蚊と雪女
「ふぁーっ。」
眠い……。今週も忙しかったもんなぁ。
お昼寝したいな。
目がトロンとしてきた。
居間に行くと雪音さんが
「…お疲れ?」
と俺の頬を優しく擦って撫でてくれる。
「……うん。…眠い。」
雪音さんはニッコリと笑うとソファーに腰掛け俺を手招きする。
「膝枕してあげますから、お昼寝なさいな。」
ふぉー!膝枕!ひざまくら!HIZAMAKURA!
漢の夢だよ!
……それじゃあ、ちょっと恥ずかしいけど。お言葉に甘えて、お邪魔します。
「はいはい。」と載せた頭を優しく撫でててくれる。
はぁークンカクンカ良い匂いがする。ああ、幸せ…
開け放たれた窓からは、夏の樹々を通り抜けた爽やかな風がカーテンを揺らす。
折り重なる枝葉は、眩い陽光をキラキラと優しい木漏れ日へと変える。
そんな土曜日の午後。
ゆったりと流れる時間の中で、意識は薄れていく。
も…ったい…ない…よう…な
すーすー。
雪音は、まるで寝入った我が子を愛おしむが如くポンポンと優しく背を叩き
社畜を更なる深い眠りへと誘う。
……その時であった。
雪音の耳にプーンと高周波の羽音がする。
周囲を見渡す。
いた!
一匹の蚊が、眠る社畜へと接近しつつあった。
蚊をひと睨みすると、雪音の周囲に小さな小さな雪の結晶が現れる。
結晶たちは蚊を目掛けて飛んでいき、忽ちのうちに蚊を凍らせる。
(…ふう。)雪音は満足気に頷くと、再び社畜の頭を撫ぜようとする。
が、ヒトならざる雪女の超感覚は窓の外から迫る、蚊の大群を感知した。
雪音は(…窓を閉めねば。)と考えたが、今ここで動けば社畜を起こしてしまう。
かと言って誰か人を呼べば、やはり起こしてしまう。
この場から動かず蚊を撃退するしかない。
雪音は静かに、そう決意を固めた。
かくして、動けない雪女と蚊の大群との間にて変則デスマッチが開始される事になった。
蚊の大群は、すぐにでも窓から侵入してくる。
雪音は、ただちに「雪華輪形八門陣」を室内へと展開する。
遂に蚊の大群は襲来した。
輪形陣の外周部に続々と侵入してくる。
八つの大きな雪の結晶から次々と、凍気が小さな光となって蚊たちに打上げられる。
凍気に絡め取られた蚊の多くが、外周部にて撃墜されていく。
だが目標が小さなこともあってか、全ての蚊を墜し切る事が出来ない。
約三割弱の蚊たちが輪形陣中央へと突破を果たした。
しかし蚊達にとっては、そこは終末を意味する場所であった。
輪形陣の中央こそが最も護りが厚いのだ。
周囲の冷気が蚊の自由を奪う。
一匹。また一匹と床へと無情にも落下する。かくして蚊の第一波は壊滅する。
ここで、雪音の予想しなかった思わぬ事態が発生する。
「…クシュン!…さむい」
社畜が寒さを寝言で訴えたのだ。
だが非情にも雪音の妖怪レーダーは蚊の第二波の群れを探知する。
(外周部だけで何とかするしか無い……)
雪音は悲壮な覚悟をする。
輪形陣を解き、雪華八門を全て窓側へと再配置する。
侵入して来た第二波は、次々と撃墜される。
目標の小ささ故に、凍気に針の穴を通すような精密緻密なコントロールが要求される。
だが雪音も必死だが、蚊たちも必死なのだ。
数匹が外周を突破し、雪音と社畜の直上へと到達する。
各々が羽を翻し、プワーン!プワーン!と急降下してくる。
小さな雪の結晶が雪音の周囲から次々と打上げられ、突撃中の蚊を撃墜する。
勝負はついたかに見えた。
だが、一匹の蚊が社畜の頬へと舞い降りた。
それを見た雪音の額に青筋が浮かぶ。
しかし、蚊は一心不乱に社畜の血を吸っている。
ムカムカする。
雪音は大きく手を振り上げると
……蚊を目掛けて、一気にその手を振り下ろした。
パ チ ン ッ ! !
「あ痛た!!」