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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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涙の泉水 *矢玉

 頬を滑り落ちる涙が厭わしい。泣く自分が不甲斐ない。

 顔を両手で覆う。青年のその青灰の瞳を見るのが、ひどく怖かった。

「私が・・・・・・あの時、言いたくない。と、言ったのは・・・・・・貴方に、軽蔑されたくなかったから」

 しゃくりあげそうになる喉を必死に押し留め、言葉を紡ぐ。

「許婚のいる身で、男の方に逢いに行くのが後ろめたくて。貴方を裏切っている気がして。・・・・・・でも、行かないわけには・・・・・・いかなくて」

 彼は、そう真っ赤にほてった唇を噛み締める。

「マスターから、きっと私が死んだと聞かされていたはずです。マスターは、辞める時に“あやめは死んだことにする”と。でなければ、今の私と結びつける者が現われるだろうからと」

 それは賢い店主の気づかい。

 カフェで共に働いた姐と慕う同僚の女給も、最後には納得し、今後一切他人で通し、手紙も交わさないと約束した。


 そして“あやめ”は死んだ。


 けれど、それが彼を追い詰めてしまった。


「あの人は、文章が書けなくなってしまったそうです。自暴自棄になって、お酒に溺れるようになって。あの人は私に良くしてくれました。だから、そんな彼を放っては置けなかった」

 そんな不義理は、紫子にはできないのだ。

「あの人が、私に好意を持っているのは、なんとなく感じていました。私は想いを返せなかったけれど、だからなおさら貴方には、言えなくて」

 けれど、責められないことが哀しくて。どこか遠くなってしまってしまった青年が切なくて。

「それを、それがアロイスさまを、こんなに追い詰めてしまうなんて」

 ごめんなさい、幼子のように紫子はそれだけを繰り返した。




 声が枯れるほど謝罪を繰り返し、紫子はうずくまるように丸めた背をゆっくりと、伸ばした。どこか呆然としている青年の顔を、一度だけ見て、また視線を膝へと落とす。

「嫉妬の感情は苦しい。それは、わかっています」

 震える喉で、息をつめる。

「だって、私は・・・・・・・・宮城香苗さんが、貴方を想っていると聞いて」


 とても、困りました。


 そう呟く声は、喉の奥で縮こまったように小さい。

 一度でも、青年を疑ったとこに後悔をして、でも不安で。

 青年の、彼女とは何のかかわりもないという言葉に安堵して、そんな自分を恥ずかしく思って。

「私は噂でしか知らない貴方を想っている人まで、妬んだりした」

 己がひどく、醜くなった気がした。

「こんなあさましい私を、私は、知らない」

 けれど、でも。

「もう、私はどうすれば良いかわからないけれど・・・・・・お願いですから」


 言葉を、ください。


 泣き腫らし真っ赤になってしまった眼、それでもすがるようなまなざしをやっと青年の灰青の瞳に向ける。

「痛いなら、痛いと言ってください。私が厭わしかったら、責めてください。お願いですから、あんなふうに私を、遠ざけないでください。嫌いになったなら、不要になったなら、私は消えます。この思いを、忍ぶ恋としてみせます。拒絶の言葉でも、批難の言葉でもいい。それがアロイスさまの言葉であれば」

 だから、ほとほとと落ちる涙は、いっこうに止まらず泉水のようにわきでてくる。いつか干からびるのではないだろうかと、ぼんやり思った。

「だから、貴方は、貴方らしく生きてください。私に会って、自分として生きようと思えた、あの言葉だけは捨てないで、ください」



 わたしのことはすててもいいから

 

◆紫子は、自分は捨てられてもしかたないと、どこかで思っているように思います。産まれてすぐ、実の父親に捨てられたという事実があるから。

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