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『明治浪漫譚(仮)』→『花あやめ鬼譚』に移行します  作者: 矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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鬼の娘 *矢玉

 重厚な扉を前に、緊張に背筋が伸びる心地がして紫子は気を引き締めた。

 ノックの音が、木板を弾いて響く。どうぞという静かな声に失礼しますといい添え入室する。

 ドアの所で止まり、机の人に向かって一礼する。

「このような場を設けて頂き、ありがとうございます。学長さま」

 柔和な老婦人はすこし目を見張ったあと、少し微笑んで頷いた。




 書き物の手を休め、こちらをまじまじと見つめる学長の眼を、静かに受け流す。その眼が己の赤い髪を見ているのは手に取るようにわかり、緊張で手足がこわばる。

「それが、貴女の本来の髪の色ですか、紫子さん」

「はい、今までは染めておりました。申し訳、ありません」

「何を謝るのです?」

「私は、新学期からこの髪で登校しようと思っているのです」

 きっぱりと言い切り、挑むような眼を向ける生徒に学長は静かな笑みを浮かべた。

「よいのではありませんか?」

 虚をつかれたように息を呑む紫子に、淡々と学長は続ける。

「人は皆、本来生まれもった姿で生きるべきです。虚飾も虚栄も必要ない。あなたがそうしたいというなら、そうすればよろしいでしょう」

「は、い」

「腑に落ちないという顔をしていますね?」

 その指摘に赤面する思いがした。

「風紀を見出すから、もう一度染め直すようにとおっしゃるものかと・・・・・・」

「あら、わたくしはそこまで頭の固い老人ではないつもりですよ」

 若い頃は宮中に女官として仕えていたという学長は、それでいて柔軟な考えを持つ女性だった。

 西洋文化を学ぶ機会を与え、講師を招きダンスの授業などもある学院は、まだまだ珍しいと聞く。

「それでは、今日の本題に入りましょうか。姓を、変えられるそうですね」

 此処に来た本来の目的を切り出され、再び紫子の背筋が伸びる。

「はい。逢崎から、桐生へと。養子に参りました」

「理由は、伺ってもかまいませんか?」

 静かな眼差しでこちらをみる学長の眼は、覚えがある光を宿している。母、明代のような厳しくも見守るような眼差し。

「以前からお話はあったのです。このような奇矯な髪をした私は、逢崎では厄介者でしたから」

 嘘をつくことは心苦しい、しかし真実をすべてやみくもにさらせば良いとは限らないと、自分は学んだ。

 髪の色の所為で疎まれ、逢崎の本家には置いてもらえず遠縁の親族の世話になっていたこと。その面目が、病を得た親族の看病のためでであったことなどを淡々と話す。

 そして今回、自分が養女として入った家が、その家であること。

「そんな私を哀れに思って下さったのが、遠縁の養母です。そして、東郷に嫁ぐ前に桐生の娘になってほしいと懇願されまして・・・・・・東郷伯爵家も賛同して下さり今回の運びとなったのです」

 たとえ、そうたとえ――――――

「血は繋がっておらずとも、私が母と慕えるのは養母です。育てていただいたご恩に、私は報いたかった」

 嘘の中のまことの言葉。言葉は偽っても、心情は偽ららずあくまで誠実に。

 どこまで己の嘘が見抜かれているかはわからない。この聡い老婦人に己のような若輩の言葉が偽りと見抜けないとは思わない。

 けれど己は、大事なものを守るためなら嘘も必要だと思っている。そう思うように、なった。

 わかりました、そう告げられ、知らずにつめていた息を大きく吐く。

「担当教員には、私から述べておきましょう。あなたの周りは騒がしくなるかもしれませんが、それでいいのですね?」

 遠回しに級友の評判を気にしてくれることに感謝する。

「大丈夫です。私は、味方となってくれる方を得ましたから」

 その方たちの存在があればどんな中傷にも耐えられる。言外にそう告げる少女を微笑ましそうに学長は眺め、そっとすこしばかり先程までとは違った声音で言った。

「その味方の中に、東郷伯爵さまがいるのですね?」

 息を呑んで赤面し俯く少女の反応こそ、答えだった。

 他にも二、三言葉を交わし紫子は学長室を去ろうときびすを返した。だがふと思いとどまり、振り返る。

「東郷さまとの許嫁となった私を未だ在籍させて頂きありがとうございます。学長さま」

 それにわずかばかり驚き、学長はため息をついた。

「いいのですよ。私は元々、婚約が整うと次々と辞めていく生徒が歯がゆかったのです。女が学べる機会はただでさえ少なく、短いというのに」

 貴女は私の理想の、その手本となってくださるでしょう。そう告げる声は厳かだった。

「あなたへの風当たりは先陣を切るものとして、厳しいものとなるでしょう。それでも私はあなたにそれを期待します」

「ご期待に添えられるよう、精進いたします」

 再び扉の前で一礼すると、紫子はその部屋を後にした。


***


 学長の危惧したとおり、紫子の新学期は騒がしいものとなった。

 話題になったのは、もちろん赤い髪。それと許婚のいる身でいながら学園へと通う様。

 憧れや羨望の眼差しなど、跡形もなく落ち土にまみれた。


――――――あの髪の色、まるで異人のよう。

――――――逢崎から離れられたというお話だけど、追い出されたのではなくて?

――――――東郷伯爵さまとのご縁だっていつ断られてもおかしくないのではないかしら。

――――――嗚呼、だから学園へと居残っていらっしゃるのね。


 こそこそと叩かれる陰口など、取るに足らないものだ。深窓の令嬢だけあって、言葉づかいも柔らかすぎて本当にそれで罵っているのかと不思議に思ってしまう。

 まぁ、花街の妓の悪態などと比べてはいけないのだろうが。

 現状に憤ったのは、己でなく己の周りのもの――――――具体的に言えば桐子だった。

 お姉さまはこんなに素敵なのに、みな物事を一遍からしか見ない。紫子お姉さまはまったく変られないのに、手のひらを返したように態度を変えるのは偏見で唾棄すべき行いだと。

 小さなその身を震わせ、頬を赤く染めて憤る桐子の姿に嬉しく思う。己がどう思っていてもこうやって怒ってくれるのを嬉しく思ってしまうのが申し訳ない。

 桐子から頻繁に送られてくる手紙も、心の慰めとなった。

 姉妹は会うだけでなく、とにかく手紙を交わすものらしく熱心に桐子が送ってきてくれる手紙はかなりの数になる。これを『Sレタア』などというらしい。

 今日もいつの間にか忍ばせてあった手紙には萩の花が描かれていた美しいものだった。それに少女らしい字で、帰りはご一緒して山縣の屋敷に寄って欲しいと。ドレスが完成したので、一番にお姉さまに見て頂きたいと記してあった。

 桐子の教室へと顔を出したのでは騒ぎになると思い、桐子の通るであろう廊下の人目につかないところでしばらく待ったのだが、学園から人がまばらになっても桐子は現われない。

 もしや入れ違いになったのだろうかと思い、逡巡する。この時間ならば、きっと桐子の教室にはそう人は残っていないだろうと、思い教室へと足を向けた。

 そしてその場面に遭遇したのだ。

「ねぇ、桐子さん。あなたもあの人があんな人とは思わなかったのでしょう?」

「姉妹の契りなど、破棄されては?」

「姉妹の契りは永遠ですけど、相手が不誠実ではあれば皆さまもわかってくださるわ、ねぇ」

 踊り場で、女学生に囲まれた桐子の姿を。

 中でも一際目立つ、みなを率いてる立場の娘は確か宮城早苗と言ったか。確か同じ学級で、転校したばかりでまだ皆が自分を忌避するようになる前から、何かと気に入らない。そんな空気を感じさせていた。

「ねぇ桐子さん。わたくし貴女が可愛いのよ。一度はお断りされた姉妹の申し込みだけど、どうかしら、ねぇ?」

「お言葉ですが!お姉さま方!!」

 憤懣やるかたない、といった風情で可憐な眉を逆立てて桐子は叫んだ。

「わたくしは紫子お姉さまを心からお慕いしておりますし、何を言われようと誰がなんと言おうとそれを変えるつもりはありません。お姉さま方も恥ずかしいとは思わないのですか?誹謗中傷など、お里が知れます!!!」

 生意気な、と一瞬はなじろんだ早苗だったが、急に気味の悪い作り笑顔を浮かべると、だってなどと甘えた声を出した。

「仕方ないじゃありません?あのような振る舞い。良家の子女とも思えないわ」

「わたくしなんて、縁談が調ったらすぐに身を引き学園を後にするつもりですのに。何て厚顔な方かと驚愕してしまいましたもの」

「ああ、それも仕方ないのではありません?東郷伯爵さまは、縁談を考えなおそうとなさっているそうですから」

「そんなはずはありません!!!!」

 悲鳴のような声があがり、流石に姦しい娘も押し黙る。

「紫子お姉さまと東郷伯爵さまは人が羨むような仲睦まじさですわ!!誰ですそんな根も葉もない噂を流した人は!!」

「あら、だって東郷伯爵さまはわたくしの姉との縁談が持ち上がっていますのよ?」

 己が出て行っては逆効果だと今まで身を潜めていた紫子も思わずそれには驚いた。

「我が姉は、身内のわたくしから見ても器量のいい人ですもの。あんな異人じみた人と比べぶまでもないでしょう」

「本当に、わたくし達ってだまされていたのですわね。あんな方を『紫の上』と呼ぶなんて」

「末摘花でもおこがましいのではなくて?だって末摘花は髪だけは綺麗な烏の塗羽色だったと言うし」

「あの赤い髪、まるで鬼女のようじゃなくて?いっそ朱点童子とでも呼んで差し上げようかしら」

 あまりの悔しさに桐子の頬を涙が伝うのを見て、やっと我に返る。足音を立てて階段を下りあたりを睥睨する。ひとりひとりに眼を合わせれば、ぱっと目を逸らすものが大半の仲、早苗だけはこちらを憎々しげに睨み付けてきた。

 口唇を吊り上げた、冷たい氷の花のような微笑を浮かべる紫子に、びくりと身を震わせる女生徒たち。集団であればあれほど威勢が良くても、ひとりひとりに視線を合わせればおびえたように身を竦ませる。

「朱点童子など、あっさり鬼のふりした人間に騙されて殺される間抜け鬼などに例えて頂きたくはないわ。いっそ呼ぶなら茨木童子と呼んでくださいな、あの渡部綱を二度も騙しおおせた鬼になら、例えられても悪い気はしない」

 一段ずつ階段を下りれば、怯えたように女生徒は道をあける。

 涙を流す桐子の肩を抱き、階段を下りるように促す。

「そうそう皆さま方」

 くるりと振り返る飴色の瞳は怖いほど鋭い。箱入りの小雀などそのひと睨みだけで身が竦んでしまうのだろう。あの威勢のよさは、どこへいったのかという有様だ。

「私のことは何とでも好きにおっしゃってかまいませんが、私の大切な人を傷つけるようなら容赦は致しませんよ。心して、かかっていらっしゃいな」

 最後まで燃えるような眼でこちらをみてくる早苗にひたと視線をあて、紫子はその集団から眼を背けた。

◆今回の引用は酒呑童子伝説。朱点童子とも書くので赤毛を強調してこちらに。茨木童子は朱点童子と同胞なのですが、唯一鬼退治から逃げた鬼です。四天王から逃げるとかすげぇな。しかも渡部綱にいたっては3回も逃げのびてるよ。大抵は男だとされていますが、酒呑童子の恋人説あり。

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