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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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偽りの仮面のゆくえ *矢玉

「今の私に言えることは、そう多くありません・・・・・・けれど、これだけは」

 そっとその涙の伝う頬に、いびつな笑みをうかべる頬に紫子はそっと手を当てた。

「きっとあなたと私はどんなところでも出会えた。異国の血をひく青年と、士族の娘の私として。そう、信じています」

 将臣でなくては、出会えなかったなど。この出会いすら“将臣”の名によってもたらされた、ものだと。

「そんな哀しいことを、言わないで下さい」


***


 庭を眺めていた修雅は人の気配を感じ、その視線を襖へと向けた。

 入室の是非を問う声に、是と応えれば、現われたのはどこか異国を思わせる赤い髪をした、娘。

 丁寧に頭を下げる少女は、長男の嫁にと義弟を通じて紹介され、数ヶ月後にこの東郷に嫁ぐ少女。名を紫子といったか。

 自分の不調のせいで顔を会わせたのは、この屋敷に住まうこととなった際の挨拶をのぞけば言葉を交わすのは、ほとんど初めてと言っていい。

「お体は、よろしいですか?」

「気づかいは無用。紫子さんと言ったか。話したいことがあると、弥生から聞いている」

 そう告げればふと瞳を伏せた。ゆれる憂いを帯びた眼差しは、どこか言葉を探すようなそぶりである。

「将臣の、ことか?」

 水を向ければ、はじかれたように顔を上げ、ついでその飴色の瞳に強い光が灯る。

 一度唇を咬み、決意したようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「アロイスさまを、そろそろ将臣さまから解放してさし上げませんか?」




 床に伏した壮年の男を、近いうちに義父となる人をひたと見つめて紫子は言った。

「どういう意味かね?」

「そろそろ、アロイスさまを罪の意識から解放してさし上げたいのです」

「・・・・・・将臣はどこまで君に身の上を話しているんだ」

「おそらく、全てを」

 母上が異国の方であったこと、結核で亡くなったこと、弥生さんの亡くなった長男の将臣さまとして、生きていること。幼い頃に祖父の手にかかって殺められかけたこと。座敷牢に、閉じ込められ幼年期を過ごしたこと。

「アロイスさまは、私に話してくださいました」

「君は、あれのことをずっとその名で呼んでいるのか?」

「はい」

 眉を寄せる修雅に紫子の肩がこわばる。膝の上で合わせた両手をきつく握れば、爪が痛いほど手に食い込んだ。

「何故だ?」

「でなければ、彼の人は己を消してしまうから」

 おごりかもしれませんが、少女はゆっくりと唇を動かす。

「私だけは、あの方がアロイスであることを守らなければ。あの方は己を少しも守ろうとなさいません。それはすべて、自分は将臣に成り代わって生きているそう信じ込んでいることが原因であると私は思っています」

 ひたと修雅を見つめる眼には、燻る怒りがある。それを隠すように少女はそっと瞳をふせた。

 沈黙が、流れた。

 秋の陽気に誘われたのか、縁側には雀が集まり可愛らしく鳴いている。その上をはらはらと銀銀杏の葉が舞う。そんな絵画のような光景から障子一枚隔てただけだというのに、重く沈鬱なそれがこの部屋だけに満ちていた。

「君は、私の振る舞いが非道なことだったと思うかね?」

 アロイスは死んだこととし、彼の青年を将臣として生かしたことが。

 それに紫子は小さく首を振った。

「いえ。後から述べる最善などに意味はないと私は思っています」

 例えば――――――

「私は昨年まで、女給をして母の薬代を稼いでおりました。それを私は悔いてはおりません」

 驚きに眼を見開く修雅の様子に、心が鈍く痛む。けれど、たとえ義父に軽蔑されることになったとしても、結婚を取りやめるように言われたとしても、自分は述べたいことがある。

 きっとあの時あの場所で彼を生かし、彼の将来を考えれば。それは、悪い判断ではなかったのだろう。あの座敷牢から出し、彼の人を陽の元での暮らしを守るためには。

「けれどあえて言わせて頂きます。・・・・・・むごい仕打ちであったと」

 きっとこの人も思いもしなかったのだろう。自分の告げた言葉で青年が本当に“アロイス”を殺してしまうなど。

「彼は自分で自分の心を殺してしまった。体はあなたさまが生かしてさしあげたけれど、心は死んでしまった・・・・・・心も守って差し上げるべきでした。あの方は、ご自分でご自分を守れない。そんな弱さを抱えてしまった」

 座敷牢の向こうに見た、青灰の眼の幼子の眼差し。ひどく哀しげな

「アロイスさまの心は、まだあの座敷牢の鉄格子の向こう側に、おられます」

 重々しく枯れた声が、紫子の耳に届く。

「今からでも、あれの本当の名前を明かし生かしてやるべきだと、君は思うのか?この国で混血の子の生きる道はあまりに険しい。それをわざわざ言う必要はないだろう」

「違います。もちろん、そんなことは考えておりません。有象無象にまで、彼の人の出生を明かす必要があるとは私も思っておりません。そんな付け入られる隙を作る必要は無い。私はこの数年で嘘が必要な場合もあると、知りました・・・・・・でもせめて家族ぐらいは、親身になってくれる友人くらいは、アロイスさまがアロイスさまである事を告げては、いけませんか?」

 数度唇を噛み締めた後、紫子はそっとささやいた。

「今、あの方の妹である方が、この国を訪れています」

 紫子のその言葉に動揺したように修雅は掛布を強く握った。それを眼に止めつつも紫子は言う。

「ミシェルさまが産んだ薫さんという方です。幼いころに生き別れた母上と兄君を探すために、単身この国に参られたと。その方にもアロイスさまはご自分の出生を告げてはいません。他人で通すおつもりです」

 でも、それでは。

「それでは、あまりに、憐れです。息をし、血が巡っていても、心を押し殺してしまえば、それは生きているとはとても、言えません」

 あの人を、どうかアロイスさまとして生かして差し上げてください。

 紫子は懇願するように頭を下げた。

「あの方が造り上げた将臣という仮面は、きっとアロイスさまを守る楯となる。けれど、それを外す場所を儲けては、いけませんか?」

 それは必要な偽り。けれど、彼を苦しめる、他人でなければならないという思い。

「名を貸してくださっている将臣さまに恩を返したいと思うなら、アロイス様として恩返しをしていけば、いい。そうあの方に申し上げて頂きたいのです」

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