと変わるだろうけどネ!
「これは「狐の嫁入り」と言うのじゃ。」
玉藻さんは、そう云って
はにかむように腕を絡めてきたのである。