絡み、食い込む柔かな *奏嘉
彼女のこの目の前の苦しげな声や言葉を、本当の言葉であると理解するのがこんなにも簡単なのは、本当に彼女を想っていると言う理由だけなのだろうか。
そんなおかしな疑問を抱くほどに、彼女の言葉は溶けるように青年へと染み渡っていく。
今までは感情を圧し殺すだけで、何だって簡単に、全てが解決してきたのだ。それなのに、彼女は自分の言葉が欲しいと言ってくれる。
こんな浅ましい自分を晒け出しても、拒否などすることもなく、寧ろ受け入れてくれると言うのだ。
寧ろ、教えなかったこと、伝えなかったことを、嫌だと言ってくれた。
ただただ純粋に、相変わらず何故だかは理解できなくとも、青年はそれをまず嬉しく感じた。
かの姿なき青年への重い罪悪感に押し潰されそうになっていた心も、以前より軽いものへと変わっていく。
彼女の存在や言葉は、言葉通り魔法の様なものだと思った。
この愛しい人は、必死に本当の自分のもっと深くまでを見ようとしていてくれているというのだ。
心から自身が求めている存在に、同じように本当の自分を求めてもらえているような、そんな、――――――錯覚すら覚えて。
(………嗚呼、また)
―――錯覚と態々思うのは、踏み込むのが矢張り怖いからと、一線を引こうとする自分の愚かしさなのだ。
(彼女にも、失礼だ)
自分の醜さや浅はかさを振り払うように、青年はひとつ息を吐くと少女を見詰める。
握ったままのその小さな手を、ぐっと再び握り直せば、言葉を紡ぎ始めた。
「……紫子さん、…私は、貴女を本当に愛しています」
心からの言葉であるというのに、何故こんなにも軽々しく感じてしまうのだろうか。
この衝動的な感情は、どう言葉で表しても、言い表せないような気すらしていた。
それでも彼女に明確にその想いを伝えるためには言葉を紡ぐという方法しかないのだ。
強い歯痒さを感じれば、青年は唇を噛んだ後、堪えきれず少女の小さな体を抱き寄せる。
涙を溢したままの少女をそっと横抱きに膝にのせると、落ち着かせるようにその小さな頭を撫で続けた。
次第にお互いの鼓動の音や匂いが心地よく、身体の力が抜けていくのを感じれば、思考の端で言葉を探っていく。
掻き乱される感覚に酷く動揺しながらも、彼もまた必死に彼女を求めていた。
(どうしたら、良いのか)
いつだって、貴女といることが本当に嬉しい筈なのに、時折恐怖に似た不安感に駆られることがあった。
(それは、なぜなのだろう?)
「……貴女を、誰にも渡したくはないんだ。本当に私が鬼だったら、貴女を食らい付くしてしまいたいのに」
ゆっくりと思考を巡らせれば、無意識の内のように言葉が溢れた。
「………いま、貴女を失うことが、私は一番怖い」
少女の、とろけてしまいそうなほどにとろりと涙で一杯に潤んだ飴色の瞳が、愛しくて堪らない。
ひとつひとつの言葉に跳ねるその小さな肩がが、揺れる髪が、きつく結ばれた唇が。
―――彼女の全てが、五感を鈍らせていく。
掻き抱くその細い身体が軋み、弱々しく震えることが酷く切なく感じて、青年は何故だか目頭が熱くなるのを感じた。
(この脆く美しいひとを、守りたい)
守れるような、人間になれたら。
この切なく愛しいひとを、沢山の幸せで満ち溢れさせることができたら。
そしていつか、
―――――望んでも良いのなら。
(それこそ全てを、曝け出せる生き方ができたら)
貴女と、極彩色のこの世界を、笑いながら歩いてみたい。
「……貴女が赦してくれるのなら、どうか、…ただ傍に、いてください」
弱々しく響いた言葉が、僅かに涙声になってしまっていて、青年は驚く。
「貴女を捨てるなんて、有り得ない。寧ろ、…貴女が何処かで幸せになれるなら、…俺はこの気持ちを殺すでしょう。これから先、貴女以上の人なんて現れない。断言してもいい」
――――それで、本当に幸せなのだと。
出来ることなら、離れたくない。
けれど、彼女を失うのが怖い。
彼女が何処かで幸せになりたいというのなら、こんな愚かしく浅はかな自分を、尊い貴女に愛してくれとは言わない。
――――なんて、自分勝手な言葉だろう。
それは、相手に自分を同じように愛して欲しいと望むのは、傲慢だとすら思ってしまった愚かな男にとって、精一杯の要求のようだった。
彼もまた、酷く歪曲しているのかもしれないと、少女は哀しくなりまた涙を溢す。
その青年の頭を、子供にするように抱き締めれば、目を閉じた。
「…ごめん、なさい。紫子さん」
こんなにも幼さを残す彼女を深く傷付けながらも、醜悪なほどに求め望んでしまう。
でもこれが、本当の感情なのだと、水面のような穏やかな揺らめきに意識をたゆたわせていく。
蓋を開けてみれば、人を喰らって生きてきたと自責の念に駆られ続けてきた鬼は、本当に欲しいものを掴みとることすら儘ならない弱虫だった。
この弱さが、母すら殺してしまったのか。
(鬼にさえ、なりきれなかったのか)
自嘲気味に笑いを溢せば、青年の頬を涙が伝った。
――――どうか、どうか。
何も、もう、いらないから。
「俺から、離れないでくれ」
低くかすれた声で呟かれた声は、酷く悲しかった。