珊瑚と金平糖 *矢玉
「あの店、気に入らなかったか?」
どこかその青灰の眼に沈んだ色を見せるの友人をおもんばかり、山縣はそっと言った。
いや、と小さく首を振るその笑みが、なんとも脆さをのぞかせますます山縣は眉をひそめる。
軽い気持ちで、彼に似ているからとあの異国的な容貌をした少女に引き合わせたのだが、何やらまずかったようだ。この友人を気鬱にさせてしまったらしい。
呑みにいく場合は帰りが何時になるかわからぬため、酒を飲む時はいつも二人とも馬車をやめは徒歩と決めている。かすかに寒さを感じさせる秋の空気を肺いっぱいに吸い込み、山縣は大きな、そして重いため息をついた。
それにぎょっとしたように将臣が立ち止まる。
「どうしたんだ、お前」
「いや、何だか最近からまわっちまってばっかりでな・・・・・・さすがに凹んできた」
「は?」
「いや・・・・・・な」
しばし口を噤んだものの、いっそぶちまけたくなったのか山縣は口を開いた。
話は、数日前にさかのぼる。
***
桐子が仕上がったドレスに合わせるアクセサリィが欲しいといったので、宝石を扱う小間物屋を屋敷に呼び寄せたのだ。
今まで和装ばかりだったため、洋装に合わせた装身具などひとつも持っていなかった桐子は、はしゃいで様々な品をひとつひとつ手にとり、嬉しそうに取りためつすがめつしている。
口では無駄づかいするなよ、などと言いながらもそれを満足そうに眺めていた。ふと思い立ち、自分も妹の頭ごしに机に天鷲絨を敷かれた机の上に並べられた品々を覗き込んだ。
きらきらと輝く品々は、綺麗なものだと感心は覚えるが、どれも同じに見えてしまう。
「兄さまはこちらの緑柱石と、こちらの青い宝石のどちらがいいと思います?」
「あー・・・・・・違いがわからん」
「もう!本当に兄さまデリィカシィがないんだから!!」
「デリカシィの問題か、それ」
「細かな機微がわからない人という意味です!もう」
怒りながらも、それはじゃれあいといったもので本気ではないのは両方ともどこか承知している。
ふと、一つの品が目に止まり、自分でも驚いた。
それは、真紅の珠と鈴のついた玉かんざしだった。
丸く磨いた血赤珊瑚に銀の鈴が映えて美しい。洋装の装飾品の中で、和的なものが珍しかったかもしれない。何だか気になり、手に取るとふと思い浮かんだのは数日前になかなかインパクトのある出会い方をした娘の姿だった。
いかにも気の強い、きっぷのいい江戸っ子といった“おりんちゃん”
『“鈴”と書いて“りん”だから』
その言葉が、頭のどこかに刻まれていたのかもしれない。
小さく振れば、ちりん、ちりん、と可愛らしい音を鳴る。
「ちょっと可愛らしすぎるかぁ?」
「兄さま?」
きょとんとし、見上げるようにそれを眺め桐子は小首をかしげた。その後、いきなり興奮したように頬を染め、勢い込んで聞いてくる。
「もしかして、それをどなたかにお渡しするお相手でも!!えぇ?!兄さまもやっと!!」
「馬鹿違う早合点するな」
一息に言い切ったものの内心、ぎょっとしたのも確かだ。そういう相手ではないものの、浮かべた相手は女性だったので。いや、かんざしを片手に思い浮かべるのが男だったらおかしいのだが。
しかし、なんでこう女というのは恋だの愛だのという話を嗅ぎ付けるのが驚くほどすごいのか。
「そういやお前、この間の旅行ん時に将臣に貰った髪飾りとあわせて他のアクセリィ選ぶって言ってなかったか?」
「まぁ、そうでしたわ!ちょっと取ってまいります」
ぱたぱたと駆けていく後姿を見送り、こっそりと小間物屋に告げた。
妹には内緒でこれを買いたい、と。
***
「また来たの、あんた。そんなに軍人って暇なのかい」
呆れて出迎えた鈴は、前の剣幕はないもののやはり迷惑そうなそぶりである。
「今日は客として来たんだがなぁ。もうちょっと愛想はくれないのか」
「うちはほんとは軍人お断りなんだよ。店に入れてやってるだけ奇跡さ」
で、注文は。
つっけんどんに聞いてくるのに、一太郎は?と返せば、きょとんとしたあどけない顔を見せ、おお、と思う。
しかめっ面をずっと向けられるせいで、他の表情が見られると何だか得した気分になる。
「一太郎、出といで」
奥でなにやら言いつけられた用事をすませていたのだろう、腕をまくったままぱたぱたと出てきた子どもに、しゃがみこんで目線をあわせてやる。
「お、一太郎。今日もねえちゃんの手伝いか?えらいな」
「ふつうだよ。軍人のにいちゃん、今日はどうしたの?あんみつ食べにきたの?」
「おう。あとこれ、一太郎に土産だ」
手ぇ出せ、そういわれて素直に両手を出してきた小さな手にぽとんと落としてやったのは、独楽だった。つやつやと緑に塗られたそれに顔を輝かせ、くりくりとした目を向けてくる。
「もらっていいの!」
「おう」
「ありがと、にいちゃん!!」
ぱっと駆けていってしまうのを見送り、振り返ると何故だか鈴は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。その意味がわからず、内心首を傾げる。
「さて、おりんさんにはこれだ」
ひょいと出したのは、珊瑚と鈴のかんざし。ちりん、とまたひとつ音を立てる。
その後の顔が、山縣には忘れられない。
どこか痛いような、そんな顔で宙を睨んでいた。
「いらない。馬鹿にするのもたいがいにしてくれる?とっとと帰れ」
こちらの顔も見ないそれに、山縣は眼を見開いた。
***
「んなことがあったんだよ」
はぁ、と星空を眺めて再び息を吐く。
「何が気にさわったのかさっぱりわからん。嫌いなやつからの送られるのが嫌なら、普通に断ってくるだろ。それならわかるんだ。半分突っ返されるの考えてたし」
「むしろお前がかんざしを女性に送ろうと考えていたのに驚いた」
「いや、深い意味なんかないんだ。ただ、似合いそうだと思っただけで」
けろりというのに内心で、なんでだと問いかけたい。だがわからないだろうと将臣は口をつぐむ。誰にでも優しいこの男はきっと、子どもが子どもにするようにただ素直な気持ちでそれを渡そうと思ったのだろう。
「女性の気持ちなんて、私に聞かれてもな・・・・・・」
「かといって桐子に話したら五月蝿いしな。実は紫子さんに相談のってもらってもいいかってお前に頼もうと思ってたんだわ」
「今日なら時間もあると思うが」
「いやいや、こんだけ酒呑んだ後は悪いからいい」
「いや・・・・・・紫子さんは気にしないと思うが・・・・・・」
「お前、実は酔ってんだろ?」
「でも、悩んでるんだろ」
それを言われると黙り込んでしまう。結局、今日は泊まるという名目で、東郷邸の冠木門を潜ることになった。
「それは、山縣さまが悪いですよ」
きっぱりと紫子に言われ、床にのめり込みたくなった。
「紫子さんも、帝都へくる前は町で暮していたと聞いたので・・・・・・」
「庶民と言い切って頂いてかまいませんよ?私の実家は、裕福ではないですから」
微笑ながらそんな風に言い切られてしまっては何も言えない。
例えば、私だったら。そんな前置きに、ちょっと身構える。
「そんな贈り物されたら、何事かと思いますね。だって知っていますか、山縣さま。その珊瑚のかんざし一つで、庶民は一年は暮せるんですよ」
ぎょっとしたように顔を見合わせる二人に、やはり華族の令息なのだなとこっそり思う。
将臣の場合はまた色々異なり、町で暮していたこともあったがあまりに幼くて金銭の価値や使い方などまだ覚える前だった。そういう金銭感覚というもののを身に着けるころには、もう『東郷将臣』として生きていた。
「そんなものをぽんと渡されたら、驚かれるのも無理はありません。むしろ話しに聞いたその方の気性を考えれば侮辱されたように感じるのでしょう」
哀れんで施しを受けた、と思って。
そうではないと大きな声を出しそうになり、ぐうと唸る。ここで怒鳴ったところで何の意味もない。
「独楽の時点でやめておかれるべきでしたね」
「紫子さん。そのあたりにしてやってください。征光が本気で凹んでいるので」
「いや、紫子さん。ありがとう。おかげで目が覚めた。というか色々わかった、と思う」
まだちょっと自信がないのは、今いま固定概念が砕かれたからなのだが。
「迷惑ついでにもうひとつ頼んでもいいですかね?」
きょとんとした飴色の目が、その言葉を聞いて笑みに変る。了承を得られて、やっと山縣はほっと息をついた。
***
「はーい、いらっしゃ・・・・・・い?!」
暖簾を潜る人の気配に、反射的に答えかけ思わずどもってしまう。語尾が不自然に跳ね上がり、鈴はあわあわと手を振る。
「あ、えっと異人さん?話わかる? えっと、食べるの、何か」
それに小さく微笑んで赤い髪の綺麗な顔立ちの少女は小さく首を振った。
「大丈夫ですよ、言葉はわかります。私はこんななりでも異国の人ではないので」
「あ、そうなの。ごめんなさいね、勘違いして。どうぞ、奥の席へ」
案内しようとすれば少女は振り返り、後ろについてきていた老人に声をかけた。心得たようにうなずき、鈴にも軽く頭を下げてその場を立ち去る。
付き人だろうかとぼんやり思う。海老茶袴姿といいどこかのご令嬢の女学生かと勝手に納得し、茶を入れるため一端炊事場に入る。
「はい、ご注文はお決まりで?」
「ええ、こちらはあんみつがおいしいと聞いたので」
評判を聞いてきてくれたのが、純粋に嬉しくて鈴はにかりと笑った。右の頬に、小さなえくぼができる。
「じゃあ、あんみつひとつね。一太郎!」
りんさん、そんな声が聞こえ、炊事場に向けかけていた足をとめくるりと振り返る。
「お店の手があいたらでいいので、少しお時間いただけますか?」
「え?いいけど」
何で名前を知っているのかという疑問が浮かんだのは、急須に茶葉を入れた時だった。
店の忙しさもひと段落し、辛抱強く待っていてくれた女学生のもとへと向かう。急須を片手に近づき、二杯目の茶を注げば嬉しそうに目を細めて礼をいわれた。
あ、この娘、眼の色も変っているなと鈴は気付く。色の薄い飴色の眼は、上等な蜜のようだ。歳は二、三下かなと勝手にあたりを付ける。
「はい、お待たせ。話ってなんだい?」
「実は、ある人に頼まれ物をしまして。りんさんにこれを渡して欲しいと」
小さな袱紗から出てきたのは、少し青みを帯びたつるりとした硝子瓶。中にぎっしりと入っていたのは色とりどりの――――――
「金平糖?なんで、こんなもの」
「山縣さまに、頼まれたのです。この間は悪かったと伝えて欲しいと」
思わぬ名前に瞬時に頭に血が上る。一気に険しくなった顔に、紫子は苦笑する。
「驚かれたでしょう?いきなりあんなものを贈られては」
「お嬢さまのあんたには当たり前かも知れませんがね。あたしら庶民だってあんなものめぐんでもらいたきゃないんですよ」
「わかります、私なら何か下心でもあるのかと思って今後一切近寄らなくなりますね」
「簡単にわかるなんて言ってもらいたくなんか無いね!用がそれだけなら帰っとくれ」
「わかりますよ。今でこそ女学校などに通わせていただいていますが、私は元々貧乏士族の生まれです。母は寺子屋の師匠でした」
虚をつかれ、勢い込んで出るはずの言葉は喉の奥へすべりこんでしまった。
「夜なべの針仕事で着物を仕立てて、冬は毛糸で色々なものを編んで。それでも生活はやっぱり厳しくて。手はあかぎれだらけで。だからと言って哀れみをうけるほど、落ちぶれてはいない」
すっと細められたその厳しい瞳が今の言葉は嘘ではないと物語っている気がして、鈴は立ち上がりかけていた姿勢からすとんとそのまま椅子に座ってしまった。
「あの方は、あなたを馬鹿にするつもりも、哀れんでいるつもりもなかったのですよ。育ちが良すぎるのも考えものですね」
優しい方なのです、そっと呟かれる言葉を黙って聞いてしまう。
「私も、いろいろ良くしていただきましたから。あの方は快活で無邪気で、気の良いかたです。本当にただ貴女に似合うものを見つけたから、贈ろうと思ったようですよ。自分の振る舞いが貴女の矜持を傷つけたのだと知って、とても後悔なさっていました」
「・・・・・・それもまた馬鹿にした話ですけどね」
「まったくです」
頷いて同意されてしまっては、もう何も言えない。
「で、この金平糖は」
「おわびだそうですよ。何なら受け取ってもらえるかと私が相談を受けたので、あまり高価ではない食べ物か何かではと助言したら、それを選ばれたようです」
「・・・・・・甘味屋に甘いもの贈ってどうするんだか」
とことん呆れた、といった風情ではあるものの、険しかった表情はただ呆れに眉をよせただけのものになっていた。
「では、頼まれていたご用事もすみましたし、私はこれでおいとましますね」
「あ、はい」
勘定を受け取り、見送ろうとすればふと思い出したように赤い髪の少女は足を止めた。
「私の実家の話は、黙っていていただけますか?今は伏せている話ですので」
それを聞き、鈴は思わずふきだしてしまった。
「そんな大事な秘密を、見ず知らずのあたしなんかに話しちまったんですか?」
「りんさんの人柄を聞く限り、大丈夫だと思ったので」
本気で言っているようだとわかり、ますます可笑しくなる。
「話しませんよ。だいたい名前すら知らないのに」
「あぁ、うっかりしていました。私は桐生紫子といいます」
そこで名前を言ってしまうのか、と本当に笑えてしかたない。声を上げて笑うが腹が痛い。
「はい、紫子さんね。大丈夫、言やぁしませんよ。そういや、紫子さんはあの軍人の親戚か何かで?」
「いえ、私の許婚が山縣さまの同僚でして。そのご縁でお付き合いさせていただいております」
へぇと呟き、今度こそ少女を見送る。
ひらひらと手を振って見送った後、先ほどの机に向かえばつるりとした硝子が、暗い店内で淡く光っていた。
「まったく、変な軍人だねぇ」
奇しくもそれは、いつかの弟と同じ言葉だった。
***
◆この時代は、財力の差=身分の差として絶対的にあった時代なのですよね。だから、庶民・貴族(華族)ってのが普通の感覚としてあった。でも山縣さんや将臣さんが普通の一般庶民を「庶民」と言い切るのがどうしても差別っぽくなってしまうきがしたああいう感じに。
◆話し変って、おりんちゃんの江戸っ子口調がすごく難しいです。必死に昔見た時代劇とか思い出しながら書いてるけど、なに?落語のCDとか借りればいいの?私のネタ集めはどこに向かっているんだ?
◆そして徳爺は紫子の話が終わるまで、おそらく時間を潰していてくれました。
たぶん紫子は一人でいく気だったけど、将臣さんが渋い顔したので妥協案で徳爺がお供に。
かほごー、とは思うけど、紫子さん拉致監禁されたことあるからね!しかたないね!