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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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曰く、一度あることは、二度ある *矢玉

 昨日にあんなことがあったにもかかわらず、否、あんなことがあったので山縣は今日も帝都の町を闊歩していた。

 水を盛大に被ったせいでだろうが、朝から懐中時計の調子が良くないのだ。父の形見でもあるのでこのまま壊れてしまっては困る。そういうわけで昼食に出るついでに町の時計屋へと足を運んでいる。

 その身分を考えれば使用人や下士官にでも言付ければいいことでも、ついつい自ら行なってしまうのが山縣という男である。

 帝都でもはずれの下町に近いほうでは、いかにも庶民の町といった風情で山縣は懐かしく目を細めた。

 華族や裕福なやからが馬車や人力車。そして車などで優雅に行きかい、ドレス姿の淑女や背広にステッキをもった紳士などの集まる通りといった帝都の中心と違い、このあたりまだまだ一昔前の江戸と呼ばれていたころの風情が色濃く残っている。簡素な着物にたすきをかけた女将や、丁稚の子どもが行きかい常にざわざわとした空気が流れている。

 山縣は、こういった庶民の下町が好きだった。

 幼い頃は、お上品な華族のあつまりが気に入らなくて、使用人の目を盗んでこういった下町によく遊びにきていた。

 下町の少年達は初めのころこそ“お華族さま”の子どもが顔を出すのに、びくついたり悪態をついたりしていたが、そんなものは二、三度取っ組み合いの喧嘩すればどこかへ行ってしまった。

 おかげで喧嘩の腕は上がったと我ながら思う。軍格闘技では将臣には勝てないが、何でもありの路地裏喧嘩では山縣のほうに軍配が上がるのだ。

 子犬のように顔を黒くし、ほこりだらけになりながら遊んだそんなやつらとは今では疎遠になってしまったが、あいつらは今どうしているのかとふと懐かしく思う時がある。

 時計を時計屋に預け、目的を達した山縣はこきりと首をならしさてどうするか考え込んだ。

 久々にこのあたりの一膳飯屋で昼をすませるのも悪くないと思い、ぶらぶらと歩いていると一際大きな罵声と、甲高い悲鳴が響いた。騒動の予感に軍人としても気にかかり、人だかりの方へ足を運ぶ。

 騒動の元が見えてくれば、なぜかどこか遠巻きのだったその人だかりにも納得した。


 ひとりの若い軍人が、小さな子どもの手を乱暴につかみ、罵倒しているのだ。


 子どもは怯えて泣き叫んでいるが、周囲も相手が軍人とあって途方にくれたようにその光景を眺めている。胸糞の悪くなるようなその光景に、山縣の顔が剣呑なものになるのに時間はかからなかった。

 おい、と人垣を掻き分け軍人の男の肩を掴めば、その相手が見知った顔でさらに顔を険しくした。部署は違うが、同じ司令部の人間だ。

「貴様、何をやっている」

「や、山縣少将・・・・・・ッ」

 思わぬ将官クラスの上官の登場に、男の顔は怒りから瞬時に恐怖へと変化する。

 しどろもどろの弁明を聞けば、この子どもが抱えていた荷物がぶつかった拍子に自分の足にあたり、軍装の裾を汚したという何とも軽蔑したくなるような応えが返された。

 ちらりと地面をみれば、ぼた餅のたぐいだろうか。ころころと丸い茶の餅が、いくつも潰れて落ちていた。

「貴様、それでも帝国軍人か。そもそも男として恥ずかしいとは思わんのか。こんな子どもを泣かせてまで服の汚れを気にする?お前は馬鹿か」

「しかし神聖なる軍装を汚したのはこの小僧でありまして・・・・・・!!」

「そんな戯言に耳貸してやるほど俺は気ぃ長くねぇぞ、さっさと――――――ぶッ」


 勢いよく下ろされた竹箒で、山縣の言葉の最後は情けないものとなった。


「こっの腐れ軍人風情が!!!うちの弟に何しやがった、ええ?!ふざけんじゃないよこのひょうろく玉!!!」


 続けざまに振り下ろされる竹箒の標的になぜか山縣まで入っている。

「いつも威張り散らしやがってこん畜生どもめッ、あたしらが納めた税で暮してる癖にてめぇらときたら見下しやがって、挙句の果てに子どもいじめ?!お前らそれでも人の子かい!!」

 主張には一部賛同したいが、なぜ自分まで標的になっているのかと山縣は言ってやりたい。挙句、なにやら盛大に降ってきた。

「二度とつらぁ見せんな!!!」

 子どもを抱き上げ、そのまま道の向かいの店へと戻っていくその娘の後姿を、ぽかんと見送ってしまった。髪からぱらぱらと降ってくる白い粒はおそらく塩。昨日の件といい今日といい、自分の今の運勢は何かをぶっかけられる星巡りなのか。

 そんなわけはない。

「や、山縣少将」

 そんな山縣を、胸倉掴まれたままみていた下士官の顔を見ていると、ますます不快で大きく口を開いた。

「いいからてめぇは演習場一〇〇回走って来い!!命令だ!!」

 脱兎の如く駆け出した情けない後姿を情けなく眺め、ため息混じりに頭を振る。ぱらぱらと髪から塩がこぼれてくるのがなにやらわびしい。

 しかしざわめくしかし観衆には、いつもの快活そうな笑みを向け言い放つ。

「悪かったな!あんな阿呆がいて。相手の娘さんと坊主にも謝っといてくれ、それから心配いらねぇってさ」

 おりんちゃん、という呟きがどこからともなく零れ落ち、ついでわっと歓声が上がった。

 軍人相手にあそこまでやれば、正直、牢に入れられても不思議ではないのだ。きっと娘を見知っている者ばかりなのだろう、安堵の声が広がっていく。

 それに気をよくし、山縣は立ち去る。

 軍帽をどこかにやってしまった時がついたのは、軍の隊舎に戻り将臣に指摘された後だった。


***


 軍帽をなくしたことに頭を抱え、山縣はため息をつく。悪用されても困るし、下手に上官にばれれば懲罰ものだ。何とかごまかせないかと思う所がこの男らしい。

 下士官の敬礼を受けながら鉄の門をくぐれば、あたりはすでに夕暮れに包まれている。そろそろガス燈もつくだろうと眼をやれり、瞠目した。

 ガス燈の根元に座り込んでいたのは昼間に泣き叫んでいた、くだんの子ども。目があうと、ぱっとかけてきた。

「どうした、坊主」

「軍人にいちゃん、あの」

 昼間、帽子おとしたよと続けられる言葉に目を丸くする。

「拾っといてくれたのか?」

「うん」

 こくりとあごを引くのがなんとも可愛くて、思わず笑みがもれる。わしわしと頭をなでてやれば、子どもはびっくりしたように目を見開いた。

「あ、でもここには無いんだ。すっごく汚れてたから、おいら洗ったんだけどぬれたのがかわかんくて。店にある」

「お、そうか。まさかお前俺が出てくるまで待っててくれたのか?」

 いつ出てくるとも、本当にここにいるかもわからないのに。

「だって助けてくれてうれしかったから。あとねえちゃんに罰あたえたりしないって言ったって、おばちゃんたちが話してくれた」

 ふにゃりと笑ったそれがますますけなげで嬉しくて、山縣はもう一度その短い髪をくしゃりとまぜてやった。




 こっち、と手を引かれるまま昼間も進んでいくと、しばらくして一軒の店の前へと着く。

「“しみずや”、甘味屋か?坊主」

「うん」

 ねえちゃん、といいながらててて、と走る後姿に続き、暖簾をくぐる。

 はいはい、などと言う返事と共に前掛けで手を拭いながら出てきた娘の顔色がすぐさま変った。

「また、お前・・・・・・!!」

「ちがう、ねえちゃん!!こっちたすけてくれた方の軍人さん!!」

 机の上においてあった片付け前の椀を投げつけられそうになり、思わず交差した腕の隙間から娘のきょとんとした顔がのぞいた。

 険しい顔しか見ていなかったが、そうしていればくりくりとした瞳が愛嬌のある、可愛らしい顔立ちをしているのがわかる。それもまたすぐにしかめられてしまったが。

「じゃあ何で連れてきたんだい」

「軍人さん、帽子とりにきた」

「あんなもん、ほっとけって言ったのに」

 その呟きとともに、奥へとひっこんでしまった様子に何だか笑えてきた。


 とばっちりで昨日は水をかけられ、今日は濡れ衣で塩をかけられ。


 だというのにその後の対応の違いにいっそ笑えてくる。

 昨日の月の色をした髪の可憐な少女と、度胸のありすぎる江戸っ子といったこの娘。

 しばらく待っていると、子どもが軍帽を抱えて出てきた。一生懸命慣れない手つきで洗ったのだろう。よれよれになっていたが、山縣は屈んで礼を言った。

「ありがとな、坊主」

「坊主じゃなくて、一太郎だよ」

「そっか、一太郎、ありがとな。あと昼間は怖い目にあわせちまって悪かったな」

 あいつにはきっちり罰あたえといたから、といえばきょとんとした目で見つめられた。

「軍人のにいちゃん、変な人だね。いばってない」

「おい、本人に面と向かって変はねぇだろう」

 だが、一太郎の心はすでに別の方向に向かっているらしく、炊事場のほうへ、ねえちゃんと声を上げていた。

「おいらこの軍人さんにお礼したい。あんみつ出して」

「はぁ?!」

 飛び出す勢いで出てきた娘は、山縣と目が合うと気まずげにぷいと目を逸らした。

「一太郎、お前」

「ねえ、いいでしょ?軍人のにいちゃん、ねえちゃんのあんみつ、すごくおいしいんだよ。女学生さんや書生さんもいっぱい食べに来るんだ」

「ほう、それはご馳走になりたいな」

 軽く言えば、娘は苦虫を噛み潰したような顔のまま、くるりと背をむけ荒い足音で炊事場へと戻っていく。聞こえてきた物音から、本当に用意してくれるらしい。

 手を引かれ古びてすすけた縁台に座ると、横にすわった子どもがこっそり言ってきた。

「かんにんしてね、ねえちゃん。軍人みんな嫌いなんだ」

「気にしてないさ、良いねえちゃんだな。そういや、なんで軍人嫌いなんだ?威張ってるからか?」

 昼間の様子を思い出し問えば、ふるふると幼いしぐさで首を振った子どもの言葉に、山縣は硬直した。


「おいらのとうちゃん、軍人のせいでしんだんだって」


 おいらは、覚えてないけど。

 覚えてないといいながらもその目はとこかさびしそうだった。

「どーぞ」

 二の句が告げられなかった将臣の背後からそんな言葉と共に盆が勢いよく置かれ、飛び上がるほど驚いた。

「食べれば?一太郎、あんたは奥いってな。水桶出しっぱなしだろ」

「あ、いけね」

 たっと駆け出してしまった背を見送れば、気まずい沈黙が落ちる。

 とりあえずいただきます、と手を合わせて椀に手を伸ばせば、唐突に声が落とされた。

「あたしは軍人が嫌いだ。だけど、弟を助けてくれたのに礼を言わないほど落ちぶれちゃいない。・・・・・・ありがと。昼間は、悪かったね」

 一緒に叩いちまって。顔を背けながらもそう言われた言葉に、反射的に山縣も言う。

「いや、こっちこそ悪かった。あんな馬鹿がいて。あんたが嫌うのも、当然だ――――――ああ、名前も言ってなかったな。俺の名前は山縣征光っていうんだ、お前さんは?」

「奥村鈴、鈴って書くけど、読みは“すず”じゃなくて“りん”だから」

 ぶっきらぼうに言うその横顔を、山縣はしばし見つめた。

◆おりんちゃん登場回。しかし前話の薫さんとの落差がひどい。  

◆軍隊に詳しくないので、色々呼称に困っています。違う部署の人間ってなんていうの? 軍人さんがいるのって司令部?それとも隊舎? ・・・くわしいかた、教えてください 

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