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私と彼女の14年とちょっと

作者: 山下さん

「妹が欲しい」


 全く記憶にないのですが、幼い私は頻繁にそう言っていたそうです。

 弟2人に、近所に住む従兄弟たちはこれまた男3兄弟。

 田舎に住んでおりまして、周りに住む同世代の友だちも男の子ばかりでした。


 当時の父は、昔気質の大変厳しい人でした。

 そんな父が、帰宅して小学生の私を大声で呼びます。

 急いで行かなくてはまた叱られる。何か悪いことしたっけ? 不安をいっぱいにかかえて駐車場へ行くと……。そこには、両手に納まる程の、小さな茶色の可愛らしい犬がいました。


 父曰く“チワワ”の彼女は……私と共にすくすくと成長し、中型犬サイズになりました。

 どうやらお母さんチワワが脱走した大冒険の際にできた、ミックス犬との愛の結晶だったようです。


 彼女は私の大切な妹であり、かけがえのない友人になりました。叱られて家から出されてしまった時は、彼女にぎゅっと抱き着くと、落ち着いて物事を考えられたものです。


 とても元気だった彼女。野鳥を見ていきなり駆け出し……私が引きづられていくという光景は日常茶飯事でした。私はジャージを二枚履きして、必ず厚手の上着をしっかり閉めて散歩に行くようになりました。


 人にはとても友好的で従順でしたが、他の動物には好戦的で、とても強かった彼女。

 小学校高学年の頃だったでしょうか。ノーリードの大型犬2頭に囲まれて吠えられたことがあります。恐怖で半ばパニック状態の中、「絶対に、この子が相手の犬を噛むようなことになってはならない」と思いました。噛まれること云々よりも、噛んでしまって彼女が処分されることのほうが恐怖でした。


 激しく吠えながら、彼女がすっと身を低くしました。

 正に応戦しようとしていた彼女のリードを、私は膝元にぐっと引き……過ぎてしまいました。

 激しく吠えていた口に私の膝が入り、一度だけガブリと上下しました。その時の彼女の呆然とした顔を忘れることはできません。


 その後、相手の飼い主が走ってきて事無きを得ました。傷も特には悪化しませんでしたが、彼女はとても悲しそうで、申し訳なさそうにしていました。そんな顔をさせてしまった私も申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


 彼女は度々脱走しました。首輪を新しいものに変えた、まだ辺りの暗い早朝に居なくなっていることが多く、そんな時は決まって私が叩き起こされます。

 家の前の田んぼまで出て大きな声で彼女の名前を呼ぶと、たったったっという足音と、はっはっはっという息遣いが聞こえてきて、彼女は私の腕の中に飛び込んできてくれたものです。

 私が呼ぶと帰ってくると、父も母も不思議そうに首を傾げ、私はちょっぴり得意でした。


 徒歩で通学し、自転車で通学し、そして原付で通学するようになり……バイトで遅い時間に帰宅するようになっても。

 どんな時間でも、彼女は嬉しそうに茶色の瞳を輝かせ、尻尾を千切れんばかりに振って甘えた声で出迎えてくれました。


 高校二年の時、事件は起きました。

 夏休みの部活を終えて。珍しくバイトが休みだったので原付で帰宅したのですが……彼女が出てきません。

 ヘルメットも脱がず、原付を乗り捨てるように慌てて降り、犬小屋を覗き込むと……そこには荒い息を繰り返し、横たわったままの彼女の姿がありました。


 当時、彼女は12歳。もうダメかもしれないという諦めが頭をよぎりましたが、いつもは誰もいない時間帯に私が帰ってきたことには、絶対意味があると思えました。

 震える手で、動物病院の電話番号を打ち込んで電話をするとすぐに連れて来てと言われました。

 父はすぐには帰ってこれないし、母も不在です。

 迷っている時間はなさそうです。ぐったりと荒い呼吸を繰り返すばかりの彼女を、段ボールへと移しました。夏なのに体はとても冷たかったので、ブランケットを詰めて。原付の足元へ置いてしっかりと足で挟んで連れて行きました。


 父親が仕事を抜けて少しだけ来てくれました。「お前が見つけて良かった」と。この厳しい父も、彼女のことは大切に想っていてくれたのだと、温かい気持ちになったのを覚えています。


 診察の結果、当時はあまり一般的に認識されていなかったフィラリアでした。薬を飲ませる方法もあるが、老齢だろうから助からないかも。このまま楽にしてあげたほうが……と言われた私は、診察台に横たわる彼女をひったくりました。

 そういう方法もあるでしょう。でも、私にはどうしてもそれができませんでした。


 帰りは、父が車で運んでくれました。帰宅した私は、犬小屋の隣に小さなテントを張ってそこで寝泊りしました。


 数日後……彼女はまだ生きていました。回復したようには見えますが……しかし、弱々しくてとても見ていられません。指定された日時に、父と再度、病院へと連れて行きました。

 

 診察台に力無く横たわった彼女は、不安そうな瞳で私をじっと見つめています。私も不安でいっぱいでしたが、彼女に伝わらないように知らんぷりをしていたのを覚えています。


 お医者さんはあちこち調べて……首を傾げてから、私に向かって言いました。


「お姉ちゃんは、外に出ててくれるかな?」


 私は真っ青になりました。獣医さんと父は何かを小声で話しています。絶対出ていくもんかと思いましたが、父が私を診察室から押し出しました。


 すると。

 今の今までぐったりと、力なく横たわり……餌だって私の手からじゃないと食べなくなっていた彼女が。ぴょんと跳ね起きて、診察台から飛び降りようとしたのです。父が慌てて捕まえたので落下はしませんでした。

 

 目を丸くする私に、獣医さんはおっしゃいました。「とっても元気です。甘え病ですね」と。

 どうやら、私は過保護すぎたようです。


 そこから2年。私が原付から電車に乗って通学するようになっても、彼女は元気に生き続けました。

 彼女はゆっくりと歳を取り……。学業の傍ら、バイトに明け暮れる私は日付が変わる頃に帰宅するようになりましたが、彼女は相変わらず出迎えてくれました。

 もう、犬小屋には住んでいません。玄関の一角に温かい毛布を敷いて、その上に丸まって眠っていることのほうが多くなりました。


 寒い冬の夜ふけ。雲一つない夜で、オリオン座が一際綺麗に見えたのをよく覚えています。家族で一番帰宅が遅い私は、なるべく音を立てないように玄関を開けました。


 迎えてくれた彼女は、ここ最近見たことないくらい元気でした。元気に立ち上がり、甘えた様子で頭を差し出してきます。

 元気なはずの彼女を撫でながら、私は涙が零れました。

 なんででしょうか、もうすぐお別れだって分かったんですよ。……不思議ですね。

 それが、今日なのか、明日なのか近い将来なのかまでは分からなかったけれど。

 

 突然死ぬかもしれないという恐怖が降ってきた2年前とは違います。自然なことなんだと。でも、決して後悔しないよう、できるだけのことを彼女にしてあげてきたつもりです。


「おやすみ」


 シャワーを浴びて、自分のベッドに入る前に彼女におやすみの挨拶をして、頭をゆっくりと撫でました。ここ最近の習慣です。

 彼女は気持ちよさそうに目を細め、毛布に横たわりました。黒くて素敵だった6本のヒゲは、もう全て真っ白です。でも、それでも……世界で一番素敵なヒゲでした。


 翌朝。彼女はもう居ませんでした。

 目を真っ赤にした父と母がお墓の場所を教えてくれました。

 厳しくも甘かった父は、私たちに亡骸を見せたくなかったのでしょうね。


 私は、彼女の最後の姿を見ていません。

 きちんとお別れをしたかったとは思いますけど、「おやすみ」ってちゃんと言えたからもういいんです。


 まだ小学生だった弟はずっと泣いていました。激しい反抗期中だった高校生の弟は、目が真っ赤でした。

 私は、ちょっとだけ泣きました。ううん、本当は結構泣いたかもしれません。もう忘れちゃいました。


 14年と少し。それが、私と彼女の一緒に居た時間です。

 もう、10年以上昔の話になります。


 フィラリアを知らなかった等、飼い主としての知識不足を本当に悔やみ、そこから色々と調べて自分なりに改善しました。

 そんな知識不足状態で暮らしていた彼女は14年生き、色々と勉強をしてから、次にお迎えした子は先天性の病で2年でこの世を去ったのですから、本当に分からないものですよね。


 ふと思い出したので、これ以上記憶が風化していく前に書いておきました。

 最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 山下さんの心が暖まる文章やストーリーは私のお気に入りです。 あなたの大切な彼女に逢わせてくれて、ありがとうございます。
[良い点] 犬を飼っている私には大変共感できる内容でした。読んでて涙が……苦笑 [一言] 私も幼少期から犬を飼ってきて兄姉弟妹として過ごしてきました。既に二匹を看取っています。 彼らは死期を悟っていて…
[良い点] 昔、亡くなった弟分の事を想い出しました。 彼と過ごした時間は彼が亡くなった時点で、それまで僕の人生の約半分、お話の彼女のように、時たま独りで散歩に行っては帰って来ると、さあ繋げと尻尾を振っ…
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