小豆あらい
「じゃーん。」
そう云って、雪音さんは俺にたっぷりと小豆の入った袋を見せる。
長く美しい髪をまとめが上げ、着物姿にエプロン。
完全お料理モードの雪音さん。
ニギニギと嬉しそうに袋を握り豆の感触を楽しんでいる。
ああ、この前に貴兄たちが持ってきたやつか。
頭に、まだコブが残ってるぞ。
キッチンに道具を並べて御満悦。準備は万端。
「これで餡こを作りますよ。こし餡にして水ようかん作りましょう。夏だから美味しいですよ。」
嬉しそうに、楽しそうに話す。
雪音さんは料理が好きだ。市販品で間に合うものまで手作りする。
小豆を計量器で計り、ザルへとあける。
「さて、まずは小豆を研ぎます。」
「それは私に、お任せ頂けませんでしょうか?」
突然、声を掛けられる。
振り向くとスーツ姿で七三分け眼鏡の銀行員風のオッサンが立っていた。
俺と雪音さんは顔を見合わせる。
「誰?」雪音さんはプルプルと首を振って「知らない。」
不審者だ!
俺は雪音さんを守るように立ち
「雪音さん警察に電話して!」と通報を促す。
「これは失礼、申し遅れました。私こういう者です。」
と云って、男性は懐に手を入れると名刺入れを出し俺達に名刺を渡してきた。
社畜の癖が出て「あ、これはどうもご丁寧に。」と両手で受け取る。
そこには、こう書かれていた。
全国小豆洗い組合 関東地区 理事 小豆洗雄
「初めまして。私、小豆あらいでございます。」
俺は肩を落とし、「はあ。」とため息を吐いた。
「お前にはガッカリだよ。」
「はい?」
どうやら、彼には俺のこのガッカリ感の意味がわからないらしい。
普通は、察してしかるべき事態なのに、そのことに気付きもしないようだ。
仕方なく俺は、その理由を説明してやることにした。
「常識的に考えれば小豆あらいって言えば、可愛い系の女の子妖怪が来ると皆が思うだろう?期待してくださってた読者の皆様に謝れ。」
俺は、そう思う。みんなもそう思うよね?
「はっはっ。何をいきなりメタい事を仰いますやら。」
何が可笑しいのか?とても大切なことだよ。
彼は眼鏡をクイッと直してから
「それに可愛い小豆あらいも、当然おりますので御安心を。」
なんだ、やっぱり居るんじゃない。
小豆あらいは鞄からタブレットを取り出し、俺に見せる。
そこには小豆色とでも呼べるような赤味がかった黒髪で
黒目がちの大きな優しそうな瞳をした、可愛らしい女性が小豆の入ったザルを持って写っていた。
「娘の更紗です」
「こっち連れて来いよ!」
男は「ナイスジョーク!」とでも言いたげな笑顔で
「はっはっは。ご冗談を。」
だが次の瞬間には
俺に対して仇敵に相対する如き表情を見せ問い詰める様に
「貴方のその「波」でうちの娘に何をする気だ?」
「あんな事か?そんな事か?それともアレな事もか?」
「小豆あらいとしてではなく、一人の父親としてそんなことは許さんぞ!」
手を戦慄かせながら、親バカっぷりを見せつけてきた。
しないがな。
俺にそんな事できる度胸があるくらいなら、この屋敷はとっくに俺のハーレムになってるよ。
……なんだか俺が悲しくなってきた。
小豆洗いは、ふと我に返ったのか
「失礼…少しばかりヒートアップしてしまいました。」
今さら遅い。
「……最近は娘がお風呂とかに一緒に入ってくれなくなりましてねぇ。」
当たり前だよ。てか、いきなり遠い目をしてそんな事言われても、こっちが困惑状態だよ。
「父親としては寂しい限りです。これも仕事優先で家族を後回しにしてきたツケなんでしょうかねぇ?」
父親の哀愁たっぷりに語らてもねー。
仕事とか関係なしに、年頃の娘が父親とお風呂入るわけ無いじゃん。
てか仕事優先って家族より小豆洗うの優先してたってことか。大問題だ。
「大丈夫ですよ!」
今まで黙って聞いていた雪音さんが拳を握りしめて力説する。
「お父さんが頑張って、小豆洗っていたのは何時か娘さんに通じますよ!」
違う。問題はそこじゃない。
小豆あらいはハンカチを取り出して目を拭う。
「雪姫さん、ありがとうございます。では早速、小豆を研いでしまいましょうか?」
なんで良い話風になってんの?俺がおかしいの?
小豆洗いは半纏にふんどし姿になる。すね毛がキモい
「これが我々の正装になりますので。」
娘さんの方で見たかったな…
彼は、早速小豆を研ぎ始めた。
「あーずきでも研ぎやしょか~♪ひとー取って喰いやしょか~♪シャキシャキ♪」
「物騒な」
「御安心を。これはあくまで「正調 小豆あらい節」です。」
「人など食いません。わたくし共はこう見えて美食家なのです。」
眼鏡光らせて云われても。
「小豆という物は、研ぎすぎてもいけません。また研がなすぎてもいけません。」
「研ぐにも絶妙のバランスが要求される繊細な豆。それが小豆なのです。」
要らん無駄知識を垂れ流しながら研いでいく。
雪音さんが真剣な顔でメモしている。
「ふう。さ、研ぎ終わりましたよ。どうぞ」
何かやり遂げた感に満ちた良い笑顔でザルを雪音さんへと渡す。
「後は?」
でも、研ぐ手際の良さは「流石に小豆あらい!」と素人の俺にも思わせる玄人芸だった。
これなら、さぞや美味しい餡このレシピも知っていることだろう。
だが……
「はい、小豆を研ぐだけが我々のお仕事です。」
隙間需要にも程があんだろ!
「小豆とか小豆料理の専門家じゃないの?」
チッチッチと指を振る
「……皆さんがよく誤解されておられるのですが、小豆を研ぐ専門家なのであって小豆の専門家ではないのです。」
色々とガッカリだよ!小豆あらい!
「先日も小豆の先物相場で大損出しまして。さて、妻にどうやって説明したものかと……」
素直に話して、少し折檻されたほうが良い。この人の場合。
「長々とお邪魔しましたが、また小豆を研ぐ機会がございましたら、先ほどの名刺に連絡先がございますので、どうぞご贔屓に。」
安心して、呼ばないから。
こうして雪音さんが餡こを仕上げたのだが。
小豆あらいの研ぎが良かったのか、雪音さんの腕が良かったのか
それは今まで食べたことがないような美味しい餡こだった。
小豆あらいの小豆洗雄さん。
更紗という娘さんの他に、阿来さんという奥さんがいます。