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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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風薫る時季から、色づく秋へ *矢玉

固い軍服のベストに頬を寄せているとさやさやと秋風が前髪を揺らした。

 淡い薔薇の薫りを伴ったそれにふと記憶が刺激される。

「以前アロイスさまに六鳴館への招待を受けた時も、薔薇の季節でした」

 慣れないドレスとコルセットで倒れてしまったあの時もちょうどこのバルコニーでこうして佇んでいた。

 今思えば、心労もあったのだろう。あの逢崎の屋敷で、己を殺して人形のように振舞っていた日々。あれからめまぐるしいほど色々な出来事があった。逢崎の企み、異母兄の狂気と事件、母の病気、そして告げられた、あまりにも哀しい彼の生い立ち。陽気な彼の友人、初めて出来た可愛らしい後輩とその傷、優しい将来の義母、義母によく似た義弟。己に思いを寄せた青年との邂逅、彼に想いをよせた美しい女性との遭遇――――――

 半年です、吐息のように紫子は呟く。

「貴方と出会って、半年が過ぎました。あの頃の私に、今の私に起きた事を話して聞かせてもきっと信じない」

 信じられないような、泣きたくなるような幸福な日々。己には過ぎた幸せにいっそ怖くなる。

 それもまだ道半ばでしかない。

「半年後、私は貴方の妻になる」

 ふわりと華のような笑みをうかべて、そっと青灰の眼を見上げる。

「それがとても嬉しく、待ち遠しいです」

 眼を合わせていた将臣がどこか力が抜けたように紫子の肩に頭をのせた。

「・・・・・・お願いですから・・・・・・私をあまり試さないで下さい・・・・・・」

 どこかぐったりとした様子に心配になり、その顔色を伺おうと半歩引きかけた背を、押し留めるようにぐっとひかれ、紫子は驚いた。

 耳元に、青年の息が掛かる。

「我慢が、できなくなります」

 耳殻にわずかに掠った唇に気をとられ一瞬理解がおくれたものの、告げられた言葉に紫子は動揺し身じろぎした。

「あ、アロイスさま少し離れましょう、私も貴方も今日はおかしいです!」

「嫌です」

 くすくすと笑うように告げられ、必死に身動ぎを繰り返す細い腰をぐっと抱き寄せる。

 だが安心した。いつものように彼女が調子を取り戻してくれさえすれば、抗いがたいほどの魅惑はすこし遠のく。

「っ。そういえば、母がそろそろ結納の準備をしてはどうかと言っていました。私も母も東郷のお屋敷に住まわせていただいているのであまりきちんとは出来ませんが、こういうことはけじめだからしっかりしなくてはならないと。問題は場所で、私の実家は遠くて母はとても行けませんし、東郷のお屋敷でさせていただくというのも妙な話で、どこかにお座敷を借りて行なうというのも昨今では行なわれるようでして。仲人も、どなたかにお願いせねばなりませんし、世話人であった叔父上にお願いするべきか、媒酌人はまた別に頼むのか、など。アロイスさま、聞いていらっしゃいますか?」

「聞いています。聞いていますよ」

 甘い空気を一掃させるためか、常に無いほどの口調と速さでまくし立てる紫子の様子が愛しくて微笑ましくて。

「私も、貴女が妻になってくれるのが、待ち遠しいです」


***


 二人がバルコニーへと姿を消すのをしっかりと眼にしていた山縣は天井を見上げていた。

「あいつの理性がいつまでもつか、見ものだな」

「おや?ご両人はどこへいったんだ」

 将臣を見かけて姿をくらましていた大林がふたたびひょっこりと顔をだした。それに顎でバルコニーをさしてやる。

「あっちだ。のぞこうなんてするなよ?馬に蹴られるどころの騒ぎじゃない」

「ほほう。こんな所で隠れていちゃつくようなお人にゃ見えなかったがなぁ」

「お前のせいだろ。紫子さんに呑ませたんじゃないか?」

 大林は驚いたように太い眉を跳ね上げた。確かに自分はアルコホル入りのグラスを手渡したが、再び受け取った時は半分も減っていなかったはずだ。

「あれっぽっちで酔ったのか?いやはや深窓の令嬢とは難儀なものだなぁ。いや待てよ、酔いつぶしてしまえば簡単なのか」

 中々に外道なことを言い出す大林の頭を、気付かれないように叩く。

「怒るなよ、山縣」

「怒ってねぇよ、呆れただけだ」

 ふうん、などとうそぶいて、夜会を見渡す。

 西洋風に着飾った紳士淑女が笑いさざめき、薔薇の薫りと美酒に酔い、料理に舌鼓をうつ。この国の富めるものだけに与えられた至福。

 何の努力もせず生まれでその栄誉を投げ与えられる者もいれば、自分のようにのし上がるようにしてこの宴に参加するものもいる。

 前者でもその地位に見合った振る舞いでnoblesse oblige(高貴なる者の義務)を果たそうとするものもいれば、ただの享楽に溺れる放蕩者もごまんといる。むしろ後者の方が圧倒的だ。

 その中でも数少ない“マシなほう”である青年をちろりと見て大林は太く笑う。

「あのお嬢さまも、きっとマシなほう。なんだろうな」

「は?」

「桐生紫子嬢の話だ。今時珍しいくらいの身持ちの堅いきちんとしたお嬢さん。背中に一本芯の通ったような。そうさまるで、武家の姫君みたいな」

 誇り高さを伺わせる、清冽なそのさまは噂の赤い髪よりも眼を引いた。

 少女同士で語らっている時は無邪気にも見えるほど可憐なのに、ひとたび東郷伯爵の婚約者としての対応を求められれば凛とした風情で受け答えする。その隙のない眼差し。だが、それが異性として求められればとたんに怯えたように身を堅くするそのアンバランスさが男としての眼で見れば、ぞくぞくするほど魅力的だ。

「うーん、あの東郷伯爵のものでなければ、本気で口説いてもいいんだがなぁ。すでに売約済みならしかたないか」

「何かお前の物言い聞いてると、俺なんかまだ上品じゃないかと思えてくるわ」

「そりゃお華族さまのお坊ちゃんが俺より下品だったら問題だろ」

 で、お前は?などと聞かれ間抜け面をさらしてしまった。

「華族の難攻不落の貴公子の双璧が結婚を決めたんだ。お前もそろそろだろ?」

「あ?ああ、そういう話か」

「何だ。お前なら選り取り見取りだろうにその気のない返事は」

「結婚、ねぇ」

 正直、しなくてもいいと思っていたのだ。

 桐子が傷を負い、内心嫁にいかないなどと堅く決心しているのに気付いてしまってからは。

 家は絶えるが、それを嘆く親はすでにいない。遠縁の親族などは騒ぐだろうが、いっそそんなやからに爵位さえ渡してしまえばいいと。

 けれど妹は変った。少女としての喜びを知ってからは花が綻ぶように美しくなっていく妹。きっと結婚しないなどという気持ちもいつか変っていくのではないかと、思わせるほどの。

「妹が嫁にいったら考えるさ」

「おいおい普通逆だろう?いくら溺愛する妹だとて、そこまで囲っていたら嫁に行くなんて騒ぎじゃなくなるだろ。お前みたいな小舅がいる家へ、誰が婿になりたいと思うものか」

「そういうもんか?」

「そういうもんさ。いきなり結婚じゃなくてもいいだろう。ちょっといいなという女はいないのか?」

 何も考えずに浮かんだのは、勝気な黒い目をした娘と、優しい月の色をして少女。

 二人が同時に浮かんでしまい、軽く呻いた。

「俺って気が多かったのか・・・・・・」

「よし、一人ぐらい俺に譲れ」

「やかましい。そういうんじゃねぇよ。ちょっと最近会ったってだけだ」

 多情のお前に譲れとか、冗談じゃない。そんな相手ではないと繰り返すのに、変に食いついてきた大林相手に山縣は繰り返す羽目になった。


***


あとがき


◆本編の時間軸で半年なのでしっとりさせてみた。連載始めてからも半年ぐらい?かな。最初の頃は時間リンクしてて、追い越して、やだまが連載とめてリアルが追いついてきた、ような。 

◆この当時の結納とか結婚とか仲人とかよくわからなかったので調べました。いつもこういうの調べものが後手後手になるのをなんとかしたい。

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