強敵
社畜さんのお屋敷のエンゲル係数は実は低い。
意外に思われるかも知れないが事実である。
当然カラクリがある。
姫神にある雪音さんの畑や田んぼから農作物が定期的に送られてくるのである。
さらには近所の畜産農家からの奉納品もある。
新鮮で安全な野菜やお肉が常に供給されているのである。
要する所、社畜さんは雪音さんの紐さんでもあるのだ。
通常、これらはクールな宅急便で送られてくるのが常なのだが
今回は少しばかり様子が違った。
屋敷の前に他県ナンバーのSUVが停車する。
助手席から中学生くらいの花柄のワンピースを着た女の子が嬉しそうに飛び出して
広く良く手入れのされた庭を通って玄関へと向かい、ドア・ノッカーを叩く。
「いらっしゃい。」
扉を開けて彼女の前に現れたのは、腰まで届く黄金の髪を持った碧眼の女性だった。
瞬間、少女の表情はみるみると強張り
「あい きゃん のっと すぴーく いんぐりっしゅ!」と叫んだ。
金髪の女性は「あ、あの日本語で……」と言い掛けたところで
少女は脱兎の如く逃げ出した。
少女はSUVから荷物を降ろしている、三十代前半のハンサムな男性の側まで駆けて来ると
「英語が出た!」と、涙目でのたまった。
男性は困惑の表情を浮かべ、眼鏡の位置を直しながら
「英語が出た?」と聞き返した。
少女はコクコクと頷き
「そう。英語が出てきた。」
男性が屋敷の玄関を見ると金髪の女性が手を振っている。
なるほど、あれが「英語が出た!」ね。と納得する。
少女は男性の背に隠れながら
「貴之さん。英語が話せるんでしょ?あれ何とかして。」
貴之と呼ばれた男性は、「別に英語とは限らないし」とは思った。
そもそも、あの人は夏樹の云っていた雪音さんに近しい存在の妖怪だろう。
「日菜乃ちゃん。あの女性は日本語喋れるはずだぞ。」
そう言われて日菜乃は先程に、あの女性が日本語を発していた事にようやく気づく。
「…誰なの?あの英語の女性。」
(何故に頑なに英語の人なのか?)
貴之は不思議に思ったが荷物を降ろす手は止めない。
まあ姫神では外国人なんて見ないからな。
「ねえねえ、あの英語の人誰?」
チラリチラリと玄関で笑っている金髪の女性を盗み見て日菜乃はしつこく訊ねてくる。
貴之は、ちょっとした悪戯心から
「んー?あの女性は雪音さんの宿敵で、夏樹のもう一人のお嫁さん。」
ドカン!と音がした。
見ると発泡スチロール製の箱が、正拳突きで打ち破られている。
あーあー、お肉入ってるのに……ちと悪戯が過ぎたか。
「………あんの色魔……雪音さんという者がありながら。」
「まずは、あの英語を倒さなきゃ!」
そんな日菜乃を見た貴之は、「狂信者」という言葉を思い浮かべた。
日菜乃はSUVの後ろからゴソゴソと練習用の薙刀を取り出す。
(夏樹ならともかく、そんなモンでどうにかなる相手じゃあるまい。てか何時積んだんだ?)
薙刀の柄でトンと地面を突き
「三条日菜乃!参ります!」と叫ぶ。
そんな日菜乃の急に声が掛けられる。
「こんにちわ。貴女が日菜乃ちゃんじゃな?」
玄関先にいた女性が、いつの間にか彼女の背後に来ていたのだ。
先程までの威勢はどこへやら「……ほへぇー」と日菜乃は件の女性を見つめる。
夏の日差しにキラリキラリと光輝く長く柔らか気な黄金の髪。
透き通った蒼い水晶のような瞳。優しげに微笑む。
朱くなって、慌てて薙刀を背中に隠す。
「ま、まい ねーむ いず 三条日菜乃…です。」
日本語と英語がちゃんぽんになっている。
それを見ていた貴之は真剣に心配する。
「この娘は、ちょっとヤバい性癖の持ち主なのかもしれない。」
「我は玉藻だ。」
咲き誇る華のような艷やかな笑顔で、玉藻は手を差し出してくる。
日菜乃は、ソッとその手を握る。白くて細くて柔らかくて…温かい。
雪音さんが冬の清らかさなら、この女性は夏の華やかさだ。
……こんな素敵な女性。きっと、あいつが誑かしたに違いない。
そうだ。そうに決まってる!
雪音さんを毒牙に掛けるだけでは飽きたらず、この女性まで……。
(なんか、さっきのは冗談でしたー。とは言い辛い雰囲気になってきたな……)
貴之は夏の日差しを眼鏡に映し。額の汗を拭う。
テキパキと車から野菜や肉の詰まった箱を玄関へと運ぶ。
奥からパタパタと雪音さんがやって来る。
「あらあら、貴之さん。暑い中わざわざお疲れ様です。すぐに冷たい物を用意しますね。」
ふう。と貴之は一息つくと笑いながら
「雪音さん、相当な強敵だね。夏樹に続いて、貴女の巫女まで籠絡されそうだ。」
奥へ行こうとしていた雪音が振り返り不思議そうな顔をしてから、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ
「あら、貴之さん知らないの?」
「強敵と書いて「とも」って読むんですのよ?」




