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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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秋風の譜面 *矢玉

「ようこそお越しくださいました。皆さまがた」

 玄関で客人を迎えた紫子が三つ指をついて挨拶すれば、恐縮したように三人は取り乱した。とりなすように桐子が明るく声を上げる。

「菊子さんも、苑江さんも。それに柴田さんも緊張しすぎですわ。紫子お姉さまは優しい方ですから、そんなに硬くならなくても」

 そう言われてもなかなか緊張は収まらないのか、動揺したように目配せを交わしている。

 きっと家の者に“あの東郷伯爵家を訪ねるのだから、粗相のないように”などときつく言われてきたのだろう。その証拠に桐子を除く三人とも振袖姿だ。こうなると小袖で出迎えてしまった紫子のほうが少し居心地が悪い。

「いつまでも玄関先ではいけませんから、どうぞ上がってください」

 その紫子の言葉に慌てたように三人が動くのを苦笑する面持ちで紫子は眺めていた。




 弥生夫人の好意と趣味で用意されたピアノの部屋へ通すと、四人から感嘆のため息がもれるのに内心で同意する。

「素敵ですわ・・・・・・」

「こんなお部屋があるなんて」

「家具も、ピアノもなんて趣味がいいお品」

 そんな呟きが聞こうとしなくても耳に届く。

 窓辺に生けた松虫草がやさしくその藍の花弁を揺らす中、自己紹介が始まる。

「紫子お姉さま、こちらがわたくしと同輩の松伏菊子さん、萩野苑江さん。それに苑江さんのSの妹の柴田雪子さん。雪子さんはわたくしたちより三つ学年が下です」

 すすめられた西洋長椅子ソファから一斉に立ち上がり、お辞儀をする様子が一生懸命すぎて少々滑稽ですらある。

 桐子はそんな緊張しきった同輩の様子にくすくす笑いながら、友人たちへと向き直る。

「紹介するまでもないと思いますが、こちらが私のSのお姉さまの桐生紫子さまです」

「ご紹介にあずかりました、紫子です。本日はお越しくださりありがとうございます。ピアノ教室とは言いましても私も人にピアノを教えて差し上げるのは初めてで、正直戸惑っておりますので妙なところがありましても、お目こぼしくださいね」

 その気さくな物言いに、やっと三人の肩の力が少し抜けたようだった。

 西洋音楽そのものに馴染みがないであろう四人のために、まずは紫子が数曲演奏することになった。

 最初に弾いたのは、六鳴館でも定番の円舞曲――――――ワルツ。

 軽やかに弾むような調子の明るい楽曲。

「桐子さんは聴き覚えがあるのではないですか?」

「えっと、ええ。あの先日の六鳴館でお兄さまと踊った曲だったかと」

 あっているでしょうか、と自信なさげに眉を下げて告げられた言葉に、正解ですと返せばぱっとその顔が華やいだ。

「曲名は“華麗なる円舞曲”というのですよショパンという波蘭の国の方が作曲された曲です」

「波蘭、ですか?えっと欧州のお国ですよね?」

 いかにも才女、といった風情の菊子嬢の問いに、紫子は軽くうなずく。

「ええ、たしか独国のお隣だったかと・・・・・・私もくわしくはないのですが」

 次に弾いたのは孔雀舞――――――パヴァーヌ。

 ゆったりとした、なめらかに紡がれる調べ。

「これは欧州のダンスの曲としては定番とききましたが、六鳴館ではさほど踊られていないようです。皆さまもダンスの授業で聴いたことはありませんでしょう?」

「そうなのですか?」

 きょとんとした面持ちでひときわ幼い雪子が言う。

「ああ、雪子さんはまだダンスの授業を受けてないのですね。大変ですよ、ダンスの授業は」

 苑江が年長者らしく諭せば、自分の幼い物言いに恥じたのか、その小さな顔をうつむかせてしまった。

「私も苦手なのです、ダンスの授業」

 紫子のその一言に、少女たちにざわめきが広がった。

「まあ、才色兼備の紫の上にも苦手な科目があるなんて」

「ダンスや武術体操は丙ばかりですよ。体を動かすことは、どうもあまり得意ではなくて。薙刀も、苦手で母に叱られてばかりでした」

「それもまたお淑やかで可憐な紫子お姉さまの魅力なのですっ」

 桐子の妙な断言に、抑えきれない笑い声がくすくすと響いた。

「桐子さんはダンスがとてもお上手ですよね」

 おっとりとした風情の苑江嬢の言葉にうなずいたのは紫子だった。

「先日の夜会でも、大変お上手でした」

「そういえば、お二人とももう社交界デビュウなさったのですよね?どのようなものなのでしょう、六鳴館の夜会は」

 桐子と紫子をのぞく三人はまだ夜会に出たことがないのだろう、目を輝かせて尋ねられた言葉に、二人は顔を見合わせた。

 迷うように桐子は口元に手をやる。

「わたくしも、先日が初めての六鳴館の夜会でして。まず、もうあの規模に圧倒されてしまって」

「それをいうなら私もまだ二回しか出席させていただいておりませんから、あまり桐子さんとかわらないですから」

「まあ!そんなことありません。お姉さまはとても堂々となさっていて、まさに貴婦人といった気品と振る舞いでしたもの」

 誉められすぎて面はゆい。そおれをまた、羨望のきらきらした六つものまなざしが追うのだから頬が赤くなりそうだ。

 あわてたように鍵盤へと向きなおる

 三曲目はカドリーユ――――――群舞曲

 明るく賑やかな、跳ねるような曲調。

「これも六鳴館でまれに演奏されるようです。でもやはり王道はワルツでしょうね。ダンスで演奏されるのは、まずはこのあたりではないでしょうか」

 周りに少女たちをピアノの前に呼び寄せ、鍵盤に指し示す。

「ピアノは琴のようにいくつも音の出し方があるわけではありません。こうして押せば音が出る楽器です。基本は下の白い鍵盤を押して演奏します。黒い鍵盤はその半音上の音なのですが、まずは基本の音階を説明しますね」

 これがはず始まりの音、そういって鍵盤を押せば、絃の響く音がこだまする。

「琴で平調子の四の音、これが“ド”最初の音です。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド、とこのような音階になります。お琴の音階とずいぶん違うでしょう?」

 流れるように一オクターブ指を動かしそう尋ねれば、一斉に少女たちは頷いた。

「きっと皆さま戸惑われると思ったので、今日はこんなものを用意してみました」

 そう紫子から配られたのは、丸と線が交錯する西洋の譜面。それに、漢数字の琴の和音階が振ってある。

「これは、今から演奏する曲の譜面です。聴いていてくださいね」

 そういって再び滑るようにその白い指を象牙の鍵盤に落とす。

 固唾をのんでその様子を見つめていた少女の顔が、一斉に驚きに変わる。

 先ほどの西洋音楽より単純な音で作られた曲。それは――――――

「あ・・・・・・『さくらさくら』?」

 琴で弾く、馴染みのある曲。それも琴を習いたてで間もないうちに弾くそれ。

「ええ。みなさんにはまず譜面の読み方と、聞き覚えのあるこの国の曲からピアノに慣れていただこうと思いまして。どうでしょうか」

 困ったように微笑む紫子の両手を感動したように桐子が握った。

「紫子お姉さますごいですわ、わたくしもこれならピアノが弾けるようになれる気がしてきました!」

 それに同調する少女たちの様子に、紫子は胸をなでおろした。どうやって人に教えていいかわからず、ずいぶん前から頭を悩ませ苦心していたのだ。

「少し、休憩しましょうか。おいしいお菓子をご用意しているので。それが終わりましたら、一人ずつ順番に、まず鍵盤に触れてもらおうと思います」

 カステイラと煎茶を振る舞えば、皆の顔に少女らしい笑みが広がる。

 それをほっとした心地で眺め、紫子はもうひとつの譜面を取り出した。

 それは独国の童謡『野ばら』をこの国の言葉に訳した歌詞を載せたもの。将臣にお願いして歌詞を訳してもらい、紫子が音階をふったものだった。

 ふと、こぼれるような笑みが広がる。この譜面が使えるのは、いつになるだろうか。

 あの人は、今何をしているのだろうかと、ふと秋の空を見上げた。




 その頃、将臣は。

 絶対零度の微笑を浮かべ、大林と対峙していた。




***


 甲・乙・丙・丁は昔の成績のつけ方です。

 紫子が「丙」といっているので今でいう2か3ぐらいでしょうねー

 紫子運動音痴です

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