触れられない鬼、小さな花 *奏嘉
―――彼女の言葉と表情に、ぐっと息が詰まった。
幾ら凛とした立ち振舞いで強くあるように見せていても、彼女の感受性は豊かすぎるほどに繊細で、その心は何処か硝子のように脆い。
きっと本当の意味で、誰にも優しい、真っ直ぐな人なのだ。
人を欺き続けている狡猾な自分とは、正反対だとすら感じていた。
(そんな尊い貴女だから、傷付けたくないと思ったのに)
自分の傷に、彼女を責めなかった自分に、涙を流す愛しい少女。
男には、ただただこの涙の理由が分からなかった。
――――どうして貴女は泣くのだろう?
幸い人より鈍く出来ているのか痛みはあまり感じないし、この傷だってその内塞がるだろう。
女性でも無いからこれから傷跡として残るであろう事だって、なんと言うこともないのだ。
(どうしてこんな事で、貴女が涙を流す必用がある?)
飴色の瞳からは、未だ透明な雫が硝子玉のように玉を結んで零れている。
その姿に、胸の辺りが強く締め付けられるような感覚に駆られ、堪えるように唇を僅かに噛み締める。
(この感覚は、何なのだろう)
―――切ない、というのは、例えばこう言うことを言うのだろうか。
そんなことを思えば、青年は心を落ち着けるように静かに目を伏せる。
(わからない)
思えば、貴女に出会ってから、分からないことばかりが増えた。
本にだって載っていないだろうことばかりが起きて、日々がこんなにも美しく鮮やかで、目まぐるしい。
極彩色のこの世界は、良くも悪くも鬼には生きづらい。
今まで逃げてきたもの全てに、向き合うこととなったのだから、当然だった。
弱い自分を、丸裸にされていくような感覚は、彼女がいたからこそ味わうことになっただろうが、彼女が居なかったらきっと耐え切れなかったことだろう。
不意に涙が伝うその柔かな頬に怪我をしていない方の手を伸ばせば、彼女は驚いたように少し目を丸くした。
「………分からないんです」
まず漏れたのは、そんな情けない言葉だった。
そのまま彼女の両手が添えられたままの手を握り返せば、彼女を真っ直ぐに見詰めた。
彼女の体温が、緊張を綻ばせていく気がして、言葉が少しづつ溢れた。
幾ら思考を巡らせたとしても、自分がその答えに辿り着ける筈もないのだ。そんなことすら、今の今まで自覚できなかった。
まるで子供に戻ったような、そんな無力感。
その事をまず呟いたあと、つくづく、自分の人間としての浅はかさを思い知った。
「あの時、…………いつか出会ったあの夜のように、月明かりに浮かぶ貴女が美しくて」
形のよい唇が、うわ言のように甘言のような言葉をこぼすのを、少女は不思議そうにみつめている。
自分が発した言葉に何故だか自分が納得し始めていて、青年はまた驚いていた。
「そんな、…美しい貴女が…この屋敷を抜け出してまで会いに行く相手なんて、余程大切な人なんだろうと………妄想までして」
その言葉に表情を歪ませ彼女が首を振るのを、ぼんやりと見詰める。
(嗚呼、嫌な男だ)
嫉妬を口にすれば、情けなさに羞恥すら感じて自嘲気味の乾いた笑いが零れた。
「貴女を失うのも、拘束するのも怖くて、………どうしたら良いか分からなかった」
――――どちらも放棄するのなら、自分を捨ててしまえば楽だ。
そこまで言えば、きっと彼女は離れていってしまう。
そうしてまた、黙るのだ。
(なんて、狡い)
今は言えないと自分を誤魔化せば、再び青年は口を開く。
「貴女は、理由すら秘密にしてしまったから。………私は、問い詰めることができない」
―――貴女が教えたくないと言ったことを責めれば、貴女を傷付けるだろうと思ったから。
将臣でいればあの時、帰ってきた彼女の姿を、見ないふりだって出来た筈だ。
そうすればこんな風に拗れなかったのに、本心の衝動に負けて問い掛けた自分を、一度は彼女に拒まれたから。




