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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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脆弱な鬼の面 *奏嘉

重くも感じるほど沈黙の後、鳥の声が止むのを待ったかのように修雅は目伏せ口を開いた。




「将臣という名を与えるだけでは、いけなかった」



かつての事を思い出しているのだろうその口調は思いの外のんびりとしたもので、紫子は少し驚いていた。



「瞳だけではない。髪も当時は殆ど銀糸に近いような灰色の髪でね」



今はどうしているのかは知らないがと続けながら、修雅はひとつため息を吐く。



誰がどう見ても―――――否、この国の人々の目には。




例えばただ異人にはありふれたあの色。

ミシェルのような、ブロンドの髪であったりすれば、当時でも多少の理解はあったのだ。




「あの色を否定したことは無い。だが、私の息子だと公言してしまうことだって、難しくは無かっただろう」




祖父は、あの座敷牢で少年を生かす気など微塵も無かった。


あの閉鎖された座敷牢にて、まずは平常心でいれることが無いようにしようとしたのだ。

暇は人をもいとも簡単に殺してしまう。それを理解していた東郷家前当主は厳格以上に、文字通りそれこそ鬼であったと息子ながらに痛感した。



故意に餓死などさせようとしなくとも、それは程なく訪れるだろうと、首を括れるだけの布――――十分な衣服や、刃物を態と少年の手近に置かせた。



男はそれを阻むように、数多くの本を与えたり、定期的に女中などを向かわせ続けた。


祖父の持ち物である彼女らには金を握らせ、目を盗んでそれを続けさせたのだ。



座敷牢へと食事の配膳や掃除へ向かっていた旧い女中は、口々に憚ることも無くかの少年の事を、『東屋の鬼』と呼んでいた。




「普通の異人としても片付けがたい容姿は、……例えば妖を描くような絵師好むような、『鬼』を形容したような物らしくて」




少年は素直すぎたので、一度として自害を図ったりするようなことは無かった。

それだけが、男にとっての唯一の救いだった。





「死んだ将臣を殺す気も、アロイスを殺す気も無かった。何れあれが将臣という「看板」にも慣れ…、馴染んで、自己を確立できたらと思っていたのだ」



それを口にしてしまえば、その自分勝手さにいっそう目を伏せて、男は一度口を真一文字に結ぶ。

自身に付き纏い続けた粘着質なじっとりとした罪悪感は、きっとここから来ているのだと、男はいつからか気付いていた。



愚かしいと自嘲すら込み上げれば、不意に脳裏に前当主の瞑い目が過ぎった。

自分は、腐ってもあの父の血を継いでいる。

どれだけ薄くなってしまったとしても武家の血、選択を誤ろうとも撤回することを無意識のうちに酷く厭がるのだ。



忌むべき因習だと思うのにそれを取り払えない弱さの、何が武士か。



ぐっと男は掛け布団を掴んだ。




「……貴方さまは、アロイスさまを『素直すぎた』と、理解していたのに?」




―――――――凛と響く彼女の声はまるで研ぎ澄まされた一筋の青い刃のようだと思った。

静謐なその声音とは相反して、恐ろしいほどに爛々と光る飴色の目。




張り詰めた空気に動じることなく佇む少女の姿が、不似合いにも死合いに立ち合う武士のようだと、その空気を直に肌で感ずる。




「判らなかったのだ。浅はかで、愚かだった。私は」




誰から呟かれたのかも判らないほど、男の声は独り言のようにその静かな室内へと溶けていく。

男は室内を影にする障子越しの外を眺めるように遠くをぼんやりと見つめた。



「影形も無い人間をどう『再現』しようというのだ。あれはどうして、『将臣を再現』しようとするのか」



それを彼女に聞いたところで、判る筈も無いのだ。

そしてそれを彼女を前に口にしたのは、きっと幼児が駄々を捏ねる理由と同じで、無意味で幼稚なものに違いない。



――――――――『悪くない』と思いたかったのだ。

ミシェルに対してもアロイスに対しても、夫や父として、幸せにしてやりたかった事実に嘘偽りは無かった。

中途半端な自らの幸せを願ったばかりに、どちらにも傷を負わせてしまい、今まさに、その全てを断罪されようとしているのだ。






「私には、時間が無い。…こんな程度では、全ての贖罪にはならないのだろう。……それでも、紫子さん。貴女の言葉に従っても良いだろうか」






その言葉に次いで静かに障子を引き現れたのは、弥生だった。




「弥生」



夫の呼びかけに応えるように静かに頷いては、弥生は修雅の傍らへと静かに腰を下ろす。

二人で紫子へと向き直るようなその動作に、紫子はいっそう姿勢を正した。



しかし弥生の顔に浮かんでいたのは、意外にも何処か吹っ切れたような、晴れやかな表情だった。




「紫子さん、ありがとう」




突然かけられた感謝の言葉とその表情に、紫子は瞠目する。

花のように微笑んだ弥生の顔には、僅かだが涙の痕がうっすらと残っていた。





「……私達は、弱かった」





溶け入るような妻の声を肯定するように、修雅が僅かに俯く。

それをまるで支えるかのように修雅の腕へとそっと弥生が両手を添えた。




「……私の仕事は、夫の威厳を守ることでもあるんですよ」




まるで囁くように修雅へと告げられたそれは、強さすら感じる声音。

紫子は、この人も所謂『武家の女』であるのだと改めて理解する。





「あなたが武士として生きようとするのなら、その支えをするのが妻の役目です」



当たり前でしょうと小首を傾げる弥生は、何処か愛らしさすら感じてしまう動作で同意を求め笑って見せた。





「あなたの言葉は、私が代わりにきちんとアロイスに伝えます」





その言葉に顔を上げた修雅は弥生と視線を絡めた後、紫子へと視線を移す。

同じように弥生も紫子を見つめると、感謝するように紫子へとひとつ、静かに頭を下げた。






「そうしてやっと、本当の息子になってもらうの」






『母』らしい慈愛に満ち満ちたその漆黒の瞳は、深く澄んで。







「ねえ、あなた。私は昔からアロイスを、伊織と同じように愛しているのよ」





知らなかったでしょう。





情けなさすら感じながら、男は「すまない」ひとつだけ呟き頷くと、初めて嗚咽を漏らした。

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