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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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想い文(ふみ)*矢玉

 “妹”のドレス姿に満足しながら紫子は帰宅した。

 牡丹のように広がる花弁が優雅な、その桃色のドレスは、桐子のやわらかな印象と相俟って可憐で清楚で、美しかった。

 上機嫌に山縣がお前も社交界デビュウだな。などと言っていたから近くあの兄妹はあの宮殿のような六鳴館へと赴くのだろう。己のような失敗などしないといいな、などとやわらかく苦笑する。

「紫子さん」

 ふと背後から呼び止められ何の気構えもせず振り向き、紫子は心の中だけで後ずさった。意味深な笑みを浮かべた弥生夫人が嬉しそうにそこに立っている。

 不思議そうな顔で立ち止まる将臣に、女同士の内緒話なの、などと言えば将臣は苦笑しながら立ち去っていった。

 弥生夫人に向き直るしかなくなった紫子は、おずおずと顔をそちらに向ける。何だか常に無い雰囲気に呑まれ、正直逃げたい。

「い、いかがされたのですか・・・・・・?」

「ふふふ、紫子さんにね。お手紙が届いたの」

 手紙、と首を傾げる。心当たりは、まったく無かった。

 郷里では忌避されていたので知人らしい知人もいないし、母親である明代は同じ屋根の下で暮している。カフェでの同僚は、己のことを慮って手紙など寄越すはずも無い。

「宛先は“逢崎家のご令嬢へ”なの」

「はぁ」

 わけがわからないといった様子で疑問符を浮かべる紫子にそっと近づき囁いた。

「付文ではなくて?」

「はい?!」

 大声を上げてしまい次いで赤面する。

「だって、名前がわからないのに手紙を出すなんて、それぐらいしか思いつかないもの」

「え、あの、でも私は、東郷のお屋敷に住まわせて頂いている訳ですし・・・・・・」

 許婚の家に恋文を送りつけるなど、普通はしないだろう。

「でも、恋心を打ち明けるだけで良いから、何て思う殿方がいてもおかしくはないのではなくて?だって紫子さん、こんなに可愛らしいんですもの」

 将臣さんには、黙っておいて差し上げるから、ね?と悪戯っぽく笑われ、色々言いたいことも塞がれてしまった。




 自室にとあてがわれた部屋に戻り、胡乱に思いながらその手紙をためつすがめつ見やる。

 そっけないほど白い封筒は、それほど上質なものではない。宛名は確かに男での角ばった文字。差出人の名前は無い。

 嫌がらせの手紙の類ではないかと顔をしかめ、慎重に封を切り慎重に取り出す。


 中の文字にすっと眼を通し、呼吸が止まる心地がした。


 息が乱れ血の気が下がり、頭がくらくらする。すっと視界が陰り、揺らめく視界に畳に手をついて崩れ落ちそうな体を支える。

 しばらくし、耳鳴りが収まった後、再び震える手で手紙に眼を落とした。


***


 ダリィヤの君へ

 我々は君を慕うものです。

 過去に君と語らい、談笑させていただいた時間は夢のようでした。

 君が我々の前から姿を消し、ある筋から亡くなったと聞いたときは奈落に落とされる思いがいたしました。

 今回、貴女のご健勝を知り、いてもたってもいられず筆を執った次第です。

 もしかしたらこの文は、あなたの心を乱すものかもしれません。貴女はこれを不快に思ったでしょうか。

 それでも、我々は一筆差し上げたかった。君が君だと確かめたかった。

 あつかましい願いとは思いますが、もう一度、我々の前に君の姿を見せていただけたらと思います。


***


 “ダリィヤ”の花という符牒。それはかつて書士達が己を呼んでいたものだと、紫子は知っている。いつかくると、思っていた出来事でもあった。己の過去を知る者。

 最悪の想像とは程遠い、優しい自分をおもんばかった手紙。けれど、それはこんなにも己の心をかき乱す。過去からの手紙。

 震える指を叱咤し、紫子はペンを取った。




「徳爺」

 ふと呼びとめられた徳次郎はふと振り返った。

 その先にいたのは、赤子の頃から見知った少女の姿が。徳次郎は明代の子どもの頃から桐生に仕えていた奉公人だ。連れ合いも早くに亡くした自分にとって、ただ仕えるだけでなく、娘のようにも、孫のようにも思う少女。

 いつも気丈なこの娘に似合わぬ躊躇うよう仕草に首をかしげながら、差し出された一通の手紙を受け取る。

「これを、誰にも知られないように、この住所に届けてください」

 その瞳は、以前のような痛々しい光を宿していた。


***


 書生一同さまへ。

 丁寧なお手紙、ありがとうございます。

 強引に私を訪ね、確かめることも出来たであろうに、私のことを考えてくださったことをひしひしと感じる文、過分なまでのお心遣いまことにいたみいります。感謝の言葉もございません

 良くして頂いた貴公達に不義理をはたらき、姿を消した私をそのような思いで探してくださったとは、思いもよりませんでした。

 申し訳なく、恥じ入るばかりです。

 私は今、以前の私とは別人として過ごしております。

 そのような今、貴公達とお会いするのは難しいことで。何より、私が大切に思う方にご迷惑をかける行いとなるかもしれず、躊躇しております。

 申し訳ございません。

 皆様の活躍は書誌を通して拝見しておりました。

 皆様のご多幸をお祈りしております。


***


 書生達は小さな手紙を囲み、沈黙していた。

 先程見知らぬ老人が届けてくれた文。それは間違いなくダリィヤの君と自分達の呼んでいた少女からの文だった。

 すぐさま立ち去ろうとする老人を引きとめ、茶を振舞ってくれるよう下宿の女将に頼み、自分達は先を争うように手紙の封を切り、その文面へと走らせた。

 桔梗の描かれた便箋に、かすかに焚き染められた香。やさしげな、しかし真のしっかりした文字。

 間違いなく彼女の文だった。

 安堵と落胆から、ため息が洩れる。

 安堵は、少女の無事を思って。

 落胆は、やはり会うことを拒絶されたから。

 誰からともなく階段を下りる。その視線の先には、背をまるめた老人が。

 あの、という呼びかけに徳次郎は振り返った。

「この手紙をくれた方は・・・・・・今、幸せなのですか?」

 小さな目をしばたかせ、ゆっくりと皺だらけの顔に、笑みを浮かべる。

 大変な苦労を背負い、それでも懸命に生きていた少女。

「お嬢さんは、今これ以上ないほど幸せにすごしていらっしゃいますよ」

 いくら耐え忍んでも報われるということが無かった少女だった。傷つきすぎて痛いとももらさなかった少女は、心から穏やかに過ごしている。

 その言葉に、落胆を覚えるのは自分達の傲慢だろう。真に彼女の事を思うなら、自分達は彼女の平穏を乱さないと話し合ったはずだった。

 しかし――――――

「しばし待ってくださいますかッ、返事を書きますので!!」


***


 丁寧な返答ありがとうございます。

 自分たちは貴女の平穏を思い、これ以上の文は控えさせて頂きます。

 ただひとつお願いがあるのです。

 それは平塚のことです。

 平塚次郎を覚えておいででしょうか?誰より貴女を慕っていたあいつは、貴女が消えてからふぬけになってしまいました。

 文章が書けなくなってしまったのです。

 あの阿呆をどうか、救ってやってください。俺たちは彼の才能を惜しんでいます。

 あいつにだけ、ひとめ無事な姿をみせてやってください。


***


 その夜、御高祖頭巾を被った影が東郷邸からひっそりと出て行くのを、月だけが見ていた。




*補足

御高祖頭巾は覆面みたいなずきんです。顔をほとんど布で覆ってるという。忍者みたいなの。おしのびとかで使っているのをみますが、普通の庶民も使ってたみたいです。現代から見ると、斬新な防寒具。ほぼ覆面

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