ブリリアンカットのガラス玉
こわくありません。
今日こそ、今日こそ、彼女にプロポーズするのだ!
と、俺は息まいていた。付き合うようになって半年、俺の言うことには「はい」と言って頷いてくれるものの、それが彼女の本心なのか分からずにいた。
なぜなら、彼女は本物のお嬢様。いつもお付きがいるからだ。二人きりになることはない。デートもいつもグループで、どこいってもお付きが二人、近くに潜んでいる。そんな状況で、彼女が本心を表せるのか知ったもんじゃない。
だけど可愛い。なんていうか、守ってやらなきゃって思うんだ。だから、俺が!って、息巻いてんだけど・・・やっぱり自信はない。
なんだかんだ理由を付けて、彼女とスキー旅行に来た。もちろんグループだよ。そしてお付きもいる。寝るときは男部屋、女部屋だよ!あ、別に怒ってないよ?でもなー・・・お嬢様って大変なんだな。
しかし、俺は諦めない。彼女をナイターに誘った。みんなでナイターに出て、お付きの人も勿論ゲレンデまで出てくるけど、いつも見られてると思うけど、俺は脇道を知っていた。
ナイター営業していないDゲレンデへ、彼女を誘い出したのだ。
脇道に入ってしまえば、お付きをまけるはずだ。
「林道に入ったら、そのまままっすぐついてきて。Dゲレンデで待ってるから。」
「はい。」
彼女はいつものように返事をしてくれた。俺の鼻息が荒くなるぜ。
道は一本道。電気はついてないけど、迷うはずはない。俺は彼女が脇道の林道に入ったのを確認すると、そのままCゲレンデを横切って、Dゲレンデに行った。彼女もついてきているはずだった。
ナイター営業していないゲレンデは暗かった。それでもうっすら月明かりがあるから、なんとか真っ直ぐ進んでいくと、Cゲレンデを越えて、Dゲレンデにたどり着いた。ちょっと霧が出始めていた。
リフトのふもとのチケット小屋にたどり着くと、俺はストックを雪に挿し、彼女を待った。
霧が出始めていて、彼女の姿が見えない。そんなに離れるはずはないんだけどな。
とにかく彼女が来るのを待った。
暗くて、めちゃめちゃ寒かった。ナイターは寒いんだよ、マジ。
でも、俺はある意味燃えていたから、しばらくは大丈夫だった。鼻息を鎮めながら、ポケットから小箱を出した。
彼女にあげる指輪だ。
実はこれ、買ったものじゃないんだ。だって、お嬢様の彼女に指輪買ってあげたって、インパクトないだろう?だいたい彼女は普段から貴金属に不自由はしていない。そんな彼女に俺ごときが買った指輪を見ても、屁とも思わないはずだ。
だから、ちょっと違うの持って来た。
俺のばあちゃんの形見。
10年前にばあちゃんが亡くなった時、もらったんだ。ただのガラス玉なんだけど、昔の結婚指輪らしい。ガラスだけど、ちゃんとブリリアンカットしてあって、きれいなもんだ。
なんか、こういうののほうがそれらしいかなーって思ってさ。持って来たんだ。
ハッと気づくと、霧が随分立ち込めていた。時間もかなり経った気がする。
ヤバい!彼女が来ない。これは何かあったはずだ。途中で怪我して動けなくなってるとか、変な方向に滑って降りちゃったとか。まさか、俺のこと嫌いでやっぱり引き返したとか・・・
いや、最後のは考えちゃダメだ。それを考えると寂しすぎる。こんな真っ暗闇でめちゃめちゃ寒いうえに、振られ決定とかって、みじめすぎだろ。
よし、考えない。そうだ、彼女はきっと困ってるはずだ。探しに行かなくちゃ。
俺は来た道を引き返した。霧が出ていて方向が分からない。音も良く聞こえない気がした。恐ろしかったが、彼女のことを考えると自分のことはどうでもよかった。彼女がこの霧の中迷っていたりしたら大変だ。
来た道を引き返すには上り坂になる。俺はスキー板を外し、肩に担いだ。この方が速いはずだ。
「おーい!」
俺の声は霧に吸い込まれるようだった。なんか本格的にヤバい気がする。だんだん焦ってきた。俺は一体何をしようとしているんだ。彼女のことより、自分の安全を確保した方が良いんじゃないか?だって、ヤバいだろ。と、少しテンパってきた。
その時、声がした。
「ひろしさーん。」
彼女の声とはちょっと違うみたいだけど、彼女かも。でもなんか、枯れた声。
「おーい!」
俺が叫ぶと、向こうに小さな明かりが見えた。懐中電灯のようだ。真っ暗な中に小さな明かりでも、俺は心底ほっとした。良かった。きっと彼女が懐中電灯を持っていたのだ。
ところが近づいてきた人影を見て、俺は本格的にパニクった。担いでいたスキー板を放り投げて逃げようとした。だけど、身体がこわばってしまって動けなかった。足だけは、なぜか進行方向、つまり向こうから来た人影に向かっていた。
「ひろしさん!」
声の主は、ばあちゃんだった。
ヤバい。俺、ついに来ちゃったんだ。
「あぎゃー!」
俺は取り乱していた。来ちまったんだ、あの世へ。なんでだよー!
ばあちゃんは俺に明かりを渡しながら言った。
「あんた、なぁにやってんの。こんなところまで来て。すぐ、戻りなさいなぁ。」
「え、戻れるの?」
「戻れるも何も、わたしがコッチ来ただけよぉ。」
ばあちゃんののんびりした言葉に、俺は膝が折れそうだった。良かった、俺まだ死んでなかった。でもなんで、ばあちゃんこっち来たんだろう。
「あたしの指輪、あんたが持ってるんだって?」
「え、うん。」
ああ、そういうことか。ばあちゃん、指輪返してほしかったのか。俺が取り出すと、ばあちゃんは嬉しそうだった。
「ちょっと見たくなっただけなのよぉ。ありがとうさん。」ばあちゃんは受け取らなかった。そして言葉を続けた。「だけどひろしさん、そんなもの彼女にあげちゃだめよぉ。ガラス玉なんて、だーれも喜ばないから。」
「そうなの?」
「そうよぉ。さ、もう行きなさい。指輪見せてくれてありがとうねぇ。」
そう言うと、ばあちゃんはうっすらと霧の中に溶けて行ってしまった。不思議と俺は全然怖く感じなかった。むしろちょっと嬉しかった。
俺はばあちゃんにもらった明かりを持って、歩いて戻った。彼女はすでに宿に戻っていた。それはそれで良かった。
俺はプロポーズするタイミングをなくしてしまった。だけど、彼女が誰ともなく「親に決められた婚約者がいる」と言っていたのを、聞いてしまった。つまり、彼女にとって俺は、本当にただのお友だちで、青春時代のいい思い出の一ページだったようだ。
がっくりはしたが、まあ、しょうがない。
俺はばあちゃんの指輪を見ていた。
物のない時代の、じいちゃんからのささやかな愛のこもった贈り物。ブリリアンカットのガラス玉。
ばあちゃんは「ガラス玉なんてだーれも喜ばない」って言ってたけど、そのばあちゃんは、このガラス玉を見に、戻ってきたんだよな。きっとじいちゃんの贈り物が嬉しかったはずだ。
俺はまた誰かにプロポーズするとき、この指輪を渡そうと思った。この贈り物を喜んでくれる人がいるなら、きっとその人と幸せになれると思うんだ。
ばあちゃんとじいちゃんみたいにさ。