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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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孤独な薔薇 *奏嘉

いつだって、その美しい相貌に、靡かぬ男など居なかった。



そう言いきってしまえる程の自信が、彼女にはあった。



地位こそそこそこでありながら、貴族達の集う夜会に華の様に咲き誇る、美しい淑女。

それが毎夜夜会で評判となっていた、宮城男爵家の令嬢である香苗であった。




******


―――――初めて夜会に出席したのは、十六歳になった秋の事。



彼女は、その時に一生を賭けていた。



家は、成り上がったばかりの男爵家で、そうそう六鳴館に呼ばれる様な家柄ではなかった。

呼ばれたところで、その高貴な血の方々の中には、溶け込むことすらできないのだろう。


彼女は、出世欲もなく、軟弱な立ち振る舞いの実父が情けなく大嫌いだった。




(なぜ幾らでも手段があるのに、上へとは望まないの)



人一倍欲が強いのも、母親譲りなのだろう。


しかし、感謝すらしていた。

幾ら浅ましかろうと、それだけの強かさが在ったし、何より彼女は賢かった。



家を大きく出来るのは、自分だけであると。

その為に動けるのは自身だけで、これは長女である自分の使命であるとすら感じていた。



その初めての夜会こそ、父のおまけのようにでも、男爵家の娘としてでもなく、自分自身を売り込む絶好の機会だと思ったのだ。



生憎、女学校に通っていた頃から、自身の母似の容姿にだけには自信があった。

いつだって近くには、過保護な程に優しくしてくれる男達が代わる代わる傍にいた。



だからこそ、賭けた。

最初は、壁の花くらいに思われたって構わないのだ。

そこに呼ばれる程の価値にさえなれれば、幾らでも希望がある。




―――――――思惑は、恐ろしい程に的中した。




腰の低さすら感じさせる対応で自身へと媚び諂う男達。


そのどれもが、自分や父親よりも明らかに高貴な血の持ち主であると言うのだ。



ひどく馬鹿馬鹿しく、心地が良かった。



寧ろ、此方から夫を好きに選べるような立場なのだと錯覚させるほどに、香苗はいつだって自身の美しさへと執着する男達に囲まれるようになった。



*****


それから、二年程が経った頃、香苗は何度目かの六鳴館の招待状を貰う。



高貴な人々との交流を重ねるごとに洗練されていった彼女は、いつからか薔薇の様だと揶揄される様になった。



美しいふっくらとした花弁が幾重にも重なり、如何にも華やかなその花の名に、彼女は満足していた。その下に隠された棘すら、毒の様な魅力を帯びるのだ。






その夜会も、彼女は高貴な人々の中心に居た。



幾つもの本を呼んで、必死に積み重ねていった教養をまるで生まれ持ったものの様に時折披露しながら、彼女は人々を魅了していく。




しかし、夜会も中盤に差し掛かった頃、突然会場がざわめき、彼女は首を傾げた。




どうやら、何処かの華族の馬車が門前へと止まった様なのだが、様子が如何にも他とは違う。


閉じられたままの扉が使用人の手によって開かれれば、現れたのは二人の青年将校のようだった。




「おまえ、夜会遅刻してまで仕事とかどれだけ頭硬いんだよ」



最初に聞こえた声は、茶色に近い髪色の、何処か飄々とした青年。

僅かに幼さすら感じる丸みを帯びた目は、整った顔立ちを更に引き立たせていた。

目まぐるしく変わる表情が、愛嬌を感じさせる。



その姿が見えたことでも淑女達がざわざわとざわめき立つのがひしひしと肌に伝わるが、その後に続いた青年の姿で、淑女達の声色がいっそう高く黄色いものへと変わった。



藍色がかった髪色に、青灰色の瞳と、左目元の泣き黒子。

端正な顔立ちと、その長身痩躯に合った陸軍将校の正装。



何処かこの国の人間らしさを感じ無いその姿に、普通なら嫌悪の声すら上がっても仕様が無いと思うのに、彼女の予想とは全く違った周りの反応に、困惑すらした。



「仕方ないだろう、…こういうのは、あまり」



あまり聞こえないよう小さくしたのであろう青年の声が、淑女達の声で完全に掻き消される。



(どなた、かしら)



香苗はその奇妙な二人を今まで一度として見た事が無かったが、どうやら有名らしい。

幾度となく出席してきた夜会で一度も見た事が無いと言うのに、この存在感は何なのだろうか。



自分の努力すら、無駄に感じてしまう様なそれに、彼女は僅かに苛立ちすらしていた。




「あの、御二方は?」


近くにいた男に声を掛ければ、話しかけられた事に驚いているのかその男は僅かに顔を赤めたまま「山縣伯爵と東郷伯爵ですよ」と応えた。



(風の噂で聞いていたけれど、あそこまで若い二人だったなんて)




―――――あんなにも、条件の良い殿方がいるなんて。



父とはまるで違う、強い意志を持った瞳。

若くありながら既に頭角を見せ、飛ぶ鳥をも落とす勢いの、その切れる思考に見合った手腕。




(それにあの、普通とは違う容姿)




1人1人へと丁寧に挨拶を交わしていく生真面目な青年と、人の輪の中心でカラカラと笑って見せる青年。



その二人のうち、彼女の瞳は将臣へと向けられていた。



(あの、ぞくぞくするような、冷たい瞳)



青灰色の瞳が、硝子玉の様で美しいと思った。

ただただ純粋に欲し、自分なら手に入れられるのだろうと、確信していた。





―――――――それ、なのに。



挨拶が彼女の番になった時でさえ、その青年は顔色一つ変えず穏やかな微笑みを浮かべたまま当たり障り無い会話を交わし、素っ気なく次へと向かった。





彼女の誇りが、完全に砕かれた瞬間だった。



(……は…?)



呆然とし、困惑した。

その華やかな笑みがみるみる引き攣っていく。




(なんて、こと)




彼女は初めて自分の傲慢さに恥を知る。

どれだけ慢心していたのかと、自信にすら思っていた浅はかさを痛感した。



みるみる顔が火照り耳まで熱が上がっていくのが分かり、彼女は逃げるように会場を後にする。



戻った屋敷の私室でさえ、あの一件を思い出し何度も赤面した。



(ああ、どうしたら)




この屈辱感から逃れられるのか、そんな事を考えるようになり、少女はやがて辿り着く。





絶え間無い苦しみが自分ではどうしようもない事なのだと理解し、不意に焼きついたあの面影が思考を占めた。




「…嗚呼、あの人に」





ぽつりと、静まった室内に呟かれた彼女の声が溶けていく。





「あの人に、認められたい」




それだけの言葉なのに、何故だか涙が溢れた。

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