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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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聖母の讃美歌 *矢玉

「親とは、難しいものですね。本当に」

 病床に伏す修雅の元を訪れた明代はそっとその言葉を唇に載せた。

「よかれ、と思ったことを行なっても、それが我が子にとって耐え難い傷を負わせることになる。そしてそれに気付くのは、いつも後」

 二人の体調が、珍しくそろって良い日だった。

 明代の病状が回復してきたこともあるのだろう。適切な治療と、心労のない穏やかな日々が、彼女の病の進みを緩やかなものとした。今では体の調子のいい日であれば介添えを頼み、庭を散歩することもできる。元々、心臓の病であるので、発作がおきなければ平素と変らぬ暮らしが出来るのだ。

 だが大きな発作が起きれば、ある日突然、黄泉路を下る。そんなことにもなるのだが。 対して修雅の病状は、刻一刻とその命数を減らしていった。じわじわと蝕むようなその病はもう手の施しようがなく、気休めのような薬で体の苦痛を和らげるだけ。

 そんな有様であるので、二人が顔を合わせたのは今日が始めてだった。

 挨拶が遅れた非礼を丁寧に詫びた明代は、ぽつりと先程の言葉を言ったのだった。それに修雅は軽く瞠目する。

「明代殿?」

「紫子のことです。あの子も、あの容姿でしょう?あの赤い髪は、良くも悪くも人目を引きます。それでさんざん苦労をしてきましたの」

 赤く染め抜いたような、緋色の髪。

 それは幼い頃の将臣の銀の髪と同じく、鬼を思わせる。

「鬼の娘だの、忌み子だの。悪し様に言われ。あの子の場合はまた、なぜ赤い髪で生まれたのかわからないものですから」 異国の血を引くならば、黒髪以外の子が生まれることはあるだろう。外つとつくににはさまざまな髪の色をした者が住まうと聞く。だが、紫子の場合は違う。二親とも、この国の人間。

「あの子自身が、災いを呼ぶのではないか。そんな風に言われたこともございました」

 火事があれば、天災があれば、病があれば。あの子のせいではないかなどと陰口を叩かれた。

「桐生の家はこちらの東郷のお家とは比べものにならない程の小さな家です。あの子を守るものなど、何も無かった。」

 将臣のように家に縛られることもない代わりに、悪意の言葉は直接あの小さな体に降り注いだ。やわらかな幼子の心を蝕み喰い散らかすような醜い言葉の数々。

「私に出来たのは、あの子自身を強くする事だけでした。誇りを持て、自分を律しろ。悔いを残すような道を選ぶな、と。・・・・・・優しくない、親であったと思います」 右下の畳に、小さな雀の影が落ちる。戯れのようにそれに、明代は手を伸ばした。

「真実を隠すことは、あの子を弱くすることだと思った私は、あの子に全てを告げ隠しませんでした。己の母の死の遠因が、赤い髪であったことすら」

 告げて、しまった。水底に沈みこむように、それの言葉は深く深く響く。

「私はきっと伝え方を間違えたのです。同じ真実でも、もっと上手く、もっと優しく伝える方法があったはずなのに。歪んだ形であの子へそれが伝わるならばいっそと、気ばかり急いて。そのせいで、その言葉は長らくあの子を苦しめるものとなってしまった」

 よく言ったものです。と眉を寄せた苦笑をこぼす。

「後に悔いるから、後悔というなどと誰が言ったのか。まったくうまいこと言ったものです。忌々しいほどに」「・・・・・・そう、ですな」

「けれどなんのさだめか、天はあの二人を出会わせた」

 人と異なる容姿を持つゆえに、虐げられ同じ傷を負った者を。

「あの子達はもう、子どもでも独りでもありません。私たちを諭せる力さえ持っている。老いては子に従え、とはことをいうのかもしれませんね」

 そして修雅殿、すっと姿勢を正した明代のその姿は

「“武士に二言は無し”そんな姿勢もまた素晴らしいですが、あやまちと知ってなおそれを正さないのは潔し、とはとても言えない。そんな風に私などは愚考するのですが」

 驚くほど、紫子と同じだった。

「手厳しいな」

「女だてらに寺子屋の師匠などしておりましたので。叱るのは慣れておりますの」 薄く笑ってしれっとそんなことを言う明代に、修雅は深い声で笑った。

「まったく・・・・・・貴女はまさしくあの紫子さんの母親ですな」

 そう告げれば、明代はかろやかに笑い声を響かせた。

「殿方は大変ですわね。威厳や体面を守らなくてはならないといけませんもの。その点おなごは気楽です。歯がゆくも思うことも、多々ありますが」

 ふと遠い目を、開け放った障子の向こうへと向ける。

 秋色に染め上げられた庭。その池ににひらひらと落ち浮かぶ落葉に、つられたように浮かび上がる錦鯉。

「私が男であったならば藤乃にも紫子にも、あのような辛苦を味あわせはしなかったのに」

 明代はその呟きの意味を説明する気はないようだった。***


 冠木門をくぐった将臣は、届いたその音に耳を済ませた。

 秋の澄んだ風にのり、その音は微かに響いてくる。出迎えの女中へ上の空で返事をすれば、なぜだか笑われてしまった。

 音に誘われるように廊下を歩む。

 こぼれるように、落とされるピアノの音。

 けして聞きなれているわけではないがこれの曲は。

「Ave Maria・・・・・・?」

 景教の讃美歌ではなかっただろうか。確か聖母をたたえる、歌。


 光の中浮かび上がるように、そのつややかな緋色の髪を下ろした少女が、ピアノを弾いていた。


 鍵盤をすべるように動く白く細い指。

 光のもとで、微笑を浮かべた頬が白く浮かび上がる。

 一幅の絵画のようなそれに魅入られたように立ちすくんでいると、ふいに音が止まった。 ゆっくりと顔を上げた少女が将臣を見てほころぶように笑う。

「おかえりなさい」

 出迎えもせず、すみません。そう言ってピアノの丸椅子の前から立ち上がった少女はそっと青年に歩み寄った。

「お父上と弥生さんが、お話があるそうです。お部屋を訪ねてほしいと」

 面食らったように立ちすくむ青年を励ますように紫子は穏やかに微笑んだ。


***


 父の部屋へと向かっていると、なぜか廊下を歩む明代の姿があった。

「ああ、将臣殿」

「明代さん?お体はよろしいのですか」

「ええ、今日は特に」

 先ほどまで、修雅殿とお話しておりました。そう告げられ息を呑む。

「父は、起きているのですか?」

 最近の父は意識が朦朧とし、覚醒していることすら稀なのだ。その驚きを見て取ったように明代の笑みが深まる。「大変遅くなりましたが、お世話になっているご挨拶を申し上げに参ったのですが・・・・・・まぁ、あなたに良く似た頭の固い方ですね。よくいえば厳格、悪く言えば生真面目すぎる」

 この女性にかかれば父すらそのように言われてしまうのか。そう思えば苦笑しかもれなかった。

「さあ、修雅殿と弥生殿がお待ちです。早く言ってさしあげなさい」

 その言葉に背中を押されるように、将臣は父の部屋の前に立った。



***

◆あとがき


作中で紫子の弾いていたのはシューベルトのアヴェ・マリアのつもりでした。アヴェ・マリアで日本では一番有名なの(たぶん)

まあ、小説なのでお好きなのをどうぞ!

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