その微笑みは、凍りの花に似て *矢玉
◆問題を棚上げし、再びの六鳴館編。だって書きたかったんだ!!
◆色々出したい人がいます。書きたい場面もあります。全部かけるかな! 今回のもそんな一つ。
「お姉さま、桐子一生のお願いですッ どうか・・・・・・どうか、六鳴館の夜会へ御一緒していただけませんか?!」
必死な顔で泣きつかれたのは、数日後の事だった。
このたび、めでたく社交界デビュウとなる桐子なのだが、初めての正式な夜会が不安で不安でならないらしい。付き添いがあの兄だけでは心もとないときっぱり言いきり、眉をさげておろおろする。他の女性の知古もいないため、紫子だけしか頼れる人がいないのだと。
そんな懇願を無視することもできず、おずおずと事情を将臣に伝えれば、すでに山縣の方からも話が持ちかけられていたらしく、二人は再びあの宮殿のような館へ赴くこととなった。
その準備にとドレスを仕立てたり、アクセサリィや髪型などの準備で数日間はばたばたとしていたが、あと数時間で夜会となる今、ぽっかりと紫子の時間が空いた。
今日使う細々とした品々を並べていた手を紫子はふと止める。
――――――『…………彼女の母を食い潰した鬼が、どんな顔をして会えば良いのでしょうね』
あの時の青年の言葉は、どういった意味なのだろう。
傷ついたような、深い悔恨の滲む声。ひどく暗く沈んだ青灰の瞳。
彼の人の産みの母上は、結核で亡くなったと聞いた。その死に目には会えなかったと聞く。それを悔いているのかとも思うが、違うと紫子の心が囁く。
あれは、そう。
己のせいで、母が死んだ。そういう言葉だ。
覚えのある感情に、紫子の顔が歪む。
紫子の産みの母も、紫子が赤毛に生まれたせいで産後間もないうちに逢崎から追い出され体を壊し数年後帰らぬ人となった。
育ての母も、己を養うため病を得るほど働き、今も病床に臥している。
乱れる感情に顔を覆う。
本当に、己の憶測どおりだとしたら。
慰めの言葉が、かけるべき言葉が、見つからない。
己も母殺しの業を背負っているだから。
***
馬車から降りるのをにさっと差し出された白手袋に手を添え、かかとの高い西洋靴に気をつけながら短いきざはしを降りる。
六鳴館は、おりしも紫子の社交界デビュウだった初夏の頃と同じく、薔薇の季節だった。秋薔薇の芳香が風に薫る。漆黒の闇を、ガス燈を映した上質な硝子が万華鏡のような光を投げかける、異国の物語に登場するような白亜の館。
うやうやしく開けられた観音開きのドアをくぐれば、わっという歓声が耳に届く。耳目が集まるのが、肌に感じられ紫子はその顔に優雅な微笑をのせた。
今日の紫子は、深みのある葡萄色のドレスに身を包んでいた。身ごろに黒地に銀糸の入った西陣を用い、裾には蔓模様とその先にたわわに実った葡萄をあしらわった秋を思わせる意匠。赤い髪には、少し燻した金作られた宝石の果実をついばむ鳥の髪飾り。今日の桐子の髪を飾る銀の髪飾りと色違いの品で、夏に避暑で訪れた軽井沢で送られたものだった。
エントランスに佇んでいると、所在なさげに佇む少女の姿が。緊張気味でこわばっていた顔も、紫子の顔をみただけでぱっと華やぐ。
「紫子お姉さま、本日はありがとうございます。今日の紫子お姉さまも素敵ですわ、やはり紫子さまは洋装がとてもお似合いですね」
「桐子さんこそ、とても可憐で可愛らしいですよ」
そう言えば恥らうように頬を染めるのが、また初々しくてひどく愛らしかった。桐子の初めてのドレスは、淡い薄紅色の濃淡の美しい花弁を幾重にも重ねたようなドレスで、やさしく揺れる秋桜のようだ。
始めて夜会を訪れるあの山縣伯爵の妹君を一目見ようと、あっという間に人々に囲まれる。緊張気味にそれらの人々に対応する桐子の助けとなるように、紫子は隣に並んでいた。
紫子自身も東郷伯爵の婚約者として華族の集まりや軍部で顔見知りとなった数名と、挨拶を交わしていく。その人々の紹介で引き合わされる人々も合わせれば、その数は数えるのも億劫になるほどだ。
己の奇異な髪の色も、東郷伯爵と山縣伯爵にエスコォトを受ける身であれば、あからさまに言う者などいなかった。守られている、そう実感する。
自分は、何ができるのだろうか。
会話が丁度途切れたのも手伝い、そんな思いがふと泡のように浮かぶ。物思うように視線をめぐらせば、ふと途切れた人ごみの向こうにその姿を見かけ、すっと紫子の顔から表情が消えた。
「紫子さん?」
紫子のその変化に一番に気付いた将臣が、その飴色の視線の先を追い軽く眼を見開いた。
逢崎子爵、その人の後姿だった。
東郷家の紹介のもとこの六鳴館に招待された子爵だったが、その後自力でこの夜会に参加できるくらいの根回しと立ち回りには成功したらしい。
東郷家とも、紫子とも、縁は完全に切れている。
はっきりと明言していないが、それとなく華族の間ではそう広まるように心をつくした、そのかいあって今では暗黙のうちにみな心得ている。
だから、この夜会で顔を合わせたとて何の義理も無いという顔をすればいいのだ。
「東郷さま」
それでも。
「逢崎子爵に、ご挨拶申し上げてこようと思います」
凍った声で、冷ややかな眼差しで。紫子はそう告げた。
数秒の沈黙の後、私もご一緒しましょうかという問いかけにゆるく首を振る。
「私だけで赴きたいのです。東郷さま、お願い致します」
ひどく真剣な眼でそう見上げられれば、是というほかになかった。
そっと三人の輪から抜け出した紫子は、西洋靴をこつこつと静かに鳴らしてその背に歩み寄る。
夫人はおらず、子爵一人のようだ。他の客との会話を終え、一人になった男の背中に紫子は声を投げかけた。
「ご無沙汰しております、逢崎子爵」
うっすらと凍りの花に似た笑みを浮かべて。
子爵は突然現われた“娘”にひどく狼狽したようだった。
それにはかまわず、紫子はその紅唇を動かす。
「ご健勝なそのご様子で、なによりです」
「紫、子」
今更何だという様子を隠そうとしない様に、内心嘲笑を向ける。
「母も御陰様で元気に過ごしております。私も、同様に」
その言葉で病院の一件を一気に思い出したのだろう。腹立たしげもらされる舌打ち。
「それをわざわざ言いに来たのか?あてつけがましい。親を侮辱するなど――――――」
「親とは、誰のことでございましょう?」
優雅に、いっそ可愛らしく小首を傾げる。
「“赤毛の娘など、私の子ではない”のでしょう?私も、母達以外を親だとは思ったことはございません。桐生の姓に戻り、やっとそう公で言えるのがひどく喜ばしい」
それに東郷さまに嫁ぐのが逢崎の娘では困るのでしょう?
怒気を凍らせた飴色の眼は、それでも息を呑むほどの激情を孕んでいる。子爵の怒りなど、その比ではない。
とっさに罵ろうと口をひらこうとした子爵の言葉を遮るように口を開く。
「そういえばご子息は、お元気ですか?東郷さまが、気にかけていらっしゃいました」
棒を呑んだように硬直するそれをますます可笑しげに瞳だけで嗤い、紫子はことさらゆっくりと言葉を紡いだ。
「東郷さまのご友人の山縣さまも、ご心配されていたそうです。あのような振る舞い、逢崎は大丈夫なのかと」
言葉にしない言葉で、脅しかける。“あの事件”は逢崎にとって醜聞以外の何者でもない。紫子を利用し、東郷の名を借りて押し上げるようにしてやっと築いたこの地位をこの男は失いたくないはずだ。
「軽々しい振る舞い、お控えくださるよう私からも進言させていただきます」
それでは。あくまで貴婦人のようにドレスをつまんで礼をし、子爵へ背を向ける。
「紫子」
思わずこぼれたといったその言葉は、何のための言葉か自分は知らない。知りたくも無い。
「誰を呼んでおいでですか」
微笑を消した、一瞬の表情。
「貴様に名を呼ばれる筋合いなど無い」
刃の一閃ように放たれたその言葉に、笑いさざめく夜会の人々が気付くことは無かった。
***
あとがき
子爵フルボッコ(言語)にする紫子が書きたかったんです。
もうちょっと激しくてもよかったかな